白線を越えて。
居ても立ってもいられない瞬間、皆さんはありますか。
あるとするならば、それはどんな時で要因は一体何でしょう。
例えば、美味しいものを食べたとき。美しい景色を見たとき。
何かしらの目標を達成したとき。名声やお金を得たとき。
そこに立ち会えたとき、当人は何を思うのでしょう。
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先週のとある休日、ふと目に止まった映画は「恋は雨上がりのように」。
気づいたら再生ボタンを押していて。
広がったのは、眩しすぎる初夏の温度と風。
それを引き立てるのは軽快なギターサウンド。
そして、制服を着た女子高生を演じる役者が走っていた。
いつの間にか失った、青春時代。
冒頭の映像だけで温度や匂い、淡い出来事なんかが想起されて
眩しさに酷く焦がれてしまった。そんな感覚が一気に押し寄せた。
(補足、OLは小学校時代に陸上をやってまして。
題材設定も相まって懐古しておりました。)
甘酸っぱさに揺れながら、エンディングを迎えようとしている。
そんな最中に、唐突に並走してきた主題歌に刺されてしまった。
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冒頭で問いかけた、居ても立ってもいられない瞬間。
それは即ち「心が震える瞬間」であると思うのです。
今回の誘発剤は、音楽。
普段の私の趣味嗜好に準えていれば触れることすらなかった類の音楽。
何だかやるせない、堕落した日が続く。
日常という牙城を解いたのは主題歌「フロントメモリー」だった。
容赦なく、眩しい夏は来る。
無敵だったあの頃は、
電車すらも通らない田舎を自転車でカッ飛ばしていたし、
学区内から少し離れた街を好きだった人と手を繋いで歩いたし、
勉強なんか二の次で吹奏楽に打ち込んでいた。
いつしか、夏が鬱陶しくなったのは何故だろう。
大人になった今こそ、日差しの中を大股で歩いてみたい。
そう思ったときには家を飛び出して、走っていた。
意外にも小学生の頃に習った走法は染みついたままで。
どこまでも遠く行けてしまいそう。
そんな感覚こそが、
私の行動及び思考の根幹だったような。
居ても立ってもいられない瞬間、
それは断片的事象を掻き集めて、私という人間の核へと立ち返ることを
図らずしも意味している。
春 -haru-