第2章 『引き寄せの法則』体験談
『引き寄せの法則』について具体的な事例と、
どのようにその現象が起こったのか、私なりに振り返りたいと思います。
母の存在
いきなり脇道に逸れます。(笑)
ちょっと家族と、80年代のスピリチュアル界隈の話をします。
先に、簡単に触れておくと、私の体験は少なからず母の影響を受けています。母はすでに6年前に亡くなっているのですが、彼女はヒッピー思想の持ち主でした。
80年代の後半から精神世界へ傾倒していき、どんどんヒッピー思想を形成していった人。
別に、格好がサイケデリックとか、フラワーチルドレンぽいわけではありません。ちょっと、考え方が世間一般とは懸け離れていて、どちらかと言うと、リベラルで精神世界と宇宙への関心が高い人でした。
私は、幼少の頃から母から精神世界についての話を聞かされていたので、
良くも悪くも母の影響を受けました。
洗脳と言えばそうなのかもしれません。
ただ、話しだけではなく、実際に私は母からたくさんの不思議な体験も同時に垣間見せてもらったため、そうした精神世界や宇宙意識については、
自然と信じるようになっていったという流れです。
例えば、毎晩、UFOが家の上空までやって来たり、UFOの大群が現れたり、
それを家族で一緒に鑑賞したり、宇宙人がやって来たり、エネルギーの光を見せてもらったり..などなど。
まぁ、そんなこんなで、母は80年代後半から俗に言うスピリチュアル系へまっしぐらだった訳です。
80年代のニューエイジ
そうそう、80年代と言えば、アメリカを中心に精神世界を扱った本が、急速に出版され始めていた時代でした。日本はバブルの真っ只中。
また、その頃は新たなニューエイジ思想がアメリカを中心に世界へ広がっていった時期でもありました。
例えば、ニューエイジ思想で有名な女優 シャーリー・マクレーンや、
アメリカ人のチャネラーのダリル・アンカ氏が、
バシャールという宇宙存在のメッセージを本にして世に出していた頃です。
なので、だいたい80年代から90年代に精神世界へ傾倒した人たちの家の本棚には、必ずと言っていいほど、シャーリー・マクレーンや、バシャールの本があるはずです! ※ 調べてないけど♡
ちなみに、ポジティブ・シンキングの考え方が一気に広まったのもこの頃。
あとは、音楽の世界でいうエンヤがこのニューエイジ層を中心に、
じわりじわりと口コミで人気になっていった時代です。
もちろん、我が家のBGMもエンヤでした。笑
当時はまだインターネットも誕生していない頃でしたね。
バシャールに関しては、
今でこそ、TVやYouTubeにも取り上げられるようになりましたが、30年以上前の日本ではほとんどの人が知るよしもなかった存在でした。
ダリル・アンカ氏は、87年代に日本に来日していて、
母もそうしたワークショップにいそいそと出掛けて行ってた一人でした。
ただ、この手のワークショップやセミナーは、当時も?とても高額で、
記憶が確かではありませんが、相場は、30万-50万とか普通にしていたと思います。※ 当時を知る人、記憶が不確かですいません♡
そのため裕福でない我が家では、そりゃもう大変な出費だったはず。
そんな訳で、目に見えない世界や価値観、宇宙について意識し始めたのは親の影響が大きかったわけですな。
当時、私はまだ小学校3年生。
偶然の出会いが立て続けに起き始める
そして、月日は流れます。
私は、高校生になったくらいから気になった俳優やタレント、モデル、アーティストを街でよく見かけるようになりました。
道で擦れ違うくらいのものから、飲食店やカフェで隣の席になったり、
駅のホームで隣にいたり、知り合いから紹介されたり、仕事場に現れたり。
比較的、都内に近い横浜に住んでいたこともありますが、
毎週、誰かしらと遭遇する機会が頻繁に起こっていました。
ここでポイントなのが、気になっていた人というところです。
一つ、例をあげると、
2002年
伊勢谷友介氏が監督をした「カクト」という映画を鑑賞した時のことです。
当時、芸大への憧れがあった私は伊勢谷友介氏に関心を持っていました。
その映画「カクト」の劇中、一人だけ気になる俳優がいました。
加瀬亮、という役者さんでした。
加瀬さんの存在と演技は、何故か私の印象に残りました。
映画「カクト」を観た3日間後
東横線の自由ヶ丘駅のホームで電車を待っていると、隣に加瀬亮さんが立っていました。全身、上から下までスナフキンみたいにモスグリーンでコーディネイトされた服。
もちろん、加瀬亮さんだと気づいた私は、すぐに話し掛けたい気持ちに駆られました。
ただ、残念なことに私は彼の名前を知りませんでした。
今、考えたら名前くらい事前に携帯で調べてから話かけたら良かったと思います。
私: 「あのぉ、映画に出られていた人ですよね?」
加瀬さん:「え?はい、そうですけど」
私:「3日前に観た映画に出られていたので、覚えていました。お名前なんて言うんですか?」(超、怪しく失礼なやつ)
加瀬さん:「あ、加瀬と言います」
そんな感じで、失礼を承知で話しかけた私は、加瀬さんと初対面にも関わらず、東横線の車内で、何故か加瀬さんから映画業界への熱い思いを聴かせていただくことになったのです。
結局、目的の駅までの短い車中でのやりとりでしたが、
とても繊細に言葉を選びながら、しかし熱く話すその姿勢が、印象的だったのを覚えています。
私は、十代の頃から頻繁にそうしたシチュエーションに出くわす機会が多かったため、出来るだけそうした巡り合わせや、出会いに遭遇した場面では、自分から相手へ話しかけるようにしていました。
それは、私が無意識の内に宇宙へリクエストした結果だと、どこかで分かっていたからです。宇宙は私のリクエストに反応し、私の前に加瀬さんを現し、彼と接触する機会を与えてくれたとすぐに分かりました。
(関心のない人からすると、すごいサイコパスに聞こえるでしょうね w)
例えば、ことわざに「袖振り合うのも他生の縁」という言葉があるように、
これは何も有名人に限った話ではありません。つまり、すべての出会いには意味があって、それは自分がその人と出会いたいと潜在的に発信していた結果だからです。
極端な話をすると、これまでふとした時に目があった人、
見知らぬ人と、道ですれ違った後に、なぜかお互い同時に振り向き合ったことはないでしょうか?
