【週刊フォルケ滞在記】:)8th week
8週目です。やばい、現実世界に追いついてない。
ということで、今回はこれだけは記録として残しておきたいことだけを書きます。
デンマークでパレスチナに連帯するデモをした
3月2日は、イスラエルによるパレスチナ人虐殺に反対する国際デモがある日だった。
僕たちはその4日くらい前に、デモをデンマークの田舎町で企画することにした。
コペンハーゲンやオーフスとかの大きい街では頻繁にデモが行われてるようだけど、僕たちが住んでるみたいな小さい街ではほぼない。
だからこそ、大きい街に出て行って参加するより、この街でやりたいし、この街でやる方が意味がありそう。ってことで、みんなでデモを作ってみた。
プロテストの準備も、みんなですれば楽しい。
環境に優しい切れ端を使って、みんなの目に留まるように、そして僕たちらしいプロテストを。
デンマークといえど、この田舎の街ではそこまでデモは身近じゃ無いらしい。けど、通りすがったたくさんの人が立ち止まって一緒にいてくれたり、涙を流してくれる人もいた。クラクションを鳴らして応援してくれる人も。
デモをしながら、声が「誰かに」届いている感覚を覚えるのは初めてだった。
日本では、デモをしてたらすれ違う人から舌打ちされたり、カーテンを閉められたり、行くことで頑張ろうと思える時もあれば、精神的に削られる日もある。
ホイスコーレには、ソングブックというものがある。500曲以上が入ってて、みんなで集まる度に歌を歌う。
今回のデモでは、その中から平和や植民地主義からの解放、みたいなテーマの曲をピックアップして、みんなで歌った。
学校に置いてある楽器を集めて。
日本でも、毎日のように虐殺に反対するために声をあげている人がいる。
10月からもうすでにパレスチナでは「子どもだけで」1万3450人が殺されてる。3万人を超える人々が「パレスチナ人だから」という理由で殺されている。
僕たちは、死者の数に慣れすぎてる。
3万人が殺されたということは、友達と遊んで笑ってた子どもが、愛する人と一緒に暮らしていた人が、その一人一人が、3万人以上失われてきたということ。
僕らは、朝鮮人虐殺、南京虐殺、ユダヤ人虐殺、今までの歴史で虐殺を何回も繰り返してきた。
なのに、こんなことが現代社会で起きていいのか?と思ってしまうことが何度も起きている。いまパレスチナのことに声をあげない人が、これから平和を語ることなんてできないと思う。
デンマークではたくさんの人がパレスチナのことを気にかけてる。スマホにイスラエルをボイコットするステッカーを貼ってたり、日常の会話にパレスチナのことを話題にしたり。
みんなパレスチナ人の痛みを感じて、悲しんで、怒って、意思表示してる。
けど、日本では違う。
未だに「ハマスが最初に、、」「戦争って正義と正義のぶつかり合いだし、、」とか言ってるもんね。
そもそもパレスチナで起きてることを街の人に聞いても、知らない人が多いんだろうなと思ってしまう。
けど、僕にはわかるよ。
僕の家族も友達も、日本人のほとんどが子どもが殺されていることに声を上げないのは、パレスチナのことを無視し続けるのは、ニュースを見た次の日には忘れているのは、
「その人たちが人の痛みを感じられないからじゃない」ということを。
みんな、感じた痛みをどうすればいいのか分からないんだよね。
人の痛みは分かるけど、自分が声を上げても変わらないって思ってるから、忘れてすぐに日常に戻る。
けど、だから僕は社会運動をしてる。人の痛みを無かったことにしないために。
デモを振り返りながら、僕は一つ詩を作った。
社会を変えれると思えないと、人や自分の痛みに声を上げる選択肢がなくなる。ほんとは社会の問題なのに、自分が我慢することや相手に我慢させることを選んでしまう。
どんどん痛みに鈍感になっていって、パレスチナで起きていることを「遠い国の話だから」と切り捨ててしまう。
だから僕は同じ思いを持ったみんなと一緒に、社会運動が当たり前の社会を作ろうとしてる。人の痛みや自分の痛みをちゃんと感じて、それを自分の声で解決しようと思える社会を作るために。
パレスチナだけじゃなくて、貧困、基地問題、ジェンダー、核兵器、非正規雇用者、この社会の片隅で苦しんでる人のために声を上げることが当たり前の社会に生きるために。
デモが終わった後に、新聞に載せるための写真を頼まれてたのを忘れてたから、エスケに撮ってもらった。
デンマークっぽい写真でってお願いされてたので、アクティビズムの国デンマークの写真を。
最後まで読んでくれてありがとう。今週は記録じゃなくて気持ちベースになっちゃったけど、それもまたいいね。
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