中国神話の話 五帝

前回、『堯帝』についてはどんな人なのか触りだけ語らせていただいた。
この『触りだけ』というのが中国神話ではネックになることもあり、儒教・道教・中国仏教のそれぞれでバラバラに人物像を書いていたりする。
また三大宗教の他にも、書籍によってもわりと好き勝手書かれている。
私が中国神話の世界を描く際にに主に参考にしてるのは史記、十八史略、山海経などで、どれも有名な作品である。
しかし上記三つの書籍だけでも共通の出来事もあればバラバラに書いていたりもして、一本筋の筋書きがなく良い感じのとこだけ抜粋+妄想で埋めることもままある。
一番困るのに定義がバラバラな点もある。
三皇五帝の時代(キリッ)と書いてあったら「8人の王様の話?」となりそうなものだが、書籍によって三皇五帝で五人の話だったり、三皇五帝なのに9人出てきたり、同一人物被ってたりと統一感がない。

なのでこれは「私が思い描く中国神話の世界」というだけで、「実際はこうだー」なんて意見ではありません。
というか”実際”は誰にもわかりません。
ギリシャ神話の項でも過去に書きましたが、タイムマシンでも開発されない限りは4000年以上前の真実は誰にも分からないからです。

逃げの前文も書いたのでここから本題。

三皇五帝

中国神話では神代の時代から人治の時代について描かれているが、私の中では神代の時代「三皇の時代」、人治の時代「五帝の時代」としている。
先に述べた堯帝は人治の時代「五帝の時代」に含まれている。

三皇の時代はまさに神が人々を導く時代で、下半身が蛇をした神様が大洪水を巨大なヒョウタンに隠れて逃れたりと、ギリシャ神話なみにトンデモストーリーが展開される。
その時代を経て、三皇最後の王である『黄帝』から帝位を黄帝の子である『少昊』が譲られ人治の五帝の時代が始まりを告げる。

最後の皇『黄帝』

黄帝は古くは「皇帝」と呼ばれ、五行思想の中心を指す「土」を司るものとして「土」のカラーとしての『黄』があてがわれ、現在では黄帝と呼ばれる。
武勇に優れ人の世に災いをもたらしていた蚩尤を討ったことで神農に見いだされ王となった。
裸だらけで過ごしていた人々に衣服の概念を植え、物々交換のみだった世に貨幣の存在を考案し、他にも音楽などの文化的なものを広めていった。
また先代の神農に引けを取らず医術にも優れ、人々をいやした。
*現代でもユンケル黄帝液として名が残るレベル。

黄帝が退治した蚩尤は兵主神と呼ばれる『戦の神』に相当し、その戦いでは矛や戟など後世にも残る武具を開発した蚩尤に対し、龍を召喚し応戦するという「人治とは?」と思うレベルの召喚術を披露する。
それ以外にも黄帝は龍とのエピソードが多く、黄龍は黄帝の化身とも考えられている。

最初の帝『少昊(しょうこう)』

黄帝の子。
少昊は子供のころから神童と呼ばれるほど優れた知性を示していたそうです。
まだ帝位を貰う前に東夷の部族に預けられ、平定し鳳紅族のリーダーとなりました。
その後、平定したことを功績と認められ帝位を授かり、暦を発展させ制定させたそうです。
また特徴的な物としては官位に鳥の名前を付けていった。鳥を有難がり鳳凰の存在を中国全土に広めた。

書籍によっては最初の帝『顓頊(せんぎょく)』
少昊の兄弟の子。黄帝の孫。
深謀遠慮な性格をしており、五行をもって人々を導き善政を敷いたと言われる。
また神と人が近すぎると悪神が人心を惑わす恐れがあるとし、曾孫の重(ちょう)と黎(れい)に命じて天地を離すよう厳命した。
重には天を持ち上げ押し上げるよう命令し、黎には地面を押し下げるよう命令した。
そして天地にかかった梯子(ハシゴ!?)を取っ払い、神と人が気軽に交わることを禁止させた。
たぶん虹の架け橋とかそういうのだと思う。ハシゴて。

