「お兄ちゃん」と呼んでくれない

 幼少期に受けた心の傷を抱えてから、私は徐々に誰にも承認されていないと思い始めた。
 「私はなぜ人間関係がうまくいかないのか。」
 「なぜ他人を傷つけるようなことをするのか。」
   そんな思いに囚われていた。

 そのトラウマを家族に話しても理解してくれず。どつぼのように悩んでいった。

 私には妹がいる。だが、これまで一回も彼女から「お兄ちゃん」と呼んでくれたことがない。一体どうしてなのだろう。

 妹は自身が描いた理想の「お兄ちゃん像」と現実の私との乖離が大きかったのかもしれない。

 小学生だった私は妹に溺愛していた。I love you.と言い聞かせて、ほっぺすりすりをしたりベタベタのスキンシップをやったりしていた。

 また、妹の両腕を上に挙げて、ゴリラが喜んでいるような踊りを強要したことが何度もあった。いわば「ウホウホダンス」だ。不機嫌な気分だったに違いない。
 当時の私は、妹と一緒に「ウッホ!ウッホッホ!」と声高に叫びなから、両親に兄弟愛を示したかったのだと思う。たとえ自分が嬉しいことだったとしても、妹にとってははた迷惑だったはずだ。彼女は苦痛に満ちた表情を浮かべていた。実に滑稽なありさまだった。

 その行動はかえって妹の自尊心を傷つけることになってしまった。「気持ち悪い兄だな!」と思ったのだろう。その経験が引き金になってしまったからか、妹の様子は変わってしまった。いつしか私への印象は「気持ち悪くて面倒くさい兄」だと思われるようになった。

 またある日のこと。家で泣き止まない妹の姿に腹を立て、不意に彼女のお腹を踏みつけたこともあった。口から異物を吐き出し、服にかけて嘔吐物が広がっていった。それを見た母は身の毛もよだつ思いだった。妹に暴力を振るった私に対して怒鳴り声が上げ、泣き崩れていった。事の深刻さを理解していない私は真顔で立っていたことを今でも覚えている。

 今更ながら妹に「許してください。」と言えるはずがない。ましてや彼女も心のどこかで「許さない」という感情を抱えているからだ。

 妹は中学生になった頃、両親との仲があまり良くなかった。その上、私からの歪な愛情の影響により、彼女は次第に自尊感情が低くなってしまった。その後、思春期を迎えた妹は荒野に生えるサボテンのように刺々しい性格になった。

 何か気に障るようなことを言うと、「針で突き刺してやる!」と言わんばかりに、万人が近寄りがたいほどのオーラを放っていた。

 妹は「兄になめられるほどの軽い女なんだ。」という意識が強烈なものとなり、心を閉ざしてしまった。

 思春期以降、私と妹との関係は希薄になった。あまり会話を楽しむようなことがなかった。「お兄ちゃん」と呼んでくれないほど、兄弟愛は遠いものになった。

 妹が見た私の姿は、知性・品性・人間性に欠けていた兄の存在だった。

 私は自分なりの愛情を注いだにも関わらず、完全に背を向けられてしまったことに寂寞せきばくたる思いでしかない。

 「大袈裟だな。」と溜め息をつくかもしれない。だが、当時の私はそう思えてならなかった。

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ハリス・ポーター
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