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保津川をたどって|あいだラボ 亀岡・流域治水FW

10/19-21に亀岡(京都)の流域治水に関するフィールドワークに参加してきた。

参加しようと思った理由は2つあって、1つは「流域」というキーワードにビビッときたからだった。玉野井先生が地域主義に関する議論の中で、生物には細胞という最小単位があるように、人間同士の社会にも基本的ユニットがあり、それが山と川からなる地域なのではないかということをおっしゃっていて、それで私は流域にずっと関心があった。ただ、あんまり深めたこともなかったので、このフィールドワークを通して感じてみたいなと思った。
もう1つは亀岡という場所で、亀岡は私が小5〜高校生の間過ごした実家のある地域と山を超えて隣合っている。でも、たまにアルプラ(ショッピングモール)にいく程度でほとんど行ったことがなかった。当時はただただ田舎のイメージだったけど、脱プラや有機農業の取り組みなどで実家を出てから知るようになって、改めて行ってみたいなと思った。


亀岡という土地と流域治水について

亀岡には川下りで有名な保津川が流れている。保津峡をこえると嵐山の渡月橋に出て桂川となり、京都市の西側を通って宇治川・木津川と合流し、淀川となって大阪湾へと注ぐ、という流れ(琵琶湖・淀川水系)。

琵琶湖・淀川水系における亀岡市の位置(出典

保津峡の入り口が狭くて水位が上昇しやすいこともあり、歴史的に氾濫を繰り返してきた。そのため、保津川流域には、伝統的な治水技術である霞堤(かすみてい)がいくつも見られる。霞堤とはあらかじめ切れ目を入れた不連続な堤防のことで、豪雨時には周囲の遊水地に水を逃すことで被害を軽減でき、下流の流量減少にもつながる。ただ、補償制度があるわけでもないので、亀岡の水に浸かりやすい地域の住民は、下流の京都市のために犠牲になってきたという認識があるそう。私もまさにその恩恵に与ってきていた1人だけれど、全然知らなかったし考えたこともなかった…高校生の頃桂川が氾濫して大変なことになっていたのはよく覚えているけど(2013年の台風18号)、亀岡の方で水を逃してなかったらもっと大変なことになっていたんだなと。こうした背景から、霞堤はかさ上げが行われて将来的には締め切る計画となっている。


霞堤(出典

一方で、近年気候変動により豪雨が頻発するなど雨の降り方が変化しており、今後の降雨量増加にも対応できるよう、「流域治水」という考え方が広まっている。従来の治水は、できるだけ水を溢れさせないようにダムや堤防の整備など行われてきたが、流域治水は、ダムや堤防に加え、あえて水があふれさせる場所を設けるなどして流域全体で水を受けとめるというもの。具体的には、水田や公園など一時的に水を貯められる場所をつくったり、リスクの高いエリアでは土地利用規制をしたり移転を促して、できるだけ人が住まないようにするなどの対策がある。国や自治体等の行政機関だけでなく、開発や建設に関わる事業者、地権者、市民など、あらゆる関係者との協働が必要となる。

亀岡では、流域治水を取り入れたまちづくりを考えていこうという流域空間プロジェクトが進められており、ワークショップ提言が行われてきた。今回のフィールドワークは、このプロジェクトをリードする千葉大学の武田史朗先生と、地域パートナーを務める一般社団法人Foginの並河杏奈さんがナビゲートしてくださった。主催は最近入ったコミュニティのあいだラボ

フィールドノート📝

KIRI CAFE

築100年の古民家をリノベーションしたカフェ
亀岡の旬の野菜を使ったカレー

河原林集落

最初に亀岡盆地の昔の地形図を見ながら、川の流れや集落の位置などを確認した。その後、河原林集落(地図の真ん中あたり)を歩いてまわった。
お家は石垣で道より少し高くなっていた。それは、この集落のすぐ近くを流れる七谷川(保津川の支流にあたる)がよく氾濫していたからだった。
七谷川へ行ってみると、ちょうど掘削工事の最中だった(これは従来型の治水)。七谷川はもともと天井川で、膝下ほどの深さしかなかった。大雨の時には住民が交代でゲートを閉める必要があった。上から水が来るのがとにかく怖いからなんとかしてほしいという住民からの強い要望もあって、掘削工事が行われることになったそう。印象的だったのは、地元の方もダブルスタンダードなんだという話。「掘削してもらえて安心したわー」と話す一方で、同時に、「昔はこんな生き物がいた」「渡って向こう側に行けた」とか懐かしんだりもするそう。私自身もコンクリート3面張りになった川を見て感じるところはあるものの、地元の方はもっと複雑でいろんな感情が渦巻いていた/いるんだろうなと。

川だけにとどめない流域治水を進めるうえで、過去の水害の記憶などからの「怖い」という感情は一つ大きなハードルになるというか、ちゃんと向き合う必要のあることだろうなと思った。そういう意味では、例えば水害や川に関する個人あるいは集合的な記憶が治水やまちづくりに対する態度や実践にどのように結びついているのかなど、人類学的な研究も重要になってくるかもしれない。
摂丹型民家。摂津と丹波で見られ、土間が通ってて奥まで行けるのが特徴なんだそう。初めて見た!ここ以外にも、亀岡市内ではちらほら発見できた。
愛宕灯篭。地区ごとにあり、地区の住民が当番制で毎朝火を灯しているそう。集落に住むお花屋さんの女性は、「愛宕灯篭は神聖なもので怠ると悪いことが起こると思っている。自然に対する畏怖がある」と話していた。

