子どもの姿
私には二人の子どもがいます。
小2と年少の姉弟です。
下の子は言葉が流暢に話すので、ふたりの会話がとっても可笑しくて。流暢に話すからといって、ごっこ遊びで姉が長〜〜いセリフを伝えると、3分の1くらいしか話せなくて、姉に「違う!」と窘められる不憫な部分もあり、聞いてて飽きません。
子どもに対してはいつも「体感してくれ」と思います。危ないことしても、彼らには「危なさ」がわからない。体感で「あっぶねー!!!」と気がつかなければ、危ないことを何度もやるので、まずは体感してくれと。
もちろん目を離さず、見守っています。塀に登りたいといえば「自分で」やらせて手伝いません。下でキャッチする体勢を整える(笑)。
「木の上に立って見る、親」
漢字はよくできていますね〜。
息子は。。自分の心の「子」
娘は「女、良し」うん、これはよくわからず。
女の子は女の子で色々大変そうですが、家でまぁまぁ感情を晴らしている感じがするので、良いかなと。
「ハルさんは楽しそうに子育てしてそうですよね」
と、以前言われたことがあり大変嬉しかったです。
私も頭がカチカチで、何かの「型」にハマっていれば、それが正解だと思っていましたから。
でも、そもそも正解なんてないと最近は思うので、自分がなぜ、そのように受け取ったかを考えます。イラッとしたら、なぜそうなのか。モヤっとしたら、なぜそうなのか。放っておかない。無視しない。そこへ「とぷん」と潜る。その時間こそ、癒しです。私に於いては。
子ども同じ人間であり、確立されている「個」。彼女、彼の大事にしているもの、発言、思ったことを、私の私が決めている決まりでジャッジしない。言うのは簡単ですが、ここに記せば「記録」になる。
というわけで、そんな風に最近思う、私のたわごとでした。
ではでは。