恥の多い少年時代を送ってきました
太宰治の『人間失格』の冒頭の一文から始まる言葉がある。それとは別の意味で、「恥の多い少年時代」を送ってきた。
私は小学校時代から問題行動が多々あったことを思い返す。人を信用することができなくなった。他人を思いやる心すら無くなった。人に対して嘘をついたり、不快に思うような嫌がらせをしたこともあった。
その経験の中で私が何よりも耐えがたかったのは、性的な観察を起こしたことだ。
私は「エロ少年」だった。スケベに目覚めるのが早かった。
小学校に進学する前の出来事のこと。バラエティー番組が録画されたVHSビデオを観ていた時、番組終了後に早送りで操作したらなぜか性愛に関する深夜番組まで録画されていたのだ。
バスルームで身体を洗う全裸の女性の姿をまじまじと観ていた。思わず魅入ってしまった。
まさしく私はエロのエクスタシー(最高潮)に達していた。
そんな時にリビングにやってきた母からこう言われた。
そのまま巻き戻された。鼻血こそ出なかったものの、私は口をポカーンと開けながらテレビの画面をずっと凝視していた。
性愛に関する映像体験が、学校での行動で露わになってしまった。
体育の時間になって着替えの準備に入った時のこと。
私はクラスメートの女子生徒が着替える姿をまじまじと見ていた。
周囲から「あの子いやらしくない?」「何だこいつ。ジロジロ見てきてヤバい!」と奇異な目で見られていた。また、別の日にある女子生徒から「見ないで!目をつぶって!」と言われた。実に始末に負えない。
自分の中では決してあってはならない行動である。しかし、なぜ男女別に更衣室を設けずに共同の教室で生着替えをするのか、という疑問が浮かんだが、単なる言い訳でしかない。
対象的に、海外の学校では、体育やスポーツイベントなどの行事をやる時は一般に男女別の更衣室を設けている。そこに文化の違いがあるのかは分からない。
私はクラスメートの女性たちの心を傷つけた。自分がどれだけ破廉恥な所業をしでかしたことか。
愚劣な行動だったことを思い、うつむいていた。