親と私の青春
H2Oの想い出がいっぱい、じゃないけれど
親の若かりし日のアルバムを見ていたら、
私は安堵した。
それは、想い出がいっぱいだったからだ。
親の、自分の人生を生きてきたであろう散らばった切り抜きを目にした時、
娘である私が、高齢の両親に何か出来ることはないのだろうか?という自問自答から解放されたからだ。
もちろん、自分の身の丈で出来ることはしていきたいとは思っているが、
親の人生を私は生きている訳では無い、と言う線引きが改めて胸に刻まれた。
それは、私が自分の子にも言えること。
私の青春は尾崎豊に埋もれていた。
一匹狼(になれないくせに)気取って、
社会の大人を意味もなくdisってたな…
でも、それはその裏側に、自分の親のようにささやかな生活のために生きている人がほとんどだと言うことを、
当時は知る事もせずした視野狭窄の若すぎる思考…(と、言い訳)
今、
自分は刻まれた皺の深さと同じように深いため息をつく毎日だ。
自分の顔が老婆になって行く過程を鏡から転写され読み取っている。
若い頃のツケは巡ってくるぜ!
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