涙では語らない、目で語る
映画感想文 『ゲティ家の身代金』監督:リドリー・スコット
私はやたらと泣く。映画を観て泣くし、本を読んで泣く。なんだったら悲しいとかではなく、活躍している"推し”を発見するだけで泣くこともある。ちなみに、生理前は箸を落としただけで泣いている。この間は、窓を開けたらミイラになったカメムシが手のひらに落ちてきて、それだけで泣いた。私にとって涙は切り札ではなく、いつだって大安売り。今泣いてと言われたら結構すぐ、涙を出せる。そんなタイミングないけど。
『ゲティ家の身代金』は実話を元にしたフィクション。アメリカの石油王ジャン・ポール・ゲティの孫が誘拐され、多額の身代金を要求される。すでに離婚してゲティ家を離れていた母のゲイル(演:ミシェル・ウィリアムズ)は、身代金を工面するためにゲティの門を叩くが、ゲティは世界一の金持ちでありながらドケチで、孫のために身代金支払いを拒む。実際にあった事件ではあるが、細部はかなり作られているため、あくまで実話にインスパイアされた作品と考えた方が良い。ちなみに、まじでゲティは身代金支払いを拒み、劇中でも描かれるが、孫の耳が切り取られて送られてくるまで一ビタも払うつもりは無かったようだ。
『ブレイドランナー』からリドリー・スコット監督は好き。『エイリアン』『グラディエーター』『ハンニバル』『オデッセイ』と快作が揃っていて、どれも緊張感の演出が素晴らしい。静と動の入れ替えの匠で、基本「静」なのに唐突に来る「動」に震える。『ゲティ家の身代金』も、史実がそもそもあるので息子が助かるのはわかっているのに、得も言えない緊張感がスクリーンを席巻している。
ゲティ役はもともとケヴィン・スペイシーが演じていたが、少年に対する過去の性的暴行疑惑が持ち上がり、クリストファー・プラマーを招いて撮り直した。この再録の際、マーク・ウォールバーグは150万ドルのギャラを受け取っていたのに対し、ミシェル・ウィリアムズは1,000ドル以下だったという報道がされ、ウォールバークは声明を出した上で150万ドルをミシェル・ウィリアムズの名義で寄付している。作品と関係ないところで残念なエピソードがついて回った作品である。
いやしかし、実際観てみるととても良かった。ケチで嫌味でムカつく偏屈な金持ちをクリストファー・プラマーは完璧に演じた。動きの一つひとつにムカつける。あの目線、指の動き、最高に嫌なやつだった。作品の肝となるゲティの異常さや冷淡さをモノにしていて、こいつには取り付く島もないと圧倒的に思わせる最高の演技だった。アカデミー賞助演男優賞ノミネートは、超絶ロビー活動が背景にあったとしても、納得のいくものだった。ゲティに雇われて事件解決に手を貸す元MIBのチェイスを演じたマーク・ウォールバーグも、なかなか良い。これという見せ場は無いのに、いると空気が引き締まる。
でも一番はミシェル・ウィリアムズ!『マンチェスター・バイ・ザ・シー』の衝撃、再来。あの時は、ボロボロになった元夫に街でばったり出会い、思いの丈を伝えるシーンがあった。短い1シーンなのに、とんでもなく記憶に残っている。台詞の言い方、どもり方(彼女には吃音症がある)、涙の使い方、完璧すぎる。このリアルはなんだと、衝撃を受けた。
今回のミシェル・ウィリアムズは泣かない。息子が誘拐され、身代金が要求される。何度も泣きそうになりながら、息子を助けるために自らを奮い立たせ、泣かない強い母親を演じた。強い母親っていうより、強い女性、いや、強い人間だった。この肝の座り方が、嫁かつ別れたとはいえ、元ゲティ家である証明である。始終ミシェル・ウィリアムズは表情で語りまくるのだけど、最後の最後、彼女の表情で物語が締めくくられる。その時の表情が素晴らしい。泣きそうで泣かない、あの目。想像では、涙が流れるカットも撮るには撮ったんじゃないかと思う。でも、選ばれたのはあの表情。最高だ。ミシェル・ウィリアムズもリドリー・スコットも最高だ。
実際のゲティ家を調べてみると、主人公の元夫ゲティ2世そして誘拐されたゲティ3世ともに、事件後の生涯はかなり悲惨なことになっている。元夫は置いておいて、3世について言えば、まぁ、誘拐されて耳切られて、そんなトラウマ抱えてうまく生きるのって難しいよね、って感じだけれども。手に汗握って無事を祈ったので、ちょっぴり悲しかった。流石に、涙は出なかったけど。