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【試し読み】ジョー・ヒル『怪奇疾走』

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怪奇疾走
ジョー・ヒル[著]
白石朗 他[訳]

序文
きみの父さんはだれ?


 わが家には夜ごと、新顔のモンスターがあらわれていた。
 そのころのぼくが大好きだった本は、『悪党どもを連れてこい』(原題:Bring on the Bad Guys)だった。大判で厚みのあるペーパーバックで、中身はコミックブックのコレクション。題名から想像はつくだろうが、ヒーローたちの物語の本ではなかった。それどころか正反対、最低最悪のワルたちの物語のアンソロジーだった─だれもかれも〈おぞましきもの〉のような名前をもつ凶悪無比のサイコパスで、その名に見あう顔のもちぬしぞろいだった。
 そしてぼくは、父に毎晩その本を読んでもらった。父に選択の余地はなかった。『千夜一夜物語』のシェヘラザードにも通じる父と子の約束だった。父さんが本を読んでくれなければ、ぼくはベッドにはいろうとしなかった。そういうときは〈帝国の逆襲〉のベッドキルトの下から這いだして、スパイダーマン・モチーフの〈アンダルー〉の下着姿のまま、ふやけた親指を口に入れてしゃぶり、汚れたお気に入りの毛布を片っぽの肩にかけた姿で家のなかをふらふら歩いたものだ。気分が許せば、そのまま夜っぴて家のなかを歩きつづけることもできた。父はぼくの瞼が重くなって、もうあけていられなくなるまで本を読みつづけなくてはならなかったし、そうなっても外でタバコを一服したらすぐもどるという口実なしにはベッドを離れられないことになっていた。
(母はぼくの子供時代の不眠症の原因が、あるトラウマだったと主張して譲らない。五歳のとき、雪かきシャベルで顔面を強打されて病院に一泊したことがあった。溶岩が浮き沈みするファンタムライトと毛足の長いシャギーカーペットが流行し、航空機でタバコが吸えたあの時代には、怪我をした子供の付き添いに保護者が病院に泊まりこむことが許可されていなかったのだ。きいた話だと、真夜中にたったひとり目を覚ましたぼくは父母を見つけられず、病院から脱走をこころみたという。ナースたちが尻を丸出しにして廊下をうろついていたぼくをつかまえてベッドに連れもどし、さらにぼくの脱走を防ぐためにベッドにネットをかぶせて縛りつけた。ぼくは声が嗄れるほど悲鳴をあげつづけた。ここまですばらしいほど恐ろしいゴシック的物語となると、だれでもこの話は事実だと考えるしかない。あとはただ小児患者用ベッドが黒くて錆だらけで、ナースのひとりがこう耳打ちしてきたことを願うばかりだ─「ぜんぶあんたのせいよ、ダミアン!」)。
 ぼくは『悪党どもを連れてこい』に出てくる〝人間もどき〟の連中を愛していた─彼らは理不尽な要求を金切り声でわめきたて、思いどおりにならなければ激怒し、手をつかってものを食べ、やたらに敵に噛みつきたがっていた。ぼくが彼らを愛したのも当然だ。当時ぼくは六歳。ぼくと〝人間もどき〟には共通点が多々あった。
 そのたぐいの話をぼくに読んでくれたのは父だ。父はぼくが眠気にぼけた目でもアクションを追えるように、コマからコマへと指を動かしてくれた。キャプテン・アメリカはどんな声かとたずねる人がいたら、ぼくには答えられる─うちの父そっくりの声だと。ドレッド・ドーマムゥの声も。そしてインヴィジブル・ウーマンことスー・リチャーズの声も─その声は、父が女の子の声を真似る裏声そっくりだった。
 そう、その全員が父だった─ひとり残らず。
 
 たいていの男の子は、二種類のカテゴリーのどちらかにあてはまる。
 まず自分の父親を見あげて、こう思うタイプだ。《このクソ男、マジでむかつく。なにがあっても、ぜったいこんな大人になってやるものか》
 そして、自分の父親のようになりたいと願う男の子もいる─一糸まとわぬごとく自由闊達で、心やさしく、くつろいでいられるように。そういった子供は、言動が父親に似てくることを恐れはしない。そういった子供が恐れるのは、自分の能力不足のほうだ。
 最初のタイプの男の子は、ぼくにいわせると父親の影のなかで本当に迷ってしまった子供だ。表面だけ見れば、にわかには信じられないだろう。なんといっても、そこにいるのは自分のパパを見て、精いっぱい速く精いっぱい遠くまで父親から正反対の方向へ逃げていこうと心に決めた男の子だ。この男の子が本当の自由を得るためには、いったいどれほどの距離を自分と父親のあいだに置かなくてはならないのか?
