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諏訪の神社 合祀編 VOL1

 諏訪地域では、そこかしこに神社がある。諏訪地域出身で、一度も神社に行ったことがないという人はいないだろう。GOOGLEマップで「神社」と検索すると、東京に匹敵するほどの数が見つかる。

 しかし、その神社の拝殿の裏をわざわざ見に行く人は少ないのではないだろうか。だが、これからは是非とも見てみてほしい。

 ほとんどの神社の場合、拝殿の裏には、祠や石碑が立ち並んでいる。

 そこには諏訪の神社の特徴である御柱も立ち並んでいる場合もある。この石碑や祠は実は、ほとんどはもともと神社で祀られていた神たちである。

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 なぜそれらは神社の境内にあるのかは、明治時代にさかのぼる。
 明治時代、明治新政府は神道を国教とした。

 そこで政府は、神社の整備などに関わる費用を減らすために合祀令を出した。合祀とは、神社を合併させて別の神を一つの神社で併せて祀ること。この事自体は、経費削減にもなるが、問題は、地理的状況だった。

 氏子と氏神の距離が遠ざかり、合祀された社のなかには、由来のわからなくなって、祀られなくなってしまった神も多くある。


 これは、地域信仰が薄れる要因の一つとなったのである。神社の威厳を保つための政策は逆にその文化の衰退を招いたのだ。

 諏訪の手長神社にも合祀の爪痕が残っている。境内、鳥居をくぐって右側、そこには、大量の祠がある。

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 少なく見積もっても20以上あるそれらは、規模も様々だ。小さい社殿のような形をした小さな板宮から、十ほどの幟が立ち並んで鳥居もある立派な社殿のあるもの、50㎝程の石祠等様々である。

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すでに一部の社は、風化によるものか崩れかけている。

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 これらはすべて、かつては地域地域で祀られていた神々である。どの祠がどの神を祀っているのかすらわからない。この神々を元通りに祀ることはできないのだろうか。

この神々を元通りに祀ることは今は難しいかもしれないが、そんな時のために、祀られている神々と社名を調べることにした。

(まずは手長神社)


次回は手長神社と上諏訪図書館での調査結果!!!



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