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その愛が本物ならば
映画感想文 『ドクター・ドリトル』 監督:スティーヴン・ギャガン
父方の祖父母の家の2階に、父のかつての部屋があった。部屋の主がいなくなってからは物置になっていたが、本棚だけはそのままで、そこに並んでいたのが「ドリトル先生シリーズ」だ。
調べたところ、父の部屋にあったのは岩波書店から発行されている井伏鱒二先生が訳を努めたもの。箱に入った立派なハードカバーは、著者であるヒュー・ロフティングの挿絵が入り、古いものではあるが美しい状態で保管されていた。当時小学生だった私は、この本を家に持ち帰り、熱心に読んだ。獣医になりたかった子どもだったので、ドリトル先生は言わば心の師であり、弟子らしく近所の犬や猫、鳥の動きから彼らの会話を学ぼうと必死で観察する日々だった。
今思えば、例えばそのアフリカの描写などは完全にステレオタイプなアフリカであり、多分に偏見を含んでいるけれど、その物語の核にある素晴らしさや、動物たちの躍動感、ドリトル先生の動物たちへの愛情には全く瑕疵はない。
『ドクター・ドリトル』の主演がロバートダウニーJrときき、なるほどこれは原作を再現するのではなく、ガイ・リッチーの『シャーロック・ホームズ』のようにかなり原作からアレンジされたものになるのだな、という予想は簡単についた。心優しくぽっちゃりで、つねにシルクハットを被った先生とロバートダウニーJrはあまりにも遠い。
『ドクター・ドリトル』は、はっきり言ってしまえば、子ども向けの王道な物語でありながら、少々論理や設定に飛躍があり、散りばめられたユーモアは中途半端な感じがする。動物たちはすべてCGなので、役者たちはほとんどパントマイムのような演技を要求されていたと思うが、努力は見られるものの、やはり違和感がある。動物たちのアレンジも謎で、性別も性格も、なんだったら種族すら違うものもいる。正直、期待を越えない。
と、ここまで言ったものの、あまりこの作品を腐すことはしたくない。だって、やっぱり、動物たちが喋り、ともに協力し、友情を育み、悲しんだり喜んだりする姿には、素直に楽しみ、喜んでしまったから。
珍しく洋画を吹き替えで見たのだけれど、アニメで活躍されている有名な声優が多く、アニメーション的にとても楽しかった。アニメなら、ユーモアも毒も映像も、これくらいが丁度いい。正直、石田ゆり子さんがしゃべる度(原作のポリネシアとのキャラクターの違いも相まって)現実に引き戻されてしまったのだけれど、誰しもが知る有名声優がわずかな出演にも関わらずこれでもかと出てきて、演技に驚かされる。特に虎のバリーを演じた池田秀一さんの演技は狂おしいほど可愛く、恐ろしかった。
でも、やっぱり、この作品を見ようと決め、わざわざ吹き替えにした理由である、ロバートダウニーJrを吹き替えた藤原啓治さんの声を聞き、演技を感じるたびに喉が詰まった。純粋に映画を楽しむことを望んでいるのではないか、と勝手に推測し、集中しようとするのだけれど、それでも反射的に感傷が襲う。もう一度、純粋に映画として観たいと思う。難しいだろうか。
批判は多いかもしれない。脚本にも気になるところがあるし、原作からもかなり乖離している。動物たちと人間の掛け合いは、なんとも言えない微妙な間がある。それでも、藤原啓治さんが演じるドリトル先生の声から感じる、動物たちへの愛は本物で、それさえ本物なら他は良いんじゃないか、とも思う。