#5【教育】「早い」ことが本当にいいことなのか考える
おはようございます。小学校教員のハリーです。
大人が子どもに対して「早くしなさい!」という場面、ありますよね。
・出かける準備をしているとき
・朝の支度
つい簡単に注意する際に言ってしまいがちな、この言葉。
学校でも同様に、子どもに「早くしなさい」という場面があります。
・別な教室に移動するときに手間取っているとき
・授業が始まっているのにまだ着席していないとき
この「早い」という状態について、今日は考えたいのです。
逆に、行動が素早い子どもに対して、「早いね。」と褒めることもあります。
この「早い」という状態の解像度を上げると、別な見方ができます。
・きちんと準備をしていた
・人の話をよく聞いて行動していた
・周囲をよく見て行動した
様々な捉え方、そして褒め方があります。
これらをまとめて「早いね!」というフレーズに落とし込むのは、危険性があると感じます。
それは「早い=良いこと」という誤解を子どもに与えることです。
時と場合によって、「ゆっくり」「丁寧」な行動が求められることもありますよね。
感謝の気持ちを伝えるときに、
LINEで「ありがとう!」と伝える素早さも一つの価値ですが、
お手紙を、じっくり時間をかけて書くことで伝わるものもあります。
「早い」という価値だけが子どもに伝わらないように、その伝え方には工夫が必要です。
また、「早い」以外にも、大人が子どもに「良い」とするフレーズがあります。
「お利口だね」「できたね」
この褒め言葉自体が悪いわけではありませんが、これだけを伝え続けることも危険性があると感じます。
それは、「大人にとって都合のいいこどもを育てるだけ」になる可能性があるからです。
「お利口」は、大人のいうことやルールをきちんと守っている状態。
しかし、ときにはその枠を外れて、子どもの自由な発想や行動で個性が伸びることもあります。
「できたね」は、物事の成功を評価する言葉。
しかし、ときには失敗をすることで学ぶこともあり、失敗が人の心を強くすることもあります。
大人が扱いやすい子どもを育てるために、これらの言葉を発していないか。
自分の言葉に対して批判的な視点は忘れないようにしたいです。
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