真実の色がグレーでも。
これはサン=テグジュペリ『夜間飛行』の、
序文を書いたフランスの小説家アンドレ•ジッドのことばです。
当時、24歳の私がこのことばに出会った時、衝撃を受けました。憧れていた東京での一人暮らしや恋愛での出会い、別れ、仕事での自由と責任、全てが忙しなく、落ち着きのない、新しい感情との出会いの毎日。自分が期待していた人生と違ったり、
他人ってやっぱりわからない、と一喜一憂していました。そんな私を納得させるように、見つけたことば。
“正解”とされている「世の中の大多数の意見」しか
知らなかった私は社会がとても複雑に見えました。実際今も、複雑だなあって思う時もたくさんあって、はたまた、いや、人生はシンプルだと思える時もあります。
しかし、アンドレ•ジッドのことばに出会い、
社会人を数年経験してわかったことは、
社会は、
白黒わからないけどきっと分かるはず、と模索する場所ではなく、グレーであることを認め、
受け入れる場所だということ。
グレーをグレーのまま抱え、それでもit’s ok.☺︎と
生きること。
最近読み終わった『サピエンス全史(下)』で、
幸福度は各個人の心が決める、外部環境に因るものではないということが、研究結果から明らかになっていることを知りました。「期待」が高いと、
その期待を下回ったときに、たとえ十分に与えられている環境と呼べようとも、私たちは幸福に感じない。
歴史史上最も物質的に豊かな時代に生き、
責任を取らなければいけない相手はいないし、
自分の快楽以外追求しなくていい私(たち)が
それでも不満そうにしてるのはなんでだろう?
この問いかけに
ああ私のことだ、と思った私はまだ、
幸せは自分の内側が決められるということを
会得していなかったようです。
真実の色がグレーなら、
グレーだなあ、と見つめればいい。
遠くから眺めればいい。
そんなふうに見る時間を持てたり、友達に話してみたりすることができる。
それこそが幸せなのだろう。
真実について、?
幸せについて?
考えすぎてしまうけれど
”そんな”自分でもいいんじゃない?
学んでんじゃない?It’s ok.☺︎
と生きていけたら。