 それなのに、われらがこの男子は人生の十字路にさしかかるたびに、父親が自分のすぐ背後に立っていることに気づく。人生最初のデートのとき、結婚式のとき、就職のための面接のとき。決断を迫られるたびに父親の実例と比較されてしまうので、われらがこの男子は父親と反対のことをすることを学び……そんな流儀で関係はますます悪化の一途をたどる。たとえ父と子が何年もひとことも話していなくても。それだけの悪戦苦闘もむなしく、この男子は結局どこへも行きつけない。
 もう一種類の男子なら、〝われらはしょせん、真昼に父親が落とす影にも及ばぬ存在だ〟というジョン・ダンの詩の引用を耳にしたら、こくんとうなずき、《くそ、だけどそれって真実じゃないか?》と思う。この男子は幸運だった─それもすさまじいほど幸運、不公平で愚かしいほどの幸運だった。思いのまま、どんな自分にでもなれるからだ。なぜなら、父親もそうだったから。実際には、父親は影を落とさない。それどころか父親は明るい光のみなもとになり、前方の領域をこれまでよりも少しだけはっきりと見すかして、自分独自の道筋を見つけるための手だてになる。
 ぼくは自分がどれだけ幸運だったのかを忘れまいとしている。
 
 いまの時代なら、気にいった映画をくりかえし見られることは当たり前だろう。ネットフリックスで見てもいいし、iTunesで購入してもいい。あるいは、特典映像がどっさり収録されているDVDボックスを買う手もある。
 しかし、おおまかにいって一九八〇年以前には、映画館で映画を見ても、それがたまたまテレビで放映されないかぎり、二度と見られないのが普通だった。だからたいていの映画は、記憶のなかで再視聴するしかなかった─記憶とは、あまり信頼できず、実体もないメディアだが、だからといって長所がまったくないわけでもない。ぼやけた記憶のなかで見るのがいちばんいいという映画は、じっさいにはかなりの本数にのぼる。
 ぼくが十歳のとき、父がレーザーディスクのプレーヤーを買って帰ってきた─現代のDVDプレーヤーの前駆者ともいうべき機械だ。父はいっしょに三本の映画も買ってきた。〈ジョーズ〉と〈激突!〉と〈未知との遭遇〉だ。映画がおさめられていたのは、ぴかぴか輝く大きな円盤だった─〈トロン〉でジェフ・ブリッジスが投げる〝死のフリスビー〟に少し似ていないこともなかった。虹色に輝く大皿には、両面それぞれに二十分の映像が収録されていた。片面の二十分の再生がおわると、父は立ちあがってディスクを裏返さなくてはならなかった。
 その夏のあいだじゅう、ぼくたちは〈ジョーズ〉と〈激突!〉と〈未知との遭遇〉をくりかえし見ていた。やがてディスクがごっちゃになった。天空に輝くエイリアンの光にたどりつくべく〈デビルズタワー〉の急斜面をリチャード・ドレイファスが必死に登るシーンを二十分見たあとは、ロバート・ショウが鮫と戦ったあげくに体をまっぷたつに噛みちぎられる場面を見るといった具合。しまいには、はっきりした物語の流れがわからなくなって、不可解な物語が織りなす一枚のキルトのようになった─できあがったパッチワークは、目を血走らせた男たちが執拗に追いかけてくるものから必死に逃げつつ、助けを求めて満天の星を見あげる物語になっていた。
 その年の夏は、湖に泳ぎにいって水中にもぐり、そこで目をあけるたびに、暗闇から巨大なホオジロザメがぼく目がけて突き進んでくるにちがいない……と妄想していた。寝室に足を踏み入れるときには、上空を通過するUFOが放射するエネルギーの力で超自然の生命を吹きこまれたおもちゃが愉快に跳ね踊っている場面を期待した。
 そして父とのドライブでは、ふたりで〈激突!〉ごっこをするのが定番だった。
