人が美しいとき
会社の上司が輝いて見えたのは突然だった。
駅のホームで乗り換えの電車を待っているときに、急に「ああ、人間としてかっこいいなあ。」と思った。お客さまのこと、部下たちのこと、社内の人間関係や個人的な言い分、全てを抱えてなお、投げ出さず、汗をかいて仕事しているその姿に私は感動を覚えた。輝いているように見えた。
この輝きはサン=テグジュペリが作品の中で教えてくれる「光」と似ている。つまり、自分の使命に責任を持って生きる人は気高いということ。
『人間の大地』の序盤にこんなシーンがある。
サン=テグジュペリがまだラテコエール社で、若手パイロットだった頃。ビュリーという先輩パイロットが、乱気流に飲まれるような悪天候の中、郵便飛行から無事帰還した。ぶっきらぼうな先輩パイロットにねぎらいの意味を込めて、サンテクスが「つらいフライトでしたか?」ときくと、ビュリーは少し考えてから晴れやかに笑い出したという。
サンテクスは、この時のビュリーをこう表現する。
彼の無骨な外見の下から、一人の天使が姿を現した。邪悪なドラゴンに打ち勝った天使だった。
人間の姿でありながら、尊さゆえ発光している。
そのようなイメージだ。
私が上司に対して「かっこいい」と感じた瞬間もまさにそうだった。責任を果たすために、自分自身とたたかっているということ。
毎度棍を詰める君の微笑んだ皺が綺麗
この歌詞も同様に、人が本当に美しい瞬間を切り取っている。外見に覆われた内側にひそむ生きる姿勢の美しさだ。
なぜサン=テグジュペリの作品に、こんなに心が揺さぶられるのかと考えると、彼が教えてくれるのはいつも「精神の勝利」だからだと思う。