7.ストーブの前で丸まること:なくなったら困る100のしあわせ
春を待ち望むときに意識する三寒四温とは、いつ頃から始まるものなのだろうか。
近頃たまにほっとする暖かい日があって、わたしにはもうそれが顔を見せてくれているように感じている。
それでもやっぱりまだ寒い。日差しが春めいているように感じまんまと油断した日には、容赦ない冷たい風に泣きそうになる。
夜が深まるにつれてしんしんと底冷えする部屋に暖房器具は必須だ。
わたしは今、エアコンや加湿器、もこもこパジャマなんかと生活している。
大学生から一人暮らしのわたしは、実家以外でストーブと暮らしたことがない。
長野で学生をしていたときは、冬は痛いくらいの寒さがそれはそれは長く続くので、ストーブを欲したこともあった。
でも管理が何かと大変なので思いきれず、震えながらこたつの中で春を待った。
だからわたしにとってストーブのお世話になるのは、実家に帰ったときだけなのだ。
目の前でほんの少し丸まっているだけですぐに体が温まるので、帰省するたびに感動してしまう。
少し灯油のにおいがするのも、奥の方でぼやっとオレンジの火がゆらめくのも、なんだかいい。
冬は嫌煙しがちだけれどだいすきなアイスだって、ストーブの前でだったら至福のデザートに早変わりだ。
実家のリビングは、ストーブの火力でいつでもぽかぽかに温められている。
そんな家の中心に自然と家族が集まり、一緒にごはんを食べたり、各々の趣味の時間を過ごしたり、ゆるゆると過ごす。
実家という場所はわたしにとって、何者にもならなくていい肩の力が抜ける場所だ。
家族という集いが生む温もりの相乗効果も作用して、あの空間はつくられているのだと思う。
そしてストーブの存在がちょっと特別に感じられるのは、冬の実家で過ごす時にしか味わえないしあわせをもたらしてくれる象徴だからなのかもしれない。
きっとこんな世の中で、多くの人が長く帰省できなかったり、罪悪感を抱えながらこそこそ帰ったりしているのだろう。
早く早く、気兼ねなく家族に会いに行けるようになりますようにと、実家の暖かいリビングを思い出しながら願っている。