新生代モダンホラーの旗手、ジョー・ヒル著『怪奇日和』東雅夫さん解説
『怪奇日和』ジョー・ヒル 著
解説
東雅夫
『天気の子 』(2019)を御存知だろうか?
『君の名は。 』(2016)の大ヒットで知られる新海誠が、原作・脚本・監督を務めた最新のアニメーション映画である。
ちょうどこの原稿に着手する直前、ツイッターのタイムラインで、「(RT言及)『天気の子』、言われてみれば悪人がほぼいない『夜叉ヶ池』だ……。」(ミステリ評論家の千街晶之氏 による8月10日付けツイート)などと、文豪・泉鏡花の妖怪戯曲『夜叉ヶ池』との共通点を指摘する声が散見されたので、あわてて上映館に駆けつけることになった。
なるほど『夜叉ヶ池』では、岐阜と福井の県境付近にある山麓の村が、龍神の怒りを体現した巨大な山津波で壊滅するが、『天気の子』では異常気象による長雨で、近未来の東京が水没に瀕することとなるのだった。
奇しくもそのとき、私の鞄の中には、本書『怪奇日和』のゲラが入っていた。
ちょうど「棘の雨」にさしかかったところで――
雨が降ったとき、ほとんどの人が外でその雨に捕まった。
もしかしたら、なぜそんなに大勢が最初の土砂降りで死んだのか疑問に思う人もいるかもしれない。その場にいなかった人々は、“ボールダーの住民は、雨が降ったら屋内に入るくらいの常識もないのか?”というかもしれない。まあ、話を聞いてほしい。
――という出色の冒頭部分に始まる、圧倒的なストーリーテリングに魅了されて、映画館へ向かう途中も(もちろん戻りの時間にも)、ゲラから目を離せなくなったのだ。
久方ぶりに味わう問答無用の、そして至福の読書体験となった。
ヒルのデビュー作『20世紀の幽霊たち 』(2005)が2008年に邦訳刊行された際、私は巻末解説で「喜悦の念とともに本書のゲラを一心不乱に読み耽りながら私は、この丹念に造りこまれた一巻の作品集が、現代ホラーの歴史に新たな一時代を画するに足るパワーを秘めた逸品であることを、強く確信した」と記したが、あれから十余年の歳月を経た今、当時の直感が、まことに正鵠を射ていたことに深い歓びを感じている次第。
さて、本書は、現代米国におけるモダンホラー/怪奇幻想文学の旗手として活躍を続けているジョー・ヒルの中篇集で、それぞれ異なるタイプの奇想 横溢する四作品が収められている。書名の原題はSTRANGE WEATHER(2017)で、直訳すれば『奇妙な天気』といったところか。以下、収録順に所感を記そう。
「スナップショット」Snapshot
アルツハイマーと老老介護、そして謎めいた魔性の男をめぐる物語。
とりわけ、怪しいポラロイド(風の)カメラを手にして暗躍する、通称「フェニキア人」のキャラクターが素晴らしい。作中の「幽霊に色があるのなら、荒れ狂う寸前の八月の激しい雷雨の色だ」という目の覚めるように鮮烈な一節から、私はレイ・ブラッドベリの名作長篇『何かが道をやってくる』に登場する、あの忘れがたい「避雷針を売る男」を懐かしく想起した。
もとよりそのルーツは、これまた米国幻想文学における卓越した幻視者のひとりであるハーマン・メルヴィルの短篇「避雷針売り」へとさかのぼるものだろう。ちなみにブラッドベリは若い頃、メルヴィルの代表作『白鯨』の映画脚本を手がけている(そのときの体験を描いた『緑の影、白い鯨』という長篇もある)。メルヴィル、ブラッドベリ、ヒルと、見え隠れしながら続くアメリカン・ナイトメアの系譜。
不穏な予兆に満ちた迫りくる雷雨のイメージは、「気象」を共通のモチーフとする本書の通奏低音となってゆく。
最後に明かされる、怪カメラの驚くべき正体は、いかにも作者が好みそうなテイストだ。
「こめられた銃弾」Loaded
少女時代、あこがれの幼馴染を警官の誤認で射殺された黒人女性ジャーナリスト。
不名誉な除隊、DV(家庭内暴力)による家庭崩壊を経て、内なる暴力衝動に駆り立てられるショッピングセンターの警備員。
ガンマニアの経営者と不倫を続ける若い女性店員。
マスコミ受けを最優先に考えて立ち回る警察署長。
そして刻々と広がりゆく山火事の猛煙……現代米国社会のさまざまな病巣を抱えた登場人物たちの錯綜する軌跡が一点に交わるとき、未曾有の惨劇が。
本書の収録作品中では最もリアリスティックな異色作だが、どこに着地するのか最後まで予断を許さぬ緊密な構成が光る。そしてこの容赦ない幕切れよ。
「雲島」Aloft
ここで一転、『ノンちゃん雲に乗る 』ならぬ、オタク青年が雲に乗る奇想天外な物語が幕を開ける。
ふとしたきっかけから、女性デュオとの交流が始まり、やがて音楽トリオを結成したチェロ奏者の内気な青年。叶わぬ片思いの果て英国留学に旅立った彼のもとに届いたのは、デュオのもう片方の女性が、不治の病に倒れたという報せだった。
亡き女友達の遺した願いで、決死のスカイダイビングに初挑戦した青年は、なぜか自在に実体化する奇妙な雲塊に着地してしまい……。
どことなく日本産のテレビ・ゲーム画面にも通ずるような、一見のどかだが空恐ろしい異世界の描写が魅力的だ。続く「棘の雨」における恐怖の雨雲との対比・照応も鮮やかである。
「棘の雨」Rain
おそらくは本書が編まれる一契機になったのではないかと思われる、全篇の白眉というべき傑作。LGBT(セクシュアル・マイノリティ)とテロとカルトと世界の終わりをめぐる気宇壮大な物語だ。
8月の炎天下、米国の一地方都市に突如として降りそそぐ、奇妙な雨。それは水滴ではなく、万物を切り裂く鋭い棘状の結晶体から成っていた。主人公の女性は、熱愛期間を経て正式に同居することになった恋人(こちらも女性)とその母親が、死の雨に見舞われ無残な最期を遂げるさまを目の当たりする。恋人の父親に妻子の死を知らせるため、彼女は単身、おびただしい屍体と棘に覆われた幹線道路を、一路デンヴァー目指して歩き始めるのだが……。
死臭ただようなか、仮設の埋葬所へと次々に運び込まれる大量の遺体、懸命の救助活動をおこなう軍隊と警察、企業ボランティアにより開設された救護所……2001年9月11日に米国で、2011年3月11日にはこの日本の東北で、まぎれもない現実と化した光景が、抑制の効いた筆致で描き出されてゆく。
混乱に乗じて暗躍するカルト教団、イスラム組織によるテロと断じて核攻撃に踏み切る政府……まさに今この現実と地続きの近未来恐怖絵図が繰り広げられたあげく、終盤に至って明かされる驚愕の真相とは?
平成が終わり令和が始まる絶妙なタイミングで邦訳刊行された本書は、米国のみならず日本においても、ことのほか身に迫る、同時代の物語(モダンホラー)たりえていると思う。
そう、この世には、ホラーや幻想文学でなければ語りえない現実(リアル)が、たしかにあるのだ。
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