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オルタナティブストーリー:少年期編

こんにチワワ。石川遥稀(はるき)です。

この投稿をご覧いただきありがとうございます😭

前回の投稿の「オルタナティブストーリー:方今編」に引き続き今回は第2弾❗️

「オルタナティブストーリー:少年期編」です。

今回は僕が現在の活動に至るまでの少年時代どのように過ごしてきたのかをエピソードを交えながら書きました😆

では早速参りたいと思います♪

1)大好きなおじいちゃん👴


僕は2001年に石川家長男として誕生しました。

      (僕が生まれたときの写真)

そして物心ついた頃から、おじいちゃんに何度も何度も言われてきたことがあります。

〈おじいちゃん👴〉

俺が子どもの頃は、ちょうど第2次世界大戦真っ只中だった。

そのせいでオヤジが戦死して、兄弟が多い長男だった俺は生活していくためにオフクロの畑仕事や田植えを手伝わなければいけなかった。

中学を卒業するときに、周りの友達は高校へ進学していったが、俺は農業を手伝うために高校へ進学して、勉強したかったけどできなかった。

だからはるきくんには俺の分までしっかりと勉強してほしい。

「頭の中にあるものは誰にも取られないし、盗まれたりしない」

だからたくさん勉強するんだよ。そして、俺が大っ嫌いな戦争を世の中から無くしてほしい

と言いました。今でもその言葉をよく思い出します。

    (おじいちゃんとのツーショット👴)

2) 2分の1成人式


僕の学校では小学校4年生(ちょうど10歳になる年)に2分の1成人式というものがありました。

2分の1成人式とは授業参観日に親たちが集まる中、自分たち生徒が1人づつみんなの前で「将来の夢や親への感謝の気持ち」を発表するものです。

そこで周りの友達が「将来の夢はプロサッカー選手になることです。」や「私は将来ケーキ屋さんになりたいです。」と発表する中で

僕はおじいちゃんの影響もあり、

「僕の将来の夢は世界平和です。」と発表した10歳でした。

3) 中学1年生の「総合的な学習の時間」


将来の夢が「世界平和」のまま中学生になりました。

        (中学生の頃の僕)

中学1年生の頃にあった総合的な学習の時間という授業で

「将来就きたい職業を調べ、発表をする」というお題が出されました。

その時の僕は困りました。

将来の夢は世界平和だが、将来就きたい職業は特に考えていなかったからです。

必ず発表をしなければならないので、どんな発表をしようか考えました。

そこで僕はせっかくみんなの前で発表するのでみんなが感動するような、また評価が高くなる発表をしようと考えました。

そのために、

学校中にいる「教師」という職業を勤めている先生に

「先生になろうと思った理由はなんですか?」や「先生にとって教師という職業のやりがいはなんですか?」

というインタビューをして、そのインタビューをしているうちに教師という職業の魅力に惹かれ「将来は教師になろうと思いました。」

という発表をしようと考えたのです。

今思うと、邪な気持ちがしますね、、、(笑)

しかし、

実際に先生たちに「教師になろうと思った理由はなんですか?」や「教師という職業のやりがいはなんですか?」とインタビューしていく中で、

普段、先生たちと生徒である僕との関係は、授業などで「教師対生徒」という上下関係の壁がありましたが、

僕がこのようなインタビューをした時には、

「教師対生徒」という関係よりは、「人間対人間」というような

全く壁を感じない距離感で「教師を目指した理由」や「教師という職業のやりがいや楽しさ」について

楽しそうに、また情熱が溢れるほどに話してくれました。

それを聞いているうちに僕は、

本当に「教師って職業かっこいいな!すごい魅力的だし、やってみたい!」

と思ったのです。

つまり、

初めは「教師になること」を就きたい職業にして、周りの先生たちにインタビューした話を書けば高い評価がもらえるのではないか?と考えていたのですが、

このように先生たちの熱い想いを聞くうち、「教師って仕事、かっこいいな」と感じるようになり、教師を目指すまでに至ったのです。

4) ノーベル賞を取りたいと思った高校生


将来教師になりたいと思う一方で、様々なことに興味を持ち始めた高校時代でした。

例えば、「天気を100%予想できるようになり、天気を操りたい」と思ったのです。

そう思ったきっかけはパパのある一言でした。

パパは不動産関係の自営業を経営している傍ら、「自称日本1番のトルコアイス屋さん🍨をやっています。

(トルコアイス屋さんをやっている人は基本トルコ人🇹🇷であり、日本人🇯🇵はパパだけだから「日本で1番」と言っているのです。)


そのトルコアイス屋さんをパパは、祭りや営業出張として各地へ行っています。また、屋台として行うのでほとんどが屋外で行うことになります。

なので、

「雨が降った日にはお客さんが全然外出せず、またアイスを食べても寒いので全然儲からない😭」

と言っていました。

そして

「はるさん、天気を自由自在に操れて、トルコアイス屋さんをやるときは晴れるようにしてほしいな。」


(パパは僕のことを「はるさん」と呼びます。ちなみに弟のゆうごのことは「ゆっさん」と呼んでいます。)

それを聞いて僕は、パパのためにどうしたら天気を自由自在に操ることができるかを考え、調べました。

その答えについて、僕が普段から愛読していた科学雑誌「Newton」に答えが掲載されていました。

そこには雨が降る原理から、雨を人工的に降らせることはできるが、雨を晴れにすることは難しく、

未だ天気を晴れをする方法は見つかっていないと書かれていた。

それを読んで僕は、「自分が天気を自在に操れるようになるための研究をして、雨を晴れにすることができるようにしたい!」

と思い、それができたらノーベル賞を受賞することも夢じゃないと考えました。

5) 「Newton」で運命的な出会い


高校生の頃、大学進学を考えていた僕はどこの大学を受験しようか悩んでいました。

そんな時、先ほども登場した科学雑誌「Newton」で人工知能特集をしており、ある記事が目に留まりました。

それは、同志社大学生命医科学部医情報学科の飛龍教授という方がインタビューされていました。

その内容としては、

コウモリが真っ暗な洞窟の中でも仲間であるコウモリ同士がぶつかりません。

その理由は、人間には聞こえないほどの高周波数を超音波として出しており

コウモリがお互いの超音波を聞き分けて読んでいるからです。

そして、その原理を人工知能を応用した自動運転車

歩行者や信号などを認知することができる情報通信システムに搭載できるように開発をしているという研究が紹介されていました。

それを読んだ時僕は、「コウモリの優れている部分に注目してそれを自動運転車に応用できる研究」ってめちゃくちゃかっこいい!

「しかも第3次人工知能ブームが来ている現代において、人工知能を応用していて面白そう!」と思い、

僕もそんな研究をしたいと考え、同志社大学生命医科学部医情報学科を第1志望として受験することを決めました。

そして見事第1志望に合格することができたのです。

(パチパチ👏👏👏)

以上です。

いかがだったでしょうか。

今回は第2弾と言うことで少年期のお話をしました!

次回は、

「オルタナティブストーリー:青少年期編」です。

どうぞお楽しみにお待ちください☺️

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