 スティーヴン・スピルバーグが二十歳になるやならずで監督した〈激突!〉は、プリマスを走らせている平凡な臆病男(デニス・ウィーヴァー)が、名前も顔もわからない男の運転で轟音とともに疾駆するピータービルトのタンクローリーにしつこく追いかけられ、カリフォルニアの砂漠を半狂乱になって逃げまくる話だ。灼熱の陽光に焼かれたヒッチコック風味の作品であり、この監督の底知れぬ才能を示すクロームめっきがほどこされたショーケースだった(し、いまもそうありつづけている)。
 父とふたりでドライブに出かけると、ぼくたちは例のトラックに追いかけられているというごっこ遊びに興じた。空想上のトラックが背後からぶつかってきたときには、父はアクセルを一気に踏みこみ、いかにもうしろから追突されたか車が横滑りを起こしたかのような演出をした。ぼくは助手席で悲鳴をあげながら、体を前後左右にふり動かした。もちろんシートベルトなど締めていなかった。これは一九八二年、いや、八三年のことだったか。運転席と助手席のあいだにはビールの六缶パックが置いてあった……父が一本飲みおわれば、空き缶は父のタバコの吸殻を道づれに窓から外へ飛んでいった。
 やがてトラックがぼくたちの車を轢きつぶすと、父はぼくたちが死んだことを示すために悲鳴じみた金切り声をふりしぼりながら、車を右へ左へとうねうね蛇行させた。おまけに自分が完膚なきまでにトラックに叩きつぶされたことを示すため、べろをだらんと突きだして眼鏡を斜めにかしがせたまま、たっぷり一分も車を走らせた。父と子と、精霊ならぬ忌まわしき邪悪な十八輪の大型トラック─三者が道路で同時に死ぬこの遊びは、いつでも最高に楽しかった。
 
 父はグリーン・ゴブリンの話を読んでくれたが、母の読みきかせはナルニアにまつわる物語だった。母の声は、その年最初の雪なみに心を落ち着かせてくれるものだった(し、いまも変わらない)。裏切りや残酷な殺害行為のくだりを読むときにも、死からの復活や救済のくだりを読むときと変わらず、耐えて変わらぬ確信をうかがわせる声だった。母は宗教一辺倒の人間ではないが、本を読む母の声をきいていると、天を衝いて聳えるゴシック建築の大聖堂の内部へ─光に満ち、広大な空間の存在が感じられる場所へ─導かれているような気分が、わずかながら芽生えもする。
 アスランが石舞台で死ぬところも、そのあと死体を縛りつけているロープを一匹の鼠が噛むくだりも覚えている。ぼくにたしなみの原則を教えてくれたのは、まさにこのくだりではなかっただろうか。たしなみのある暮らしを送ることは、ロープをかじる鼠になることとほぼ変わりない。一匹の鼠だけでは力が足りなくても、それなりの数のぼくたちがたゆまず噛みつづけていれば、〝なにか〟を解き放ってやれるかもしれず、いつかその〝なにか〟が最悪なものからぼくたち自身を救ってくれるかもしれない。それどころか、ぼくたち自身からぼくたちを救うことすらできるかもしれない。
 同時にぼくはいまでも、書物にはこの作品に出てくる魔法の洋服箪笥とおなじ原理による効果があると信じている。狭い空間のなかにもぐりこんでいけば、その先には広大な秘密の世界が─いまいる世界よりもずっと恐ろしく、ずっとすばらしい世界が広がっている、という意味で。
 
 両親は物語を読むだけではなかった─ふたりとも物語を書いていた。おまけに、たまたま両人ともその筋では達人だった。父は小説家として大成功をおさめ、その甲斐あってタイム誌の表紙を飾ったほどだ。それも二回! 父は〝アメリカのブギーマン〟と呼ばれていた。そのころにはアルフレッド・ヒッチコックが没していたため、だれかがその称号を受け継ぐ必要があったのだ。父は気にかけていなかった。〝アメリカのブギーマン〟は、すこぶる実入りのいい稼業だった。
