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#4【教育】「先生」という立場に胡座をかいてはいけない
おはようございます。小学校教員のハリーです。
昨日から学校の授業が再開しました。
子どもたちの姿が学校に戻ってくると、本来の姿を取り戻したように学校全体が息をしているかのように感じられます。
先生としても、あらためて気持ちがシャキッとする瞬間です。
自分の中には「先生スイッチ」なるものがあると感じます。
普段、退勤して家でのんびり過ごしているときや、特に夏休みや冬休みなどの長期休みのときはOFF。
一方で、学校の子どもたちの顔を見たその瞬間に、ON!
先生の顔になり、(阿修羅面「先生」!)
先生の言葉を発するようになります。
それは、子どもも同様なのかもしれません。
家の顔だったけれど、学校に入った瞬間、先生の顔を見た瞬間、
子どもも学校の子どもとしての顔に切り替わるような気がします。
お互いに「学校」という場で顔を合わせ、
「先生」と「児童」という立場であっているからこそ、教育活動が成り立っていると考えられます。
しかし、先生はその「先生としての立場」に胡座をかいてはいけないと思うのです。
先生の言葉だから子どもが言うことを聞くからといって、
その言葉には責任を持たなきゃいけないと感じます。
子どもが自ら考えて行動できる、自律した人間になるために、その心を育てるために、
先生は言葉に責任を持って子どもに伝えていくことが求められます。
子どもの心を育てるために、今日はどんな言葉を伝えようか。