A HAMLET

JR並河駅近くの集落。平屋長屋が並ぶ。全30棟あるうちの空き家13棟をリノベーションするプロジェクト「A HAMLET」が進行中。庭師のさがさんに案内していただいた。
楽園と呼ばれるお庭スペース。

南郷池(お堀跡)〜丹波亀山城址周辺

明智光秀といえば本能寺の変のイメージが強いけど、このあたりでは丹波亀山城主としてまちの基礎をつくった人として知られているそう。
南郷池、と呼ばれているが雑水川という一級河川の一部。もともとは亀山城のお堀だった。
亀山城址内。ここもお堀だった。
亀山城址は、教祖が亀岡出身の宗教法人「大元」が1919年に買い取った。第二次世界大戦のときに、多くの知識人が平和と芸術を掲げていた大本教に入信したこともあり、政府からひどい宗教弾圧を受けたそう。写真中央に見えるのは爆破されて飛んできた石垣。
旧城下町には今も酒蔵や醤油蔵がある。

アユモドキ生息地と霞堤

JR亀岡駅の北側、保津川下りの乗船場近く。このあたりにはアユモドキという、名前の通りアユに似たドジョウ科の淡水魚が生息している。昔は琵琶湖・淀川水系のあちこちで見られたが、現在は保津川とその支流でしか見られず(全国的には岡山県も)、絶滅危惧種に指定されている。
2020年に完成したJリーグ京都サンガの新スタジアム。もともとは上記のアユモドキ生息地に建設が予定されていたが、日本生態学会や日本魚類学会、環境保全団体などから計画見直しの要請もあり、最終的にこの地に落ち着いたそう。フィールドワーク当日も試合があり、駅周辺はサポーターのパープルで溢れていた。
写真奥の左から右へ保津川が流れていて、真ん中あたりで一部下がっているのが霞堤

保津川下り

保津川遊船企業組合 豊田理事長から保津川の歴史についてレクチャーを受けて乗船。京都に10年近く住んでいたけれど実は初めてだった…!
渓谷の景色も素晴らしかったけど、船頭のおっちゃんたちが永遠にボケ続けてたのがほんとおもしろかった笑 終始楽しませようという精神に溢れてて、すごく良いサービスを受けたなあと感じた。また違う季節に乗ってみたい!
トロッコ列車も何度かお目にかかれた。
最後の方には売店の船が横について、甘酒やらおでんやらを売ってくれた。
私はお団子にした笑

宿泊

2日とも「京料理 松正」の若主人が営むゲストハウスに泊まった。朝ごはんがほんとにおいしかった…!
少し早起きして近くの桑田神社までお散歩。
木の間から少しだけ保津川が見えた。昔は保津川下りの船頭になれるのは、この山本集落か、保津川を挟んで対岸の保津集落の出身の人だけだったそう。

かめおか霧のテラス

亀岡市内を一望できた

平和池水害

1951年7月11日、保津川支流の年谷川上流に建設された「平和池ダム」が記録的豪雨により決壊し、114人の方が亡くなった。平和池ダムは、川を土の堤防でせき止めた「アースダム」で、国が防災・灌漑ため池として全国5カ所に設置したモデルダムの一つだった。1949年11月に完成し、それから2年も経っていなかった。決壊の原因はいまだによくわかっていない。
これだけ大きな災害だったにもかかわらず、地元ではほとんど語られてこなかったそう。災害から50年経った頃、このままでは風化してしまうということで、小学2年生の時にこの災害を経験し、元京都新聞記者だった中尾さんを中心に聞き取り調査や伝承活動がはじまった。私も今回初めて知って、こんな災害があったのかとても驚いた。
平和池ダム跡地のモニュメント。中尾さんたちの活動のかいあって、災害から60年後に設置された。
みんなでダム跡地を歩いた。住宅街をすぐ裏は住宅街。

真福寺住職 満林さんと坐禅と対話

フィールドワークの最後は坐禅。私は気づいたら寝てしまっていた…笑

全体を通して

ナビゲートしてくださってた杏奈さんをはじめ、久しぶりに聞く京都弁がとても心地良い3日間だった。亀岡、すごく素敵なところだなー感じた。今回は川や水が中心テーマだったけれど、食、建築、祭り、芸術の話などもちょっと触れただけでもおもしろそうで、またいろいろまわってみたいと思った。

自分の住んでいた地域のこともだけど、ましてや上流域のことなんてもっと知らなくて、考えたこともなかったので、今回すごくいい機会だった。歩いて、川下りして、つながっていることを感じられた。
今住んでいる熊本や広島でも川をたどってみたいなと思った。熊本は市内の水道は地下水でまかなわれているくらい水が豊かな土地だし、広島は市内を6本の川が流れてて川がすごく身近なので、きっとそこからまちのことがいろいろ見えてくるのではという気がしている。

参考

■武田史朗(2016)『自然と対話する都市へ』昭和堂
今回のフィールドワークのナビゲーターである武田先生の著書。流域空間デザインについてオランダの事例をベースに書かれています。

■亀岡市における流域空間デザインの取り組み
ワークショップや検討会議を踏まえた提言について、それぞれ論文とパンフレット形式で書かれている。
⻲岡市における流域空間デザイン検討会議とその提⾔について
亀岡市における流域治水時代のまちづくりに向けた提言書


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岸本華果
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