 映画監督たちは父の作品のアイデアに興奮させられ、プロデューサーたちが大金に興奮させられた結果、父の作品の多くが映画化された。そして父は、高く評価されている独立系の映画監督であるジョージ・A・ロメロと知りあいになった。ロメロはひげもじゃで反逆者気質の個性派主義の監督であり、〈ナイト・オブ・ザ・リビングデッド〉でゾンビによる世界終末テーマを発明したといえるが、うっかり著作権を明記するのを忘れてしまい、そのため映画で大金持ちになることはかなわなかった。ドラマシリーズ〈ウォーキング・デッド〉の製作者一同は、ロメロの傑出した監督手腕のみならず、ロメロが知的財産の保護の面ではお粗末だったことに、今後ずっと感謝しつづけなくてはならない。
 ジョージ・ロメロと父は似たような種類のコミックブックを熱心に読んでいた─一九五〇年代、すなわち議員と精神分析医たちがタッグを組んで子供時代をふたたび退屈なものにつくりかえてしまう前に出版された、血まみれでお下品なコミック誌の数々。テイルズ・フロム・ザ・クリプトやザ・ヴォールト・オブ・ホラー、ホーント・オブ・フィアー。
 そしてロメロと父は共同して映画をつくると決めた─題名は〈クリープショー〉、往年のホラー・コミックスに通じる作品を、映画のかたちでつくることにしたのだ。しかも父は映画に出演までした。父が演じたのは異星由来の病原菌に感染し、体が植物に変わりつつある男だった。撮影はピッツバーグでおこなわれた。父はひとりになるのがいやだったのだろう、ぼくをその場に連れていってくれ、ぼくも映画に出演することになった。ぼくが演じたのは、コミックブックをとりあげられた仕返しに、父親をヴードゥー人形で呪い殺す少年だった。映画で父を演じたのはトム・アトキンス─本人は気立てがよくて人好きのする人物で、とても殺す気にはなれなかった。
 完成した映画には、げろげろなお下劣シーンがたっぷり盛りこまれていた─断ち落とされた生首、ゴキブリの大群で膨れあがった死体がぱっくりと割れるシーン、そして生き返った死体が汚泥から自分の体を引きあげるシーン。ロメロは特殊メーキャップ効果のために、人体毀損の達人を雇いいれた─トム・サヴィーニ。映画〈ゾンビ〉でゾンビをつくりあげたお下劣アートの魔術師その人である。
 サヴィーニは黒革のライダーズジャケットを着て、バイク用のブーツを履いていた。悪魔を思わせる口ひげをたくわえ、アーチを描く眉毛はスポック似だった。ハウストレーラーの書棚のひと棚には、人体解剖の写真が満載されている本が詰まっていた。〈クリープショー〉でサヴィーニはふたつの仕事をすることになった─特殊メーキャップ効果の仕事と、ぼくの子守り役だ。ぼくは丸々一週間サヴィーニのトレーラーに寝泊まりして、サヴィーニが生傷を描いたり、彫刻細工で鉤爪をつくったりするのを見ていた。ぼくにとってサヴィーニは最初のロックスターだった。口から出てくる言葉のすべてが愉快で、同時に─不気味なほど─真実をついていた。サヴィーニはヴェトナム従軍経験があり、彼の地で自分が成しとげた偉業が誇りだ、とぼくに話してくれた─偉業とは戦死をまぬがれたことだった。サヴィーニは、映画の世界で虐殺現場を再訪するのはセラピーの一種だと考えていた─ただし金を払ってもらえるセラピーだ、と。
 ぼくは彼が父を沼地のモンスターにつくりかえていくのを見まもっていた。見ているとサヴィーニは父の眉毛に苔を植え、両手に草の茂みを植え、さらに舌の上に見事な出来栄えの芝を植えつけていた。一週間のうち半分は、ぼくは父親をなくしていた─代わりにそばにいたのは、ふたつの目をもつ緑の庭だった。当時の父の体からは、秋の落葉の下にある湿った土のにおいがしていた記憶があるが、これはぼくの想像力の産物かもしれない。
