「キャリア=昇進・役職」だと辛い理由
キャリアという言葉のとっつきにくさ
「キャリア」という言葉からどんなことを思い浮かべますか?
就職・転職といった会社選び、昇進昇格・年収・役職・専門性といったことをイメージする方が多いのではないでしょうか。人によっては目標やゴールを置くかもしれません。
そして不思議なもので、対象を自分に向けると結構悩ましいのがこの「キャリア」という言葉なんです。
例えば会社の上司・部下の面談などで
「自分のキャリアどう考えてるの?」
「これからどんなキャリアを目指すの?」
と聞かれると、悩ましい気持ちになりますよね。
「願望」と「実現可能性」の狭間で思考がストップする
そんなことが起こりがちです。
本来キャリアとは過程や人生全体を扱うもの
キャリアという言葉は、「キャリア官僚」「キャリアアップ」といった使われ方もするように、
「昇進・役職」に偏った、
職務経歴書のトピックスに書く
という類のイメージを強く持たれています。
しかし、
本来の意味に照らし合わせるとだいぶ誤解されていることがわかります。
キャリアとは---
「職業」「仕事」「進路」「経歴」、そしてその人の生活や生き方、生きがいなどを含めた「仕事を中心とした人生」そのものを意味しているのです。
(日本キャリア開発協会ホームページより)
つまり、
職務経歴書のトピックスだけでなく、過程や人生全体も包括した概念
なのです。
他人に左右される価値軸だけだと辛い
20代を中心とするキャリア構築期であれば、役職・職種といった物に振り切るのも良いでしょう。
しかし、
人生100年時代と言われる昨今において、それだけで突っ走ることは無理があります。
スキル、体力もそうですが、育児・介護といったライフステージの変化もあります。
もう一つ、
昇進・役職(紐づく年収や何かしらのゴール)だけに偏った観点だけでキャリアを考えると途中で辛くなる理由があります。
それは、
会社の人事権(つまり他人)によって決定される要素が大きい
ということです。
・「キャリア」とは個人の人生全体を包括するものなので、
・会社に委ねる=あなたの人生全体を他人に委ねるという考え方
になってしまいます。
叶えばラッキーですが、叶わずに
「なぜだ、何が悪かったんだ、自分は必要とされてないのか」
と必要以上に悩んでしまうことが起こります。
究極は幸せかどうか
そもそも私たちがキャリアアップ、出世競争といったことに無意識に囚われてしまう背景は、何十年も昔の「高度経済成長」における日本の成功体験が影響しています。
アメリカに追いつけ追い越せで、「とにかく頑張れば出世して年収が上がる、それが幸せ」だと信じていた時代の「思考のクセ」が代々受け継がれています。
ご存知の通り、この10年で「幸せの形」が十人十色に変化してきました。
必ずしも誰もが管理職や役員を目指すことが正しいわけでもなく、
プレイヤーとして貢献する・ロールモデルになる、といったこともキャリアの姿として、
もっと肯定されていく
と思います。
「究極は自分が幸せを感じられるか」、「自己肯定感を感じられるか」どうかが重要になるでしょう。
こうした「自分のキャリアの見方を変えてみる」というのは一人ではなかなか難しいものです。
信頼できる同僚・上司・友人、コーチングのコーチやキャリアコンサルタント等に、
壁打ち相手として協力してもらうと良いでしょう。