あの時のあの感じ。
ものよりも経験にお金を出す。
その心意気で、およそ、大学から生きてきた。
その揺るがない考え方はいつからかわからないけれど、読んだ本、観た映画、幸せに感じた時間、
お金との向き合い方から出来上がったものだろう。
森博嗣も同じようなことを言っていた。
時間を投資することは、
経験を得ようとすることである。
『DIE WITH ZERO』(ビル・パーキンス著)では、経験によって” 記憶の配当 ”を得られるという。一度経験すると、その記憶を持った自分で残りの人生を生きられる。配当とは、思い出や経験則など経験によって得られた何か、その全てだろう。
経験することは、コスパがいい。
人生の大事なことをコスパと表現するのは、ちょっともどかしいけれど。
大学生の頃、フランスに短期留学をした。
ホームステイさせてもらったり、
小さな学生寮で過ごした。日曜はスーパーもやってなくて、ただ音楽を聴きながら街まで歩いたり、
公園で果物を食べたりした。
ないものねだりなんだろう。
フランスだからサザンやドリカム、槙原敬之が聴きたくなったりして、ヨーロッパの街並みを見ながら、「どんなときも。」を聴いて、自分の気持ちと重ねて泣いて歩いた日もあった。
それでも自由を感じて、「ああ、これもいつかのかけがえのない思い出になるんだろうな。」と感動していた。
大学時代実家で暮らしていた私にとって、
留学期間は一人の時間が多かった。静かだった。
自分の夢が叶っていると感じているあの気持ち。
寂しくて、自由で、
土地に馴染んでいなくてもそれでよくて、冒険で。
comfortableじゃなくても、嬉しくて。
あの時のあの感じ。
あれからもう7年が経とうとしているけれど、
まだこんなに鮮明に、私の中に残っている。
“記憶の配当”という上手いことばにはまとめたくないけれど、まさにそうだと言わざる得ない。
あの経験をさせてもらえてよかった。
あの経験をさせてあげた自分にも感謝したい。
あの時のあの感じ。
物質的には何も残っていなくても、一生なくさない
確か大きな宝物をもっている感覚。