いつの日か無数の傷はきらめいて/ミューズ
「挫折を経験していないように見えるから心配なんだ」
父の言葉がずっと記憶に残っている。
社会人1年目で仕事のできなさに鬱々としていたわたしが、ぽっきり折れてしまうのではという心遣いからの言葉だったのだと思う。
両親に何不自由なく育てられ、部活や勉強に打ち込む平和な学生生活を送り、大学受験も就職も最終的には希望通りで。
筋書きだけ見れば順調そのものなのかもしれないけれど、当然そこには無数の困難や失敗や葛藤があった。
もっと思い返せば、そんなふうに呼べるほどではないくらいのささいな苦しみもたくさんあったと思う。
わたし以外の誰にも知られないような、輪郭のあやふやな感情に苦しめられたこともあった。
終わりの見えない深い夜が、真綿で首を絞められるようなしんどさを連れてやってくることだってあった。
のちのち語られるような分かりやすい"挫折"はなくても、深さも大きさもそれぞれの傷をつくっては、そのたびにそれを癒しながら生きてきた。
傷は癒えようと、傷跡は消えないけれど、それでも。
数年前、明るく朗らかで癒しの存在だった友人が自死していたことを知った。
誰もが無数の傷を隠して生きているのだ、という当然の事実に打ちのめされるしかなかった。
人は苦しみをひた隠しにすることで、わたしはまだ大丈夫なのだと、他でもない自分自身に暗示をかけているのかもしれない。
たとえ、今日が本当に大丈夫ではなくなる日だったとしても。
傷が傷として残っても、それでもいいと態度で示してくれる人がいます。それはやがて傷ではなく、私の、私だけの模様になるのだ、と…
月魚/三浦しをん
傷はわたしだけの模様になる。
ありとあらゆる負の感情も、自分の不甲斐ない姿も、誰かに見せるものではないと思っていた自分にじんわり沁みた。
できることならつらい記憶などなければないほどいいし、大切な人にはしあわせな時間だけが永遠に続いていてほしいけれど、人生はそんなに簡単で生温いものではない。
それに時として、過去の苦悩が、その人の形容し難い魅力や儚いうつくしさを深めることだってあると思うのだ。
だからこそ、その人の纏う模様を、今日ここまでのすべてが反映されたきらめく模様を、わたしがどれほどまぶしくいとおしく思っているか伝え続けたい。
あなたはあなたであるだけで、わたしはわたしであるだけで、それだけでいいのだから。
魔法は永遠じゃない
大切なとき思い出せない
でも言葉は永遠だって
何も変わらず生きているって
透明な雨が降りそそぐ 川は激しく濁り
やがてまた水の底を映す
かがやきは傷の数だけ
いびつな傷跡が乱反射した
戦っている貴方はうつくしい
ミューズ/吉澤嘉代子