社会学者の宮台真司さんの「2015年11月6日デイ・キャッチャーズボイス」
社会学者の宮台真司さんが、何を語っているか、
理解するために書き起こしました。
他のリスナーの理解の手助けになるかもしれないので、
公開しました。
拾えた音声を、書き起こしているので、多少読みづらいです。
音源は、下のリンク先です。
『宮台真司さん、北海道大学で講義。「科学と社会」を語る』
http://podcast.tbsradio.jp/dc/files/miyadai20151106.mp3 …
荒川さん、片桐さん、宮台さんの敬称を、省略して記載します。
番組の公式サイトは、こちらです。
TBS RADIO 954kHz | 荒川強啓 デイ・キャッチ!
http://www.tbs.co.jp/radio/dc/
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荒川「社会学者宮台真司さんのデイ・キャッチーズボイス。
今日のテーマは、こちらです」
片桐「宮台真司。北海道大学で講義。科学と社会を語る」
荒川「はい。へー北大にいかれたということでありまして」
宮台「はい」
荒川「北大での講義の内容をかいつまんで」
宮台「そうなんです」
荒川「ちょっと待って! 何時間の講義だったんですが?」
宮台「2時間半の講義でしたが。ですが、それを10分+で話します」
片桐「ぎゅっと濃縮しまして」
荒川「ちょっと」
宮台「ちょっと早口になりますよ」
荒川「えーと、はい、先生、お願いします」
宮台「講義のシリーズタイトルが、科学と社会です。ぼくがですね。講演したそのタイトルは、社会システム理論から見たトランスサイエンス。
で、トランスサイエンスというのはですね。
科学で問うことができるけど、科学では解決できないことがはっきりしている問題群。ことなんですね」
片桐「ほう~」
宮台「でー、科学では解決できないことがわかっている問題群なんてあるのだろうか? 多くの人は、え? って思うかもしれません」
荒川「もう、そっから入りにくいね」
片桐「うふふふふ~」
宮台「はい」
片桐「もう頭がついてかない感じに……」
宮台「でー、これから説明しますね」
片桐「はい」
宮台「ぼく、デイ・キャッチをやって21年ちかくになりますけど、
社会システム理論が、なんなのかということについて説明したことはないです。今回説明ができます。えーとですね。トランスサイエンスの問題。つまり科学で説明できないことがあるのかどうかについて。
えー、昔からこういう論争があるんですね。
科学は、なんでも対象にできるよね。宇宙だって、経済だって、社会だって。
したがって、やがて、科学は社会よりも大きいと。科学は何でも説明できるだよという立場が、昔は一般的だった。」
片桐「うーん」
宮台「ところがね。そうではないと、議論をする社会学者が出てきた。
えー、社会システム理論家。つまり僕と同じような専攻をしてる人達ですよね。何故かって言うと、科学って、科学者集団の社会の中での営みですよね。だから、企業の営みと同じで。かぐしゃ集団。ですから、人の営みですから」
片桐「うーん」
宮台「社会学の対象になる。言い換えれば、科学は、社会よりも小さい。
社会の方が、科学よりも大きいって風に言うようになってるわけです。でー、ぼくは社会システム理論家ですから、当然、社会の方が科学よりも大きいという風に言います。
実は、同じような論争が、宗教と社会の間にもあった。宗教者にとってはね、社会は神様がつくったものですよね。
したがって、宗教や神様の世界が、社会よりも大きいのが当たり前。
しかし、社会学者から見れば、その宗教者たちの、あるいは信仰者の人たちの営みも、社会誠意も、社会生活の一部だから、当然社会のほうが宗教よりも大きいと、捉(とら)え方になる。同じような問題なんですね」
※誠意=私利・私欲を離れて、正直に熱心に事にあたる心。
片桐「うん。も~」
宮台「で、さて、社会システム理論。内部表現。内部表現という重要なキーワードを出します。
内部イメージとも言います。
社会システム理論家から見ると、科学も宗教も、社会あるいは社会システムの内部表現にしかすぎない。どういうことかと言いますと、例えば免疫システムがありますよね。ばい菌とかね」
片桐「はい」
宮台「ウィルスを含めた異種。異種タンパク質。異物です。
異物を認識すると言われてますけど、異物があるのではなくて、免疫システムが、それを異物だとイメージするわけですよね」
片桐「うん」
宮台「あるいはですね。ユングという人がね。
