文系大学院留学に必要なもの③〜Personal Statement編
こんにちは、Harryです。
1週間以上放置していましたが、別に飽きたとかそういうわけではありません。
単にめんどk忙しかったんですね。だって博論書いているもん。
さて、今回は文系大学院留学に必要なものシリーズ3ということで、Personal Statementについて話していきましょう。
最初に言っておきましょう。今回は真面目です。いつも真面目ですが、極めて真面目です。
そしてもう一つ、これはあくまでも私見なので、当方としてはこの記事を参考にして書いたPersonal Statementがacceptされなくても一切責任を負いません。
では、まずはPersonal Statementってそもそも何よ?というところから始めていきましょう。
<Personal Statementって何?>
Personal Statementとは、簡単にいえば、自分がこれまでどんな人生を歩んできたか、そしてそれがどう自分の研究と関係しているのかを2~3ページくらいで書く例のアレです。
大学によってはPersonal AchievementsやPersonal History Statementなどと呼んだりもしますが、内容はたいして変わりません。
日本の人文系大学院入試においてはほとんど見たことがありませんが、ビジネスマンが多いMBAなどでは、おそらく自分の職務経験などを書く必要があるのではないかと推測しますが、多分そんな感じです。
簡単に言えば、アカデミア外でしてきたことが、自身のアカデミックな問いとどう関係しているのかを書くものですね。
Statement of Purposeとの違いはそこにあります。
Statement of Purposeは、主にこれまでの自身の研究に基づいて、何をしたいかを書くものです。
一方、Personal Statementは、もちろんこれまでの研究の経緯を書いてもいいですが、それに加えて、より個人的なバックグラウンドがどのように自身が博士課程で研究することに妥当性を与えているかを書く必要があります。
ちなみにこれは、必要な大学とそうでない大学があります。
受験要項をよく読みましょう。
<何を書くべきなのか?>
じゃあ、一体何を書いたらいいのか?
ある程度以上のアメリカの大学の博士課程への入学試験は、競争率が非常に高いです。
5~10人程度の入学枠に、百単位の応募があると聞きます。
なのでそういう中で選考漏れしないためには、大学院で研究することが絶対必要なんだということ示すための説得力のある文章が不可欠です。
じゃあ、何を持って説得力があるとみなされるのか?
簡単に言えば、自分のアイデンティティが自身の研究に結びついていればいるほど、その研究を行うことに説得力を与えます。
アイデンティティとは、ここでは例えば、人種、ジェンダー、階級といった社会が個人を規定し、個人もまたそれに自己を同定するもの、と考えてください。例えば「日本人」とか。
このような社会的、個人的アイデンティティにおいてこれまで自分がどのような疑問を抱いてきたか。
そして、自分の研究によってその疑問が社会的、個人的にどう解決されるのかを示すことで、自分の研究を行うことの価値づけと妥当性が出てきます。
めちゃくちゃ単純化した例を示すとこんな感じ。
「自分は日系移民の家系で、代々アジア人が集まる地域に住んできた。そこではアジア人への差別が黙認されていて、自身もそうした差別を経験してきた。そのような実態の暴露とアジア人の連帯の可能性を示しているのが、◯◯という文学/映画/絵画/写真etcだ。だから私は◯◯という作品を研究します。」
ね。はいどうぞ、やってください。あなたにしかできません。ってなるでしょ?
<アメリカにおける人文学>
ここからは少し余談です。
上で見たように、アメリカの人文系の学問は政治的、社会的問題と強固に結びついています。
というか切っても切り離せないということをきちんと自覚しているんですね。
なので「芸術を政治と結びつけるな」というクリシェは通用しません。
もちろん、「芸術のための芸術」という考え方もありますが、それは基本的に「中産階級的イデオロギーに過ぎない」という批判から逃れることはできません。
つまり、その発想は社会的弱者のためにならないということです。
なのでまあ、アメリカのアカデミアでは、芸術活動も人間の政治的マニフェステーションの一部であると考えられているわけですね。
アメリカで人文系の学問をするということは、多くの場合、自己のアイデンティティを批判的に見つめ直すことであり、自分と同じようなアイデンティティを持つ人々の問題解決に役に立とうとする行為でもあるのです。
そうであればこそ、人文学の研究からフェミニズムやLGBTQ運動、BLM、Anti-Asian Racism、動労階級によるストライキ、帝国主義批判などといった社会的、政治的ムーブメントに寄与する動きが見られるわけです。
一方で、こういうアカデミアの態度について回るのが、アイデンティティ・ポリティックスという問題です。
これは、簡単に言えばですね、例えば、アジア人じゃなきゃアジアの研究しちゃいかんのか?という問題です。
白人だから、黒人だから、アジア人だから、男だから、女だから等々という区別は、時として排他的に機能してしまいます。
当事者以外が問題に介入する余地を無くしてしまうわけですね。
そうすると、例えばアメリカの音楽の研究をしたいという日本人が、アメリカ人ではないという理由でその分野から排除されてしまう可能性が出てくる。
こういうナイーブな問題は、あからさまに表に出てくることはありませんが、しかし水面下で残っているような気がしてなりません。
実際、特定の分野には特定の人種的、ジェンダー的、階級的アイデンティティを持った人が集まっています。
私は稀な方で、「なんで日本人なのにアメリカの研究してるの?」とよく言われました。
おそらく皆さんもアメリカに留学されたら否が応にでも「日本人」であることを意識させられるでしょう。
<まとめ>
はい、まとめです。
Personal Statementでは、より個人的なバックグラウンドと研究との結びつきが見られるということ。
その時に、研究と自分のアイデンティティが関係しているとなお良いということです。
日本人でアメリカの文化研究がしたいと思う人は、ぜひ日本と接続させてみてください。
誰も知らないことであれば、まあまあ興味を持ってもらえると思います。
ちなみに、とりわけ特別なバックグラウンドもない私は、日本のアカデミアにおける放浪(つまり適当にフラフラしてたこと)を、あたかも運命の導きであるかのようにでっち上げて自分の研究に結びつけることで事なきを得ました。
いや、Personal Statementを出した大学はことごとく落ちたので、大事故の間違いでした。大変申し訳ありませんでした。
とまあ、ここまで散々書いてきましたが、私見ですので参考程度に聞いていただければと思います。
というか、まず自分の指導教授と相談しろ。
未然に防げる事故は防ごう。
Harry