 ぼくの父役のトム・アトキンスは、演技でぼくをひっぱたいたように見せなくてはならず、サヴィーニはぼくの左頬に平手打ちがつくった痣を描いてくれた。撮影は夜遅くまでかかり、ようやくセットをあとにするころには、ぼくは腹ぺこになっていた。父は車でぼくを最寄りの〈マクドナルド〉へ連れていってくれた。ぼくは疲れすぎで頭がぶっ飛んでしまい、飛んだり跳ねたりしながら大声で叫んでいた─チョコレートミルクシェイクが飲みたい、父さんはミルクシェイクを買ってくれるって約束したじゃないか。騒ぎの途中で父はようやく、〈マクドナルド〉の半ダースほどの従業員たちが怯えたような、責めるような目つきでぼくたちを見ていることに気がついた。ぼくはといえば頬に手形がついたままで、しかも父はそんなぼくを夜中の一時に連れだし、ミルクシェイクを飲ませようとしている……なんのために? 父の児童虐待を通報しないようにするための賄賂か? 父は、だれかが児童保護局に通報の電話をかけないうちに急いで店を出た─そしてそれっきり、ピッツバーグをあとにするまで、ぼくたちは〈マクドナルド〉にありつけなかった。
 そののち父に連れられて家路につくころには、ぼくにはふたつの事実がわかっていた。ひとつは、ぼくには俳優としての将来はおそらくないし、それは父も同様だということ(ごめん、父さん)。もうひとつは、たとえ鼠のケツほどの演技すらできないにしても、それでもぼくが天職というか、人生の目標を見つけたということだった。ぼくはたっぷり七日のあいだ、トム・サヴィーニが芸術家の手腕で人々を虐殺しては、忘れがたい異形のモンスターを創りあげる場面を目のあたりにしてきて、これこそ自分がやりたいことだとわかったのだ。
 というか……最終的に行き着いたのは、その仕事にほかならない。
 これで、この序文でいいたかった話にたどりつくことができた。子供の親はふたりだけだが、その子供が芸の道で食べていけるほど幸運なら、最終的に数人の母と父にめぐりあうことになる、ということ。だれかが作家に「あなたのお父さんはだれですか?」とたずねたら、「話せば長くなります」というのが唯一の誠実な答え方だ。
 
 ハイスクールでは、スポーツ・イラストレイテッド誌を毎号全ページ読むようなスポーツ・マニアがいたし、聖書を研究する献身的な研究者なみにローリングストーンズ誌を毎号読みふけるロック・マニアもいた。ぼくはといえば四年分のファンゴリア誌を読んでいた。ファンゴリア─忠実なる愛読者にとっては〝ファンゴ〟─はスプラッター映画を専門にする雑誌だった。たとえばジョン・カーペンターの〈遊星からの物体X〉やウェス・クレイヴンの〈ショッカー〉のような映画、そして題名に〝スティーヴン・キングの〟という文字がはいっている相当数の映画だ。ファンゴ誌には毎号、折りこみの見ひらきグラビアがあった─プレイボーイ誌とおなじようなものだが、ファンゴ誌の場合には足を大きくひらいた女性ではなく、どこかのサイコパスが人の頭蓋骨を斧でかち割っているところの写真だった。
 ファンゴ誌は一九八〇年代のありとあらゆる重要な社会政治問題へのわがガイドブックだった。たとえば─フレディ・クルーガーはそんなに笑えるだろうか? 史上最高に下劣きわまる映画はなにか? そして─決定的に重要な疑問─〈狼男アメリカン〉の人狼変身シーン以上に、下品で身の毛もよだつ変身シーンが存在するだろうか?(最初のふたつの疑問については、議論の余地がある─ただし、三番めの質問への答えは簡単、ノーのひとことだ)
 当時のぼくはおよそどんなものも怖がらなかったが、〈狼男アメリカン〉はかなりいい線までいった。あの映画はぼくのなかに不気味な感謝の念をかきたてたのだ。ぼくにはあの映画が、真に偉大なありとあらゆるホラー物語の表面のすぐ下で蠢いているアイデアに、毛むくじゃらの前足をかけているように思えた。具体的にいうと、人間になるということは、寒くて敵意に満ちた太古からある国の旅人になることだ、という考え方だ。あらゆる旅人の例に洩れず、ぼくたちも楽しみを求めている……多少の笑いやちょっとした冒険、それにセックス。しかし、この地ではあっけなく道を見うしなってしまう。一日はあまりにも早くおわるし、道は頭がこんがらがるほどで、外の闇のなかには牙を生やしたものが潜んでいる。ここで生き延びるなら、ぼくたちも牙を見せつける必要があるかもしれない。
