秋野ハルと遊戯王OCG
とりとめのない話をしようと思います。物心ついた時から遊戯王がそばにあったというだけの、一般カードゲーマーの話です。
幼少期と遊戯王O(オフィシャル)C(カード)G(ゲーム)
正直、いつから遊戯王OCGを遊んでいたのかは忘れました。
なんとなく覚えているのは、例えば近所の公園で賭けデュエル(当時は説明書に載っている公式ルールでもあったはず)をして敗北し、『連鎖破壊』を奪われて泣いたこと。
例えばおばあちゃん家で『冥界の魔王ハ・デス』を当てたこと。あとは『千年原人』と『翼を織りなす者』(共に攻撃力2750)が準エースだったこと。
例えば当時の切り札はぎりぎり青眼を超える攻撃力を出せる『マジシャンオブブラックカオス』+『秘術の書』だったこと。
あとは全国の小学生の例に漏れず『魔法除去』を相手ターンに使ったり、
『サイクロン』で相手の魔法罠を無効化した……こうして思い出してみりゃ意外といっぱいあるもんですね思い出って。
そんなこんなでいつの間にか遊んでいた遊戯王は、その後も時の流れと共に飽きては、誰かに誘われてまた始める。そんなことを繰り返していた記憶があります。
そういえば、数年のブランクを経てシンクロ時代初期に復帰してはアンデシンクロやサモプリキャットベルンベルンにボコボコにされたのも今では良い思い出ですね。逆にEMEm全盛期にプトレノヴァインフェニティやダークロウを死ぬほど擦って友情と勝利をトレードしたのも良い思い出です。ろくな思い出がねーなこのゲーム!
とか言っている間に、20年くらい経ってたらしいです。今も私は、遊戯王OCGを触っています。というかどうやら、今が一番ハマってるようです。
今の私と遊戯王OCG……
っていう見出しで、いきなり過去の話をするのもなんですが、そして今更な話ですが、遊戯王は漫画から生まれたTCGです。漫画遊戯王のオフィシャルなカードゲームだから、遊戯王OCG。
ゆえにこのTCGのルールは、TCGとしての整合性やバランスなどを差し置いて『漫画としての面白さ』に重きが置かれています。そりゃあ元は面白い漫画を描くためのゲームなんだもの。
だから最初は単なるごっこ遊びのツールとして生まれ、どえらい人気が出たもんだから紆余曲折あって徐々に整備されていき、なんとかカードゲームの体を成していった。そんな凸凹道だったと記憶しています。実はもっときっちりしてたらごめんね!
そんなわけで、遊戯王OCGはなんちゅーか、なにかと変です。令和の世になり、真っ当なカードゲームもたくさん生み出されて、その辺と比較してみてもま~~~~~変なカードゲームです。なにが変なのか事細かに話すと長くなるので割愛しますが、変です。ルールが変。バランスが変。運営が変。センスが変。その他諸々が変。
イカれたカードがいくつも世に出ました。ルールだって何度も変わりました。冷静に考えると今の今まで続いているのがおかしいようなカードゲームが今の今まで続いている。そのせいで、私もこのゲームから離れられなくなってしまいました。
この変なカードゲームでしか味わえない物が、この20年の間にあまりにも増えすぎたからです。
今度こそ、今の私と遊戯王OCG
遊戯王OCGには無数の階層(レイヤー)があります。デッキパワーの階層です。ごく真っ当なTCGなら公式がカード製作からある程度デッキの基盤を調整して、導線を組んで、多くの人が同じようなデッキパワーで戦えるよう上手に誘導してくれるはずですが、このゲームはぶっちゃけその辺めちゃくちゃ下手です。そのくせ1万種類くらいカードがあります。ゲームルールにいわゆる『マナ』も『色』も無いもんだから、みんなやりたい放題です。
ゆえにデッキの数だけ戦術があり、ゆえに諸々の事情によるワンサイドゲームも珍しくありません。そのせいでデュエルが終わったあとに「いや、なんか、ごめん……(※このときのごめんが強すぎてか弱すぎてかは場合による)」と絶妙に微妙な空気になることもぼちぼちあります。
だから私は、デッキをたくさん組みます。相手とデッキパワーを擦り合わせて、ちょうど良い力加減でぶつかれるように気をつけてカードを選ぶことも増えてきました。