そうした偶然の一致も、なにか意味があるのではないかと信じています。
それは、日々、見過ごしてしまうような、とても小さな偶然ですが、
接点を持ちたいなら、絶対に自ら話しかけた方が良いと思います。
きっと、素敵な時間になるはずです。
そうした出会いの中で、特に象徴的だったのが、
長谷川潤さんとの出会いでした。
すべては大好きな長谷川 潤さんから
同年、2002年の夏。
私は大ファンの長谷川潤さんとの出会いを果たします!
当時、大学生だった私はちょうど雑誌ViViでモデルとして活躍し始めた長谷川潤さんにガチ恋をしました。
まだ高校生だった彼女が、ViVIの表紙を飾っていたのですが、
コンビニで一目見た瞬間に彼女のファンになってしまいました。
それからというもの、コンビニに行く度にViViを立ち読みしては、
たまにこっそりViViを買って家で読むなど、かなりキテる男でした。
きっと、アイドルのファンになるとはこういう気持ちなんだと、妙に達観した気持ちになったのを覚えています。
それはさておき、初めて長谷川潤さんに出会ったのは、
私が中目黒の商店街をぷらぷらと歩いていた時でした。
ふと、前方に目をやると、100メートル先からでも分かる強烈なオーラを放つ女性が歩いてくるのが見えました。
オーラとは不思議なもので、実際に私は見えたりしないのですが、
長谷川さんだけは、100メートル先からでもまったく違う
空気を放っているのがすぐに感じ取ることができたのでした。
それで、そのオーラを放つ女性が近くまで来た時、
長谷川潤さんだとわかった瞬間は本当に舞いあがりました。
ちょうど偶然にも、手持ちのデジカメがあったため、
長谷川さんに頼み込んでツーショット写真を撮ってもらいました。
月日は流れ、それから2年後。
私はフリーターをしながらぶらぶら毎日を過ごしていました。
そんなある日、求人誌でたまたま見つけた近所にあるフォトスタジオの求人。
スタジオマンの仕事でした。
興味本位で応募し、面接を受けなんとか合格。
たまたまそのスタジオの社長が同じ大学のOBだったのも、
何かの縁だったのかもしれません。
出社初日、期待に胸を膨らませスタジオに入った。
その日、女性誌の撮影があることを聴いていたのですが、
早朝、スタジオ入りしたのがなんと長谷川潤さんでした。
まさに、運命と呼ばずなんと言うのでしょうか!!
それからというもの、私の長谷川潤 魂は、さらにヒートアップ。
それに宇宙が反応するという連鎖が立て続けに起きました。
結局、それから都内に出るたびに
合計5回も長谷川さんと遭遇するのでした。
何度か、私は勇気を振り絞って、彼女に話し掛けました。
私「こんにちわ。お元気ですか?
以前、お仕事一緒にさせていただきましたが、覚えてらっしゃいますか?」
その度、はっきりと、しかも清々しいくらい爽やかに
長谷川さん「あー、ごめん。覚えてないかなぁ〜♪」 と笑顔で一蹴。
私 「ですよね!!」
当然と言えば当然。
こんな何処の誰だか分からないむさくるしい男が長谷川さんのメモリーにあるはずもありません。
こうして私の一方的な片想いは幕を閉じました。
よくアイドルのファンがエスカレートして、
ストーカーにまで発展してしまう事件がありますが、
その気持ち分からなくはありません。
しかし、私の場合、ストーカー行為という姑息な手段ではなく、
真正面から、正々堂々と、引き寄せの法則を使い、
何度となく彼女との遭遇を果たしたのです!
何より、モデルと裏方スタッフという立場の差はありましたが、
一緒の現場で話す機会を得れたのも引き寄せの法則のおかげです。
こうして、その後も、私には波のように奇跡的な出会いが絶え間なく押し寄せてくるのですが、すべてに共通点して言えることは、やはり注意を向けた人との出会いということです。
つづく