⑦人って絶対やっちゃいけないタイミングで超基本的なミスしちゃうよね。
「はるの? 聞いてんのか?」
「…はい?」
「いやC社の提案書、お前のパート早く渡してよ」
「あぁすみません。後で送ります」
俺のデスクの前で久山が忙しそうにメール対応している。
俺は買っていたペットボトルの伊右衛門を飲み、目薬を差した。
昨日ほとんど眠ることができなかった。
昨晩、加奈が妊娠したと聞いた。
「おめでとう」とか「ありがとう」とかそんな言葉を掛けてやる事ができなかった。
「そうか。」としか言えなかった。
加奈はそのまま食器の片づけを続けていた。
それから二人で背を向けて、ベッドに横になった。
俺はずっと「妊娠 陽性 間違い」など検索していた。
二年後くらいに結婚し、式をあげ、三年後に子供ができたらいいなぁくらいに考えていた自分を殴りたかった。
久山は俺の前でPCを叩いている。
相変わらずぶつぶつと独り言が多かった。
俺も提案書作らなくては。
「なんかあった?」
「え?」
久山がPCを叩きながら急に俺に問いかけた。
「いや、お前なんか様子おかしいし」
「そんなことないっす」
久山はスーツの内ポケットからアメスピを取り出す。
それから机の引き出しを開けてライターを出した。
「はるの、たばこいくぞ」
「え、俺吸わないっすよ…?」
「いいから」
そう言うと久山は俺を無理やりフロア外へ連れ出した。
久山が連れて行ったのは人が少ない屋外の喫煙所だった。
あいにく、そこには俺と久山しかいなかった。
久山はアメスピをくわえ、火をつける。
それから白い煙を口から出す。
「女か…?」
「え?」
「なんか悩んでんだろ?言ってみろよ。金か? でもお前ギャンブルもやらねえしな」
「いや、その実は…」
「好きな女でもできたか?」
久山は俺を何歳だと思っているのだろう。
好きな子ができたくらいで、俺はこんなそわそわしたりはしない。
「違いますよ…実はその…できちゃったんです」
「え…」
「はい」
「ガキ…?」
久山は口からたばこを外し、大笑いした。
俺は久山をぶん殴りそうになった。笑いごとではないんだ。
久山は笑いながら続けた。
「いやー馬鹿だねー。お前も」
「マジでダメっすよね。俺」
「てかお前彼女いたんだな」
「えーっと…そうっすね。まあ明確に彼女ではないかもしれないんですけど」
「あーそういうパターンね。合コンとかで仲良くなって?」
「はい」
「お互いの家いくようになって?」
「そうですね」
「子供できたんだ?」
「はい」
「うーん。じゃあまとめるとセフレを妊娠させたってこと?」
「違いますよ!セフレじゃないっす。ちゃんと言おうとしてたんすよ!付き合ってくれって」
俺も熱くなった。
そう思われても仕方ないとは思っていたが、そう思ってほしくなかった。
「まぁでも…」
久山はアメスピを深く吸い込んでる。
「きちっと責任取るしかないんじゃないか?」
俺は久山の鋭い視線を浴びた。
クライアントに提案をかける時に肝となる部分を話す時と同じ眼だ。
「それを言うってことは、お前のセフレはもう母親になる気でいるからな」
「はい…」
「上司としてお前の判断を信じるけど、男として後悔しない道選べよ」
「分かりました」
久山はアメスピを消した。
また今度飲み行こうぜ。そう言って先にフロアへ上がっていった。
俺は何となく久山とは距離を取り、遅れて自席に戻った。
久山は25歳で結婚した。子供は小学校中学年だった気がする。
そんなプライベートの話をあまりしたことがなかった。
これを機にもっと久山と話したほうがいいかなと思った。
そんな事を考えていたので、飲みの誘いは嬉しかった。
俺はTeamsを開いて、チャットをする。
「先ほどはありがとうございました。とにかく一旦考えます。とりあえず、僕は女性を妊娠させてしまった件については、内密にお願いします。特に後輩ちゃんには!」
そうチャットして会議に向かった。
会議が終わっても、チャットに返信はなかった。
席に戻ると、久山は俺の前のデスクでいつも通り資料作成をしている。
俺は静かに声を掛けた。
「久山さん?」
「ん?」
「あのチャットの件、お願いしますね?」
「は?」
「いやだから内密にお願いします」
「え…あぁ。」
なんか会話が嚙み合わなかった。
その時俺の頭に電気が流れたような信号が走った。
まさか!
慌てて俺はPCを開いた。
さっきのチャットをみる。送り先を確認する。
そこに久山の名前はなかった。
後輩ちゃんの名前が書かれていた。誤送信だった。
さっきのチャットを俺は後輩ちゃんに送っていた。
既読がついている。
「死にたい…」
思わず声が出た。久山が不思議そうにしている。
前から後輩ちゃんが向かってくるのが見えた。
今日は1on1もある。
どうしよっかなぁ
続く
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