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コロンビア・カリ、句点を打つのはサルサ。

 普段生きていると、節目になるようなタイミングがある。元旦初日の出を見た時とか、彼女と付き合い始めた時とか、明らかな節目。文章で言うならば、意味段落が変わるタイミング。
 また一方で、なんとなく節目が変わるようなタイミングがある。旅行で言うならば、次の都市へ移動するとき。つまり出会った人たちと別れるタイミング。別れが近づくにつれ、今ある時間を変に意識してしまう。特別話すようなことはないけれど、いつも通り話していると落ち着かない。なんとなく終わりにまとまりがない感覚というか、どこに句点を打って形式段落を変えればいいのかがわからない。

La Caldera del Diablo

カリを去る

 「私たちを置いていくのね。」
 フリージが言った。僕は背負っているバックパックを床に下ろして、ホステルのチェックアウトを済ませる。カウンターで水を購入し、ソファーに腰掛けてそれを飲んだ。今日もカリは暑い。
 「オドレもマリもメルセデスも、みんな俺らを置いてったじゃないか。」
 彼女はその言葉に返答することなく、少し笑っただけだった。そもそもこれは、置いていくとか置いていかれるという話ではない。ある一つの場所にただ人が集まって、去っていく、それだけのことである。旅行中そればかりを気にしていたら気持ちが参ってしまって、頭のつぶれたネジみたいに前にも後ろにも進めなくなってしまう。
 しかい別れが近づくにつれ、時間の密度が濃くなっていく。3時間後には僕はボゴタに向かう飛行機に乗っていて、夜にはアマゾンの街、レティシアに着く予定である。
 「Entonces, vamos a bailar.」と彼女が言い、立ち上がった。僕はそれに続いた。彼女の左手に僕の右手を添える。握ってしまってはターンがうまくできないので、いけない。左足からステップを始めて、お気に入りの曲に合わせて僕らは踊り始める。サルサにはキューバンのスタイルやリニアと呼ばれているスタイルなどさまざまあるが、もちろん僕らが踊ったのはカレニアンのスタイルである。世界的にはすごくマイナーで、ここ、カリでしか踊られていないと言っても過言ではないスタイルだ。

 曲のイントロを聴きながら、基本のステップを踏む。左足を下げる際は左手を離し、同様にして右足を下げる際は右手を離す。口で説明しようとすると長くなってしまう。体で覚えるしかない。僕は2週間で様々な動きを学んだ。しかし、サルサで大切なのは知っている動きの数ではないと思う。
 僕らは音楽を楽しみながら踊った。左手を少し上げて次の動きの合図をすると、彼女はそれに合わせて自然にターンをする。そのターンが終わると同時に、僕はステップを変えた。体を使って彼女を回転させた後、同じく左手を使ってもう一度回転を促す。レソルシオンからのインディカシオンという、僕のお気に入りのコンボだ。少し複雑なステップをしてみたり、アレンジをしたりして、5分間はあっという間に過ぎてしまった。
 踊っていた僕らを含め、周りにいた友人たちも喋ることはなく、ただ慣れ親しんだサルサの音楽を聞いていた。曲が終わると、それを待っていたかのようにUberが到着する。僕はみんなとハグをし、軽い言葉を交わして、さわやかに別れた。僕は初めて、まとまりのいい句点が打てたような気がした。 

 スーパーでもサルサが流れていて、それに合わせて習ったばかりのステップを踏んでいると、定員が近づいてきて一緒に踊る。僕はそんな街、カリで2週間を過ごした。

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