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死体なき奇妙な殺人事件─―ラスト1 0 頁であなたも驚愕する。話題のコニャック・ミステリー大賞受賞作スペシャル試し読み!

『あんたを殺したかった』――タイトルからドキッとさせられる本作は、オリンピックの記憶も新しいフランス・パリから届いた傑作ミステリー。

男を殺し、死体を焼いたと言って若い女が出頭してきた。
レイプされそうになり、反撃したという。
ヴェルサイユ警察のドゥギール警視は“被疑者”ローラの自白に従い
捜査を開始するが、死体はおろか犯罪の形跡すら見つからない。
正当防衛か、冷酷な計画殺人か?
手がかりは全て教えた――ローラはそう言って黙秘するが、
別の被害者を示唆する証拠が新たに発見され……。

あらすじより

被疑者ローラはなぜ自ら出頭してきたのか? 死体はどこにあるのか? 彼女の真の目的はいったい何なのか? 
ヴェルサイユ警察犯罪捜査課を率いるドゥギール警視とともに、読書はのっけから「死体なき殺人事件」の渦中に引き込まれます。
事件現場からは物的証拠が何ひとつ見つからなかった一方、ローラの家宅捜索では血痕のついたスニーカーが発見されます。その血痕がまた謎を深めるもので……。


👇ここが読みどころ

  • フランスの著名な文学賞コニャック・ミステリー大賞受賞作

  • 336頁という短さ

  • なのに短さを感じさせない濃度

  • 日本の警察小説を彷彿とさせる個性豊かな犯罪捜査課メンバー

  • 死体捜索犬、考古人類学者、憲兵隊などの魅力的な脇役陣

  • フランスの司法制度/拘置所の実状におけるリアルな描写

著者ペトロニーユ・ロスタニャは上海とドバイで10年間企業のマーケティングに携わったのち、2015年から本格的に犯罪小説の執筆をはじめ、6作目に当たる本作(原題 J'aurais aimé tetuer)が2022年コニャック・ミステリー大賞を受賞。今もっとも注目されるフランスの新鋭作家のひとりと言われています。

そんな旬の作品を一部抜粋し、特別に試し読み公開! 気になった方はぜひ全国書店さんでチェックしてみてください。編集部(O)


『あんたを殺したかった』(ペロトニーユ・ロスタニャ著/池畑奈央子[監訳]山本怜奈[訳])本編より

 ダミアン・ドゥギール警視はプラスチックカップに黒っぽい液体が注がれるのを眺めていた。この中に上限いっぱいのカフェインが含まれていることを願いながら。
 自動販売機からサイン音が鳴り、コーヒーができあがった。ダミアンは最初のひと口に舌鼓を打った。そのとき、自販機のガラスに自分の姿が映っていることに気づいた。足を止め、しばし観察してみる。三十代半ばに見えるその男は、上背があって、肩幅も広い。どちらかといえば整った顔立ちで、褐色の髪を短く切っているが、こめかみには早くも白いものが交じっている。三日剃っていないひげと碧い瞳のまわりが黒ずんでいるせいで、疲れて見える。もし見た目から職業を判断するなら、とても刑事には見えないだろう。むしろ、メガバンク勤めのビジネスマンか弁護士といったところだ。スマートで洗練された雰囲気がないこともない。引き締まって均整のとれた長い脚のおかげで、がっしりとした体形の多くの同僚とは違って、かなりスリムに見える。この体形が犯罪捜査課における自分の役割を決めているのだろうか? つまり、体ではなく頭を使えと。
 自分以外、班のメンバーはまだ誰も登庁していない。部屋はしばらく静かだ。おかげで仕事が捗るというものだ。同じスペースに五人の仲間がいる環境では、常に仕事に集中できるとは限らない。ダミアンはパソコンを立ちあげ、山と積んだ書類の一番上にあったものを取って、ペンを握り、仕事に取りかかった。

 十分後、電話が鳴った。ダミアンは書類から目を離さないまま、受話器を取って耳にあてた。
「はい?」
「ドゥギール警視ですか?」
「そうだ」
「グロシャン巡査です。受付に若い女性が来ているのですが、警視が興味を持たれるのではないかと思いまして」
「どういうことだ?」
「人を殺したと言っています」
「すぐ行く」
 確かに興味をそそられる。ダミアンはすぐに書類仕事を中断した。部屋を出ようとしたところで、ジョナタン・ピジョンに出くわした。補佐役であり、生涯の友でもある男だ。ニームの警察学校で出会って以来、彼とは切っても切れない仲になった。ふたりの友情が損なわれないようお互いに努力もしてきた。おかげで、ふたりの配属先が遠く離れたことは一度もない。ダミアンが念願のヴェルサイユ警察署の犯罪捜査課に配属されたとき、自分が率いる捜査班に来ないかとジョナタンに声をかけた。当時、彼はパリ警視庁の麻薬取締課の警部だったが、結論を出すのにそれほど時間はかからなかった。その頃、ジョナタンの捜査班は警察内部の不祥事というスキャンダルに見舞われていた。彼の上司が、押収して廃棄処分されることになっていた大麻樹脂五二キロとコカイン二キロを横流しした罪で、懲役四年執行猶予二年の判決を受けたのだ。そんな状況に嫌気がさしたジョナタンは渡りに船とばかりに申し出を受け入れた。それ以来、ふたりは最強のコンビとなり、次々と成果をあげている。
「いいところで会った。ちょうどいい。一緒に来てくれ。受付に行くところだ」
「まず、おはよう、じゃないのか」
「挨拶はあとだ。殺しをやったという女性が下でおれたちを待ってるらしい」
「それを先に言えって」

