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県境の多摩川を抜けると雪国ではなくなっていた

東急田園都市線の、多摩川以西に自宅がある。れっきとした神奈川県民である。

となると、渋谷・新宿・池袋…都内のどこへ行くにも、多摩川を渡る必要がある。歩かない。電車で。

二子玉川駅と二子新地駅の間に、それはある。幅広い大河川の頭上に、4本のレールがかかる。年に一度、花火大会がおこなわれる時には、電車の窓がおすすめスポットに様変わりする。特別な日でなくとも、河川敷からの眺めはよく、富士山なんかも見られたりする。

多摩川を境に、北は東京都世田谷区。南は神奈川県川崎市。

自分にとって、多摩川を越えるのは、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」かのごとし。県境の多摩川を抜けると、東京である。

幼い頃は、「この川を渡ったらとうきょう!」などと興奮していたものだった。興奮していたはずだった。どこか未開の場所。ベッドタウンから大都市へと足を踏み入れる、ドキドキが確かにあった。

いつの時からだろう。学校に通うために、日々電車を利用するようになってからだろうか。満員電車に揺られ、窓の外を見るゆとりすらない。英単語を覚えるために、私は携帯の画面をじっと見つめる。

生活範囲も広がる。バイト先も東京。学校も東京。誰かとの出会いと別れも東京。「川」による曖昧な線引きは、次第に、自身にとって大きな意味を見出さなくなったのかな、と思う。

トンネルを抜けたら雪国であった、、、かのような刺激は、大人になった今では、ない。


でも、


帰り道。東京から最寄駅へ戻る時。

夕陽がみえる。高層ビルとトンネルが多い都内を抜けて、だだっ広い河川の、そのまた向こうからオレンジの光が窓から挿しこむ。多摩川を抜けて、神奈川に戻ってくる。

それにはどこか安心感がある。実家に戻ってきたかのような(実際に実家に戻ってはいるのだが。)安堵感がある。これで一日、今日も終わったなという実感がある。

幼い頃、東京で目一杯遊んで、電車に揺られて帰る時。「もう帰るのか〜」という寂しい感情を、同じ光景とともに味わった思い出がフラッシュバックする。

月日が経つにつれて、感じることは変わっても、「この多摩川をこえる」ことに意味はあって、「その光景を味わう」ことは続いていた。どこかそれにホッとした自分がいた。

雪国から、多摩川を抜けて帰るとき。

この感情は、まだ楽しんでいたい。それくらいの心のゆとり、子供心はいつまでも持っていたい。

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