あと最近はよくデュエル動画なるものを観ています。動画みたいなデュエルがしたいねと、友人と話し合ってデッキパワーの相談をしたり、インフレで環境最前線についてこられなくなった古株どもをタンスの奥から引っ張り出したりもします。
なんちゅーか、お互いのパワーに気を遣い合うだなんてこんな気遣い、真っ当なTCGでやるこっちゃありません。傍から見れば『全力を尽くさない』という行為が不健全に映ることもあり得るでしょう。
でも今はそれがちょー楽しいんですよ、困ったことに。自分の格好良いとデッキやコンボを相手に見せつけるとか、あるいは変なカードで相手を驚かしたりだとか、カードとカードのやり取りの中で予想だにしない展開を期待したりだとか、つまるところ『最高のデュエル』ができるその瞬間を目指して、身内であーでもないこーでもないと模索することそのものが今はとてもとても楽しいわけです。
だからここ数ヶ月は毎週のようにデッキを組んでいます。闘っています。強すぎたり弱すぎたり、うっかり凹むこともたまにありますが、そういうときはめげずに「もう1回! 負け先!」と叫ぶようにしています。先行が強いゲームというのは、どんなデッキでも先行取れればワンチャンあるとも言えるなと、最近気がつきました。
あともうひとつ。このカードゲームを遊んでて、最近気がついたことがあります。当たり前といえば当たり前のことなんですが、本気は人の数だけあるんですね。『本気』と書いて、『ガチ』と読む。
遊戯王OCGには(あるいはどんなTCGでも)『ガチ界隈』と『カジュアル界隈』という大きな区分けが存在していて、自分はいわゆるカジュアルに属する人間だと思っています。ガチとカジュアル。そう書くと『本気でやるか遊びでやるか』の2択みたいに見えますが、私の友人は「憧れる動画みたいなデュエルをしたいのに、良いパワーのデッキが組めない」と本気で悩んでいました。たぶん今でも悩んでいるのでしょう。
誰かの眼には、それは本当に馬鹿馬鹿しい悩みに映るのかもしれません。私にはその悩みが少し羨ましくて、少し眩しかったです。彼の在り方もまた、一種のガチなのだと思います。
本当に、とりとめのない話。
酒飲みながらここまで勢いで書いてきましたが、いよいよ本当にとりとめのない話になってきました。困ったもんだ。オチがない。
まー何か具体的なことを言いたくて書いたわけでなく、本当に衝動的に、ただあれやこれやを振り返りたくなっただけなので、しょうがないっちゃしょうがない。
でもこうして振り返って、改めて思います。
『遊戯王OCG』という物がカードゲームの中から生まれたカードゲームなではなく、(MTGを元ネタにしてるとはいえ)漫画から生まれた変なカードゲームで本当に良かった。面白い漫画のために生まれたどこか変で歪なゲームだったからこそ、私にとって今でも唯一無二のゲームになのだと思うから。(この辺の根拠に関しちゃ話すと長いので、またいつか)
そして、そんなゲームを漫画の中で生み出して、それを最後まで描き切ったということは本当の本当に、凄くて凄いことなのです。
遊戯王OCGは私にとって当たり前のようにそばに有りすぎて、一体いくつの縁がこれによって結ばれ、そして今日まで繋ぎ止められてきたのか分かりません。会話が下手で、記憶も下手で、洞察も下手で、人付き合いの何もかもが下手だった私にとって、遊戯王OCGはこの世で最も大きなコミュニケーションツールでありましたし、あるいはこれからもそう有り続けるのでしょう。
本当に、ありがとうございました。これからも、よろしくお願いします。
P.S.つい最近、人生で初めて遊戯王OCGのとあるオフ会に参加を申し込みました。大会とかではなく、いわゆるカジュアル系のオフ会です。このしち面倒くさいカードゲームの、しかも明確なパワーラインがないカジュアル系オフ会なんて、まじでどういうデッキが出てくるのか予想つかず、うっかり空気を裏側表示で除外しちゃったらどうしようかとびくびくする気持ちもありますが、そういう恐れも含めて楽しみな自分もいて。何事もまずは引かなきゃ始まらないなら、ドローしてから考えるのが決闘者ってこったな! 楽しもうぜ!