【色んな今日がある】

市役所に行った、長男の障害年金の申請と年金支払いの猶予申請

国民の義務を免除されて生きるということ、喉元をぐっっっと押さえられた気がした

だからなに、ということはなくて、ただ、それだけ

その後、長男のお迎えに行った
濡れるのが嫌いな長男は天気予報チェックは抜かりない男なのだが、持って出た傘を車に置き忘れて出勤
私が待つ駐車場まで小走りでやって来た

「傘、借りてこんかったん?」
「ちょびっとしか降ってないから頑張った」

ふふふ

他人からしたら、だからなに、なんだろうけど長男が濡れるのがどれだけ嫌いか20年見てきたのでこれだけでも成長だったりする

空を見てこれくらいなら行けるかもと思ったんだろうなぁと思うと、ふふふ、となる

いつものように今日の仕事の内容を一生懸命報告してくれる、少しお疲れのようだ
休み明けだからか

次男も帰宅、新入社員の彼もまたお疲れのようだ
彼は長男と真逆で至るところに傘を放置する男で、持って出ても持って帰ってこないはしょっちゅう

「雨、大丈夫やった?」
「あー、オレ帰る時降ってなかったから」

明らかパラパラしてたんだけど、彼の中では降っていないという判断

まぁ一個体として別の生き物なのだから違って当たり前なんだけど雨ひとつとっても兄弟で全然違う

旦那とテレビを見ているとアートを通じてミャンマーの情勢を報道していた

ポップな色使いのポスターなんだけど、日本では考えられない主張が込められていた

ミャンマーにはコロナのワクチンは届いてるんだろうかとぼんやり思った

だからなに、と言われても仕方ないんだけど

一個体として生きている別の生き物の人間それぞれに、それぞれの今日があるんだな、と改めて思った

当たり前なんだけどね

世界平和とかそういうのはちょっとあれなんかもしれないけど

今日が無事に過ぎることと、明日が無事に迎えられること、が当たり前になったらいいなと思う

なんとなく



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