カール・グスタフ・ユングですけれども。神秘体験の存在は、神秘現象の存在を意味しないという有名なテーゼを残してます」
※テーゼ=命題=論理学で、判断を言語で表したもので、真または偽という性質をもつもの。
(goo辞書よりhttp://dictionary.goo.ne.jp/jn/216735/meaning/m0u/)
片桐「うん?」
宮台「例えば、UFOが見えますよね。」
片桐「はい」
宮台「それは、神秘体験ですよね。UFOが存在することを意味しない」
片桐「ほう?」
宮台「なぜかと言うと、もうこれは簡単なこと。神経イメージ。
神経システムの内部イメージが、認識しかない。ぼくの目の前に、片桐さんがいるっていうのも、ぼくの神経システムが作り出した内部イメージなので、片桐さんが横にいる体験をしてますけど、片桐さんが現にいるかどうかはわからない」
片桐「え!?」
宮台「そういう風に考えるしかない。システム理論から言うとね。
で、つまりね、どういうことかと言いますと、社会システムは、世界を世界体験に変換していると考えるわけです。世界っていうのは、カントの物自体(ものじたい)と同じようなもので、と言っても、みんなわからないかもしれないけど、その、ありとあるゆるものの全体で、社会以前から存在するものですけれども。ぼくたち、それがわからないわけ。
※物自体=カント哲学の中心概念。経験的認識の対象である現象としての物ではなく,現象の起源として主観とは独立にある物そのもの。物自体は認識できず,ただ思惟されるだけのものであるが,超越論的自由はそれにおいてこそ可能となる。(大辞林 第三版より)
ぼくたちは、社会システムのコミュニケーションの中で、それを捉えるし、更に言えば、ぼくたちの人格システムというか、サイコロジカルなシステムの中で、それを意味化して捉えるから。ね。ぼくたちが体験するのは、全部世界体験なんですよ。
世界そのものは、体験できない。
変換装置として、社会システムやパーソンシステムがある。人格のシステムがあるという風に考えるんですね。
ここまで、わかりますよね? あの、リスナーの方々、早過ぎると思われる方は、後でゆっくり再生してみてくださいね。録音して」
片桐「ふふふ。う~ん」
宮台「で、そこでね。出てくる問題は、まずは、世界と世界体験は似ているのか? という問題です。
世界は変換されて、世界体験になってると言いますけど。これはね。結論から言うと、人間社会から見た場合、似ているとしか言うほかがない。世界がわからないから。どんなに科学的に分析しようが、なんだろうが、全て世界体験なんです。実験しようが、観察しようがね。
で、これについてはですね。社会学者が、どういう風に捉えているかというと。まずは世界があって、それを社会システムの機能によって、世界体験に変換しているんです。で、科学者は、何をしているか? というと、我々の世界体験をベースにして、さらにモデル化を行って、科学理論を作る。
もう一度言うと、世界があったとして、そこに社会システムの理論の作動があって、世界体験を与えられる。ぼくたちは、世界や星がこうなっているかと体験しています。どうしてぼくたちにそういう体験があるのか、モデルを作る。
更にモデルを作るのは、モデルを作るのは科学者集団。
ぼくらは、それを、社会システムに対して、科学システムといいます。
社会システムのサブシステムとしての科学システムですね。
その働きで、いわば科学理論という二次的なセカンダリーな世界体験が与えられているという風に考えるんですね。
だから、その考え方からすると、例えばね、地球の外に、地球生命圏ガイアがあるという発想は、カッコに入れられるんです。
例えばね、ディープエコロジストが、人間社会が、地球、ガイアに害悪を与えてると。シャレじゃないですよ」
片桐「うん?」
宮台「ですからね、あの、人間社会が、戦争や疫病で、まっさきに滅びると、地球生命圏が保たれる。
だから、人類社会を滅ぼそうというディープエコロジストの一部がいるんです」
片桐「うん」
宮台「で、社会学者のニコルス・ルーマンという非常に重要な人は、こういう議論を仮想敵にしているわけなんですね。
例えば、地球生命圏と宇宙なんてしょせん、結局社会システムの内部イメージ、内部表現なんですよ。そんな意味では、内部表現を理由にして、内部表現を与える社会を滅ぼそうとするのは、滑稽なんですね。
宇宙も社会の内部表現。エコシステムも社会の内部表現なんだよ。社会システム理論の基本的な考えなんです。
さて、これが前半」