 ダミアンはジョナタンと共に廊下を走り、階段を駆けおりた。警察官になって十五年、こんなことは初めてだ。普通は犯罪被害に遭った人間がそれを訴えに来るものだ。あるいは、大なり小なり他人が犯した犯罪を告発する目的でやって来る。それなのに、事件にさえなっていないにもかかわらず、罪を犯した人間が自ら罪を申告に来るとは前代未聞だ!
 そんな疑念を抱きながら、ふたりは中庭を通過して受付に着いた。受付のドアを開けた瞬間、ふたり同時に驚いた。どう見ても少女にしか見えない若い女性が椅子に座っている。これは悪質な悪戯ではないのか。ダミアンはグロシャン巡査に目で尋ねた。しかし、巡査は肩をすくめるだけだ。おそらく事件性などないだろう。ダミアンは机の上に積みあげられた書類の山を思い浮かべた。とりあえず、この謎めいた若い女性についてくるように言った。ジョナタンが女性のあとに続く。その間、誰も口をきかない。事情聴取のための部屋がなかったので、ダミアンは女性を自分の部屋に案内した。まず椅子に座るよう女性に指示してから、自分の席に腰を下ろした。ジョナタンも部屋のドアを閉めると、自分の席に座る。ダミアンはすぐには口を開かなかった。しばしこの自称〈殺人犯〉を観察することにした。

 身長一六〇センチ、体重四五キロといったところだろうか。白いブラウスに黒いパンツ、デニムジャケットをはおり、スニーカーを履いている。膝のあいだに両手を挟んでいるので、指先はこちらからは見えない。明るい栗色の長い髪が邪魔をして顔全体が見えないが、それでも、ハシバミ色の大きな瞳と少し上を向いた鼻とふっくらした頬ぐらいはわかる。ダミアンはようやく口火を切った。女性がびくっと反応する。
「ドゥギール警視です。わたしの前にいるのはピジョン警部。ふたりともヴェルサイユ警察署の犯罪捜査課に所属しています。あなたから話を聴く前に断っておきますが、ここでのやり取りはすべて録画されます。このパソコンのここ、ディスプレイの上にあるカメラが見えますね。では、今からカメラをオンにします。まずあなたの氏名を聞かせてください」
「ローラ・テュレル」
「生年月日は?」
「一九九五年四月二十七日」
 ダミアンは一瞬、眉をひそめた。二十歳過ぎには見えない。しかし、それ以上は表情を変えず、淡々と質問を続ける。
「住所は?」 
「ジュイ=アン=ジョザスのジャン=ボヴィノン通り三番地」
「職業は?」
「ジュイ=アン=ジョザスにある〈ラ・ピプロト〉というレストランで働いています」
「ご結婚は?」
「独身です、子どももいません」
「人を殺したということですが、どういうことですか? 詳しく聞かせてください」
 ローラは顔を上げ、片方の手で髪の毛をかき上げた。ダミアンは女性の顔をまじまじと見つめた。顔立ちは幼いが、瞳には尋常じゃない凄みがある。ゾクッとした。動揺を悟られないように、椅子を後ろに下げて、足と腕を組む。こちらを見据えたまま、ローラが話しはじめた。

「三年前から〈ラ・ピプロト〉で働いています。別に今の仕事に不満はありません。勤務時間を選べるし、給料にも満足しています。店長のティエリーともうまくやってるし。お店に毎日ランチを食べに来る常連客がいて、ブリュノ・ドゥロネさんもそのひとりでした」
 ダミアンはジョナタンに目配せした。ローラが過去形を使ったからだ。
「年齢は五十歳くらいで、よくチップをくれるいい人でした。それで、ある日、思いきって、ちょっとした家事をする人を雇う気はないかと聞いてみたんです。ドゥロネさんが大きな家にひとりで暮らしているのを知っていたし、レストランでの仕事に不満がなくても、他のところでちょっとだけ働いて稼いでも問題ないわけだし。それで、ドゥロネさんに雇ってもらうことになったんです。毎週、レストランが休みの月曜日、ドゥロネさんの家に行って、家政婦として三時間働きました。給料は月末に現金で払ってもらいました。初日から合鍵をもらって。ドゥロネさんは不動産エージェントで、仕事が不規則だったからです。そうやって、信頼関係ができていったんです。でも、あの月曜日……すべて台無しになってしまいました」

