見出し画像

僕がキャバクラに行ったら誰も幸せにならない世界が爆誕した。

 最後にキャバクラ行ったのは約6年前、豪華客船で働く前のことで、当時僕は医療法人の事務長を任されていました。

その時の院長先生がご飯を食べた後の二軒目として、僕をよくキャバクラに連れて行ってくれました。

寂れた地方都市の歓楽街で毎日飲んで、美味しいご飯をご馳走になり、その後にキャバクラに連れていってもらうというのが当時のルーティンで、少なくても週3回くらいはそんなことを繰り返していたと思います。

当時院長と飲み歩いていた歓楽街。

一時は全盛を極めたその歓楽街の没落ぶりは見事なまでで、毎日いろいろなお店に連れていってもらったのですが、院長と僕しかお客さんがいないという事はしばしばありました。

僕は苦手なお酒をちびちび飲みながら

「ここのお店の経営大丈夫なのかなぁ。」

「院長が飲み歩きをやめれば、この辺一帯の飲食店やキャバクラは軒並み潰れるんじゃないか。」

なんてことを、くたびれたソファーに腰を下ろし、古びたお酒のポスターを眺めながら考え、毎日を過ごしていました。


そんな僕が訪れた6年ぶりのキャバクラ。

久しぶりに会った先輩がご飯のあとに行くというので、ご一緒させてもらいました。

建て付けが悪く、少し重くなったドアを恐る恐る開けるとタイトなドレスに身を包んだ綺麗な女性が立っていて、僕らを笑顔で迎えてくれました。

6年前、妖艶なドレスに身を包む綺麗な女性たちを前に、目のやりどころに困ったり、たじろいでしまうことがあった僕でしたが、歳をとって良かったなと思うことは顔立ちの美しい女性にどぎまぎしなくなったことです。

昔は女の子が綺麗だったり、可愛かったりするだけで好みに関わらずうまく話せませんでした。

でも今は「モテるでしょ。」とか「随分お綺麗ですね。」なんてことを言えるようになりました。


店の一番奥の席に案内された僕らはソファーに座り、先輩はキープしていた ウイスキーのボトルをボーイに持ってきてもらうよう頼みました。

そうこうしているうちに最初の女の子たちが僕らの隣に座り、挨拶を始めました。

こういった類の仕事をしている女性たちは、個人のパーソナルスペースをシリアの国境ぐらい簡単に越えてくるので、僕は隣の至近距離から彼女たちがウイスキーの水割りを作る姿をまじまじと眺めていました。


女の子は2〜30分を目処に、代わる代わる新しい子がやってきました。その度に

「このお店に来る前はどこに行ってたんですかー?」

「何食べて来たんですかー?」

という当たり障りの無い質問が始まります。

この日一緒にいた先輩と僕は、鍼灸の学校で知り合ったので、2人の関係性を聞かれると、どうしても仕事関係の話にいってしまいがちです。

そこから船の話になると

「世界一周ですか?」

「日本食が恋しくなったりしますか?」

「どこの国が1番良かったですか?」

等の質問が始まります。

思うのですがこれって、僕がセミナーで多少なりともお金もらってお話ししている内容と同じなんですよね。

もう豪華客船についての話はブログ等で結構書いてきたので、その業界にこれから入りたい人に話すならともかく、ましてやこっちがお金を払ってまで話したい内容ではないのです。

今自分が興味あるテーマである、日本人の封建的自我(世間)と個人主義的自我における他責、自責の考え方と使い分けについて(人はTPOに応じて上司、会社、社会のせいにする一方、自分の自由にさせてくれ。という矛盾について書かれた内容)なら、考えをまとめるという点においても、僕がそれについて話すのは苦じゃ無いのですが。

あとは女の子たちが自分に本当に興味があることが伝わってくれば、もう少しマシな回答をしたでしょうが、相手も僕のことを小指の爪の先ほどにも気にしていないことが伝わってくるので、僕の回答も投げやりになってしまいます。

ただ間違ってほしくないのは、僕は別に彼女たちにプロフェッショナル意識が足りないとか、そういうことを糾弾したいわけではないのです。

そもそも一番の問題は僕自身のモチベーションです。

僕としても、あと1ヶ月と無い日本に滞在する期間の中で、キャバクラの女の子たちと仲良くなり、万が一の奇跡が起こり彼女たちと恋人になれたとしても、僕は日本にいないので、この女の子を何としてでも落とそうというモチベーションがまず湧いてこないのです。

彼女たちも彼女たちで、こんな見るからにお金を持って無さそうな、全身ユニクロをまとった、イオンモールでよく見る男性の象徴のような何の特徴も無い若者の僕に対して、それほどの労力を割こうとしないというのは、とても賢明な判断だと思います。

なので、今回楽しめなかったのは僕自身のモチベーションという面が大きく、それに対してキャバクラの女の子たちや、連れていってもらった先輩になんだか申し訳なかったなー。と思ったというのが僕の伝えたいところなのです。

例えば僕が豪華客船でゲストに対してコンサル(予約を取る前の段階の無料の個別健康相談のようなのもの)をしている時に、明らかに治療の予約を取る気がなく情報だけが欲しい人、または無料だから単に興味本位できた人(これは自分の経験上インド人に多いのですが)が来た場合、そういう人は感覚的に分かります。

これらのゲストを相手にしないといけない時、こちらから治療を最終的に受けるか受けないか、「結局のところどうしますか?」というクロージングを2回ぐらいしたら

「今回はやめとくよー。」や、「この旅行は忙しいから、また家に帰った時に治療を始めるねー。」

なんて言って帰っていきます。

これらの人に必要以上の時間を割くことはお互いにとって何の生産性を生まないことを分かっているので20分もせず、コンサルは終了します。

このように治療を受けるにしても、受けないにしてもお互い気持ち良く終われるわけですが、キャバクラの場合、彼女たちはお喋りすることが仕事なので、僕が席を立たない限り、彼女たちは何かしらの質問ぶつけるなりして、話を続けないといけないわけです。

いわば僕らの業界で言えば、僕はこの時、治療を受ける気がないのにいつまでたっても施術ベッドから動かない患者さんのような状態というわけです。


画像1


女の子は控えめに言って可愛い子が多かったですし、兵庫県の中堅都市にある駅近くのキャバクラで、これだけの女性たちを揃えたのは賞賛すべきところだと思いました。 

そして一人一人、僕の隣に座って話を盛り上げようとしてくれた女の子たちのプロフェッショナル意識も低かったとはとても思いません。

ただ、先輩に奢ってもらったお会計が35,000円だと聞いて

「35,000円あればジョージア国では約1ヶ月生活できるな。」

なんて思ってしまう今の僕にとって、キャバクラとは誰も悪くないのに誰も幸せにならない世界が爆誕するだけだということを、今回の経験により知ることができました。


なお連れていってもらった先輩にはとてもお世話になっているので、先輩がジョージア国に来た際、お礼にヒンカリをお腹いっぱいご馳走しようと思っています。

画像2

※ヒンカリとはジョージア国の郷土料理で小籠包と肉まんの美味しい所取りをしたような、夢のような料理。とてもリーズナブルでもある。


では今日はこの辺でVon voyage!



自分のyoutube

twitter

blog

著書


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?