※エコシステム(ecosystem)=生態系(デジタル大辞泉より)
荒川「え!?」
片桐「頭がついてこないです」
宮台「はい。」
荒川「え!?」
宮台「後半はですね。比較的わかりやすいところなんですね」
荒川「だって、ここがシャレなんだけどねって、何が面白いのかね?」
(一同爆笑)
荒川「わかんないんだよ」
宮台「まあいいや」
荒川「ええ」
宮台「ガイアと害悪をかけたんですが、はい」
片桐「わかんなかったんですね」
宮台「わかんなかったんですね。すいません。ごめんなさい。速すぎまして」
荒川「いや~速いだけが問題じゃない」
宮台「はい」
片桐「内容が深い」
荒川「うーん」
宮台「で、今度はねえ。違った角度で言いますね。あのリスク論というのがですね。
まあ30年前ぐらいから、社会学でも科学の分野でも、重要になっているです」
片桐「はい」
宮台「どうしてかって言うとですね。あの科学を使って、科学がもたらすリスクを制御できる。
まあ、簡単に言うと、科学の社会的動揺がもたらすリスク。
例えば、原発とかね。あるいは、例えば、遺伝子組み換え作物の花粉がねえ。開放系に放出されることによる50世代後のインパクトとか。
あるいはですね。出生前診断とか生殖医療が、何をもたらすのかみたいなことですね」
※開放系=物理学で、特に熱力学的に、境界を越えた外部とエネルギーや物質のやり取りが行われる系。(goo辞書よりhttp://dictionary.goo.ne.jp/jn/256521/meaning/m0u/)
片桐「はい」
宮台「で、こうしたことは、以前の技術とは違って、実はそれが何をもたらすのかというのがね。予測不能、計測不能、収拾不能だと議論をしたのが」
荒川「理解も不能」
宮台「ベックという人なんですよね」
片桐「うん」
宮台「で、これはとても大事な議論です」
荒川「うーん」
宮台「例えばね、ええ、19世紀的リスクとベックが呼んでいるものは、保険が作れるんですよ。
どうしてかって言うと、リスクを計測して、まあ具体的に言うと、ベイズ統計というやり方を使ってね。ええ~事象を主観的確率を割り当てて、合成して、まあ、危険はこれだけ。例えば、強啓さんがこれから歩いて、東京駅に向かった場合の危険を、計算するんです。
それについての保険は作れるんです」
荒川「うーん」
宮台「ところが、今、申し上げた、原発に関する保険や開放系どうたらこうたらの保険は作れないんです。
どうしてかって言うと、今、申し上げた予測不能、計測不能、収拾不能だから。
これを未規定のリスクとか、残余のリスクというんです」
荒川「うんうん」
宮台「で、未規定のリスクをどういう風にして、あの、ぼくらは、引き受ければいいのか? あるいは拒絶すればいいのか? ベックって、面白いことを言っているんですよ」
荒川「うんうん」
宮台「拒絶できない。どうしてかって言うと、今の例からわかるように、もうすでにぼくたちは、社会の中に、完全にそうした技術を埋め込んでいるからです」
片桐「はい」
宮台「原発も」
片桐「生活の一部になっている」
宮台「なっていますよね。なので、こっから先は、拒絶はできないので、引き受け方をコントロールするしかない。引き受け方ね」
片桐「はい」
宮台「彼がねえ、で、どういう引き受け方が良い、あるいはいけないと言っているのか。紹介しますね。わかりやすく言うとですね。
あの~ぼくの言い方で、パラフレーズすると、任せてぶーたれるような受け取り方、あるいは、知らずに利用するっていうような受け取り方がダメで」
※パラフレーズ(paraphrase)=ある表現を他の語句に置き換えて、わかりやすく述べること。(デジタル大辞泉より)
片桐「うーん」
宮台「徹底的に考えて、引き受けるということをやる必要があると」
片桐「はい」
宮台「自分たちで徹底的に考えて、その未規定のリスクを持つコード技術を引き受けた場合のみ、何かがあった時にですね。
かろうじで、耐える。倫理的な意味で、耐えることができるという風に考えるわけですね」
荒川「いや~原発の場合、住民の方、ぜんぜん考えて、そこまで考えられなかった」
宮台「なかった! だからまずかった」
荒川「いやだって、考えるすべがないものん」
宮台「なので、今からお話するように、考えるすべを獲得しなきゃいけないんです」
荒川「うーん」
宮台「でーそれについて、ベックは、進化論の言葉というよりは、
市民政治と言っているんですけど。共同体自治を展開しなきゃいけないと。自分たちで、実際何が問題なのかと明らかにした上で、それを引き受けることが何を意味するかということを、みんなで了解しなきゃいけない。あるいは引き受ける時の価値観についても、自覚をしなきゃいけないんですね」