仁と徳の帝『嚳(こく)』

顓頊の父とは別の少昊の兄弟の子の子。黄帝の曾孫。
幼いころから知に優れたところを見せ、15歳にして顓頊の補佐を務める。
あるとき顓頊帝の治める国に9の周辺諸国が同時に攻め込んできた。
どうしたもんかと頭を抱える顓頊に「みんなウチの領土が欲しいんっしょ?ならそれぞれの国に密偵送って「隣の国が抜け駆けしようとしてるぞ」って送り合えば疑心暗鬼になるやん」とアドバイスを送る。
顓頊はその助言を受け、各国の軍にスパイを送り扇動し同士討ちさせることに成功する。そして少ない力で戦を終えることに成功した。
顓頊帝はその類まれなる知性を評価し嚳に帝位を譲った。
嚳帝は一年に四季があることは理解されていたが、もっと細かく分けられると思い節季を細かく分け広め、種まきや収穫の時期を図りやすいようにすることでより豊かな国造りを進めていった。
また他にも水害で悩む土地があったので、水が浸水してこないよう土を積んでいったが積む早さよりも水かさが増す速度のが速く頭を抱えていた。
どうにもならんと玉皇大帝のもとに赴き「神様って人々生んだけど、なんで面倒ごとも毎度与えるわけ?なんで安住の場所くれないの?いじわるなの?」と願い、言い返せなかった玉皇大帝は神の力で水害に困っていた土地の高さを引き上げさせた。
神様も論破する男。

いないことにされた帝『摯(し)』

嚳帝の長男で後に帝となる堯の兄。
父より帝位を授かるが七光りボンクラ王だったため総スカンを喰らう。
在位10年足らずで死亡。弟に帝位を譲る。
あまりにも帝位が短かったためか、それともボンクラっぷりがヤバかったためか、五帝には数えられることはほぼない。
あんなにも聡明だった嚳帝はなぜこんなボンクラに帝位を譲ったかは謎。
親の欲目と言うことだろうか。帝であっても人は人。

小心者だけど超優秀の帝『堯』

嚳の次男。摯の弟。
「兄より優れた弟はいない」などなんのその、優れた人を拾う人物評価においては三皇五帝随一の慧眼の持ち主。

詳しくはこちら

三皇五帝最後の帝『舜』

黄帝の雲孫。8代孫。
不遇な身の上ながら帝にまで上り詰めた苦労人。
子供のころは連れ子と継母に苛められ、自身の後継者を連れ子に譲りたいと考える実の父親にまで隙あらば殺されそうになって過ごしていた。
だがそれに腐らず、聖人のような仁徳をもっていたためかいつも舜の周りには人で溢れていた。
その噂を聞き付けた堯帝によって召し上げられ、帝の娘を二人降嫁された。
その娘の行く先を見て堯帝は舜を見極めようと考えていたのだが、嫁に出した娘二人はそれぞれ人間的に成長していった。

自身の子ではなく舜に帝位を譲ろうと考えた堯帝だったが、舜は帝の実子である丹朱の顔を立て固辞していたのだが、であればと堯帝は摂政として舜を厚遇する。
舜の仁徳のおかげか悪を働こうとする官吏は消え、舜の指示による人選で長年の懸念であった黄河の反乱も抑えることが出来た。
堯帝は改めて舜への禅譲を願い出で、舜は周りからの賛同の声もあり帝位へとついた。
治世は仁徳に溢れ、堯帝から続く穏やかな国となっていった。
後に黄河氾濫の任をやり遂げた禹(う)へ帝位を禅譲し、禹はその後中国大陸に名を残す初代王国”夏”を起こすのであった。

そして伝説へ

神々が争い手を差し伸べる神代から人々が努力し国を栄えさせていく時代までの過渡期に活躍した王たちでした。
後半の王になればなるほど(途中で梯子外したからかもですが)神様パワーが無くなっていき、人としての話になっていくのが非常に興味深い。
謎のスーパーパワーがなくても神話って言えるんだなぁと中国神話に触れるたびに思います。

*別エピソードでは神様活躍する話はもちろんそれぞれの帝にあるのですが、あえて割愛。

いいなと思ったら応援しよう!