母の涙
私が29歳の時、3人目の子がお腹に宿っていた。
が、当時バセドウ病、パニック障害、うつ病で治療中であったが、
産むことに決めたものの、起き上がれない日々が続いてその苦しさや悲しみを母にぶつけていた。
うちの母はそんな私に対しても負けない人だった。
むしろ、その時はこの苦しみに理解のない母に余計苛立ったものだが、それに流されなかった事に今はとても感謝している。
(ひとつ間違えれば、そばに居てくれた人さえも うつ病にさせることもあるのだから)
だからこそ、今
少しずつモノを忘れていく母に(私が疲れない程度に)向き合う時間を増やした。
それは私の贖罪であった。
でも母にしてみれば、
自分の母親にお姉ちゃん(私のこと)みたいに親孝行すらしてやれなかった、むしろ、そこから逃げていた、
なんて親不孝者の私なのだろう
と、かつての自分を責める材料となり涙を流してしまった。
ああ、今、母はそうして
時を経て、亡き母を可哀想だと偲ぶのだ。
━━━━━━━━━━━━━━━
それでいいじゃないの。
何言ってんの、幸せな人生だと言えることが
親の幸せなのよ
これ、本当なのよ
娘が、息子が、
私からはなれて自立してくれて、
あとは、自分でも自分の幸せを見つけてくれたら
もう十分親孝行なのよ
本当よ。
━━━━━━━━━━━━━━━
僕を知っているだろうか
いつもそばにいるのだろうけれど
私は有難い事に、愛の連鎖をいただけた。
そして、それを次にどのような形になっているのか見えないけれど、繋げて行けたら、と思っている。
そしていつか私も
もっと母にしてあげたかった、と涙を流すのだろう。