片桐「うーん」
宮台「で、これをちゃんとしていこうと議論の1つが、まあ熟議論と言われてるもので。
例えば、あの~熟議付き世論調査という聞き方がありまして。あの~これは、熟議という言葉を提唱したあの~ジェームズ・フィシュキンという人によりますとですね。同性婚をどうするかとかですね。どっかの国と戦争をすべきどうかとか。ありとあらゆるイシュー問題について、熟議した後、え~合議をして決定すると、住民投票すると、あるいは世論調査すると、必ずリベラル方向に、議論がシフトするんです」
※イシュー(issue)=論争点。討論。(デジタル大辞泉より)
※リベラル=自由主義思想(リベラリズム)のこと。保守主義と対立する政治的信条であり、どんな自由を重んじるかによって意味合いが異なる
(リベラルとは - はてなキーワードhttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%EA%A5%D9%A5%E9%A5%EBより)
片桐「ふーん~」
宮台「これについては、科学的議論がなされています。サースティンという人が、明らかにしたことなんだけど」
片桐「ええ」
宮台「まずですね。不完全情報があると、人々は、その、みんなで話し合うことによって、むしろ極端化しやすいんです。ねえ?
えー。中国や韓国の話が、そうなんですね。外国の問題については、集団的極端化って言うのだけれど」
片桐「ほうほう」
宮台「不完全情報があるとダメだから、不完全情報をできるだけ完全情報にしていきましょうと。
あともう1つ彼が明らかにしてるのは、議論が匿名性が高いとなんでもありになってしまうから、実際には、集団的決定が極端化しやすい。これも極端のことを言っている奴の佇(たたず)まいがねえ、なんだ?
極端のことを言っているから、立派だと思ったら、さもしい、あさましい奴だなみたいことになるっていうのが、大事なんですね。
で、あるいは、ステレオタイプも、そうですしね。外国人がどうだらこうたら、移民がどうだらこうたらと思って。
実際に話してみたらですね。あの日本人のヘタレ、あるいは、さもしい奴より、はるかに立派な外国人が一杯いたりすることが、わかったりすることがありますよね。
あともう1つは、単に話し合うのではなくて、今、言った問題。匿名性が高いと、声がでかい奴の、まあ声が通りやすいとかね。
あるいは、不完全情報だと、ええ~極端化しやすいということを、充分にわかったファシリテーター。
つまり座回し役なんですよ。
座回し役が、内容にコミットするじゃなくて、声がでかい奴の、あるいは匿名性の元で、えばっている奴の議論が通らないように、コントロールするのが大事なんですね。
片桐「はい」
宮台「でーさらに、模擬的なコンセンサス会議を、かつて世田谷でやったことがあるんですよ。
デンマークの方式。あの科学者パネルと、市民パネルを分けて、基本的に科学者パネルは官僚が選ばない。市民のえー専門性が高い人が選ぶ。その上ですね。最後は、全てを市民パネルが決める。科学者パネルは、市民に理解できるようにしゃべるので。だって、それが、えーそれ次第で、市民パネルがどうなるか決まるからね」
※コンセンサス(consensus)=意見の一致。合意。
(三省堂 大辞林より)
片桐「うーん」
宮台「市民がその後、全てを決める。そうするとね。専門家が言ったからって、市民も人のせいにできないので、市民も考えるようになりますよね。
ていう風にして、引き受けて考えるということをですね。制度的に動機づけるような、いろんなことを考えていかなければいけない。社会学の発想なんですね」
荒川「座回し役として」
片桐・宮台「はい」
荒川「そろそろコントロールさせてもらいたい」
(一同爆笑)
片桐「10秒前」
荒川「はい、10秒前。いや~ラジオじゃ、ちょっとなかなかな~」
片桐「うーん」
宮台「2時間半の話をね。10分ですからね」
荒川「ちょっと入りにくかったかもしれない。宮台さんのボイスでした」
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<感想>
ここまで、濃い内容を、実際リスナーがどれくらい理解できたかは、気になるところ。ある程度、宮台真司さんの話されることのコンテクストを知らないと、短時間で理解できないのではと思った。
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