*****

 ローラの目から涙があふれ、ダミアンとジョナタンは面食らった。ダミアンはローラにティッシュを渡し、少し休憩してはどうかと尋ねた。ローラは手ぶりでわかったという合図をする。いっぽう、ジョナタンは水を持ってこようと言って席を立った。部屋を出ていくとき、さりげなくダミアンに合図を送った。これから何をしようとしているか言わなくてもダミアンならわかるはずだ。この間に、ブリュノ・ドゥロネについてFPR(捜索対象者ファイル)の照会を依頼するつもりだった。ローラ・テュレルは月曜日と言った。ということは、それから少なくとも四十八時間は経過している。ドゥロネの身に何かあったとしたら、関係者が心配して警察に相談しているかもしれない。場合によっては捜索願を出している可能性もある。FPRを調べてもらっても損はない。
 二分後、ジョナタンが両手に水の入ったコップを持って戻ってきた。ローラははにかんだ笑顔で礼を言い、コップに口をつけた。それから、ダミアンに促され、話を続けた。

「ドゥロネさんのワイシャツにアイロンをかけていたときでした。彼が帰ってきたんです。別に驚きませんでした。それまでも仕事の途中で、家に寄ることがあったから。書類を取りに来たり、誰かに電話してまた出ていったり、一階の書斎に閉じこもったり。そんなとき、一緒にコーヒーを飲みながらおしゃべりすることもありました。ドゥロネさんはお客さんのところに行ったときの話をしたり、郊外の土地を買って分譲地として売り出したいとか言ってました。それまでは友好的な関係だったんです。でも、あの月曜日にかぎって、ドゥロネさんはいつものように、わたしが仕事をしているところに挨拶に来ると、急に言い寄ってきたんです。いったいどうしたんだろうと思いました。それまでずっと礼儀正しい人だったのに。何のつもりだろうと怖くなりました。そうしたら、ドゥロネさんが迫ってきて、酒臭い息で、いきなりお尻をつかまれて、それから胸をまさぐられて。だから、突き飛ばしてやったんです、思いきり。そしたら、ドゥロネさんは急に怒りだして、おとなしくしろと言われて。好きなようにさせろって。逃げようとしてもだめでした。彼は……性器を……むき出しにして……わたしの首をつかむと……そこに……押しつけようとしたんです。もちろん必死に抵抗しました。そうしたら、ものすごく興奮して、汚い言葉を浴びせてきました。そして、金が欲しいなら払ってやるってわめきだして。おれは今までおまえに親切にしてやったんだから、今度はおまえがおれに親切にする番だって。もう怖くて、頭が真っ白になって、それで……アイロンをつかんで……ドゥロネさんの頭を殴りつけました。そしたら、あの人、叫び声をあげながら仰向けに倒れて脅してきた。こんなことをされて、ただじゃおかない。殺してやるって。それから、起きあがろうとした。本当にこの男に殺されるかもしれないと思いました。やるかやられるか、どっちかだって。気がついたら、腕を振りあげて……彼を殴ってました……何度も何度も……。もう自分が何をしているのかわからなくなって。きっと……自制心を失っていたんです」

 さっきダミアンが渡したティッシュが細切れになって床に散らばっていた。ローラは襲われたときの話をしながら、ティッシュを細かくちぎっていたのだ。そして今、うつむいて自分の足元を見ている。ダミアンとジョナタンは平然とした態度を崩さなかった。質問もしなかった。この緊迫感を維持しなければならない。ふたりには確信があった。ローラ・テュレルの話は終わっていない。まだ話したいことがあるはずだ。ローラは椅子の上でせわしなく体を動かしている。静けさに苛立っているかのように。今度は爪を噛みはじめた。そして、太腿の下に手を差しこんで体を揺らしはじめる。ダミアンとジョナタンは微動だにせず、ローラが口を開くのを待った。突然、ローラが頭を後ろに倒して深呼吸をした。それから、怒りをぶちまけるように言った。

「だから、正当防衛だったんだってば! もし何もしなかったら、自分で自分の身を守らなかったら、わたしはあのまま床の上でレイプされてた。違う? で、そのあとどうなったと思う? あいつがそのままおとなしく帰してくれたとでも? そんなことあるわけないじゃん。こっちはあいつの名前も住所も知ってる。おまけに家の鍵まで持ってたんだよ。あいつはパニックになって、わたしを始末しようとしたに決まってる! きっと今ごろ、あいつの家の庭のどこかに埋められてたよ!」
 最後の言葉に、ジョナタンはすかさず反応した。ためらいのない声で尋ねる。
「それはあなたがやったことですね、つまり、ドゥロネの死体を埋めたんですね?」
「まさか。それよりずっといい方法があったから。燃やしてやったんだよ、あのブタ野郎を!」

続きは本編で――

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