 ファンゴリア誌を読みはじめたころ、ぼくは小説を書きはじめた。毎日だ。ぼくにとって小説を書くのはごく自然のことだった。とにかく毎日学校から家に帰れば、母はいつもトマト色をした専用のIBMセレクトリックを前にすわって小説を書いていた。父もやはり小説書きを仕事にしていた─ワング製のワードプロセッサ専用機のスクリーンに顔を近づけて。ちなみにこの専用機は、父がレーザーディスクのプレーヤーのあとで家に買ってきた、いちばん未来的な品だった。スクリーンは黒の歴史のなかでももっとも黒い黒、モニターに表示される文字は、SF映画では死の放射能の色である毒々しさ満点の緑だった。夕食の席での話題といえば小説の〝もっともらしさ〟とかキャラクターとか設定、あるいはストーリーのひねりやシナリオといったことばかり。仕事中の家族を観察し、家族のテーブルトークに耳をかたむけた結果、ぼくは論理的な結論に到達した。ひとりで机を前にすわり、毎日欠かさず二時間なにかを書きつづけていれば、遅かれ早かれ、だれかがその労力に大金で報いてくれる、と。たまさか、のちにこの結論は真実だと判明した。
「小説をどうやって書くか?」をグーグルにたずねれば、検索結果は百万ヒットになるだろう。しかし、汚らわしい秘密がある─ただの算数の問題だ。高度な数学ですらない─一年生で習う足し算だ。一日三ページ、毎日書きつづける。それを百日間つづければ三百ページになる。そうなったら〝完〟とタイプする。完成だ。
 ぼくが最初の作品を書きあげたのは十四歳のときだ。題名は『真夜中の食事』。舞台は私立学校で、カフェテリアを仕切る高齢の女性たちが生徒たちを切り刻み、ほかの生徒たちに昼食として食わせるという物語だった。〝食べたものが人をつくる〟という言葉がある─ぼくはファンゴ誌を食べ、ビデオスルーのスプラッター映画と同等の文学的価値のある作品を書いた。
 ぼくの作品を結末まで読みとおした人が─おそらく母だけは例外として─ひとりだっていたとは思えない。さっきも話したとおり、小説を書くのは算数の問題だ。いい作品を書くのは、それとはまったくの別問題である。
 
 ぼくは小説の腕をあげたかったし、たまたまぼくはひとりばかりか、ふたりの天才作家とひとつ屋根の下に住んでいた─いうまでもなく、しじゅう玄関をくぐってやってくるありとあらゆる種類の作家たちの存在もあった。メイン州バンゴアのウェストブロードウェイ四七番地の家は、世界でいちばん無名な小説学校だったが、ぼくには宝の持ち腐れだった。それにはもっともな理由がふたつあった。ぼくが人の話をちゃんときけないことと、ぼくが不出来な生徒だったことだ。不思議の国で迷ったアリスは、たびたび自分で自分にいいアドバイスをしてはいるが、それを実行することはめったにない、と述懐している。ぼくにはよくわかる。子供時代のぼくは良質のアドバイスをたっぷり与えられながら、どれひとつ役立てなかった。
 目で見て学ぶ人もいる。また講義や教室での議論から、多くの有用な情報を得るタイプの人もいる。ぼくはといえば、これまで小説の執筆について見つけだした答えは、いずれもが書物から学んだことだ。ぼくの脳味噌は人との会話についていける速度では動かないが、ページの上の言葉はぼくを待ってくれる。本は学びの遅い生徒にも辛抱づよく接してくれる。本以外の世界はちがう。
 両親はぼくが書くことを愛していると知っていたし、ぼくの成功を望んでもくれた。そのうえ、ぼくになにかを説明しようとするのは、ときには犬に話しかけるのも同然だとわかっていた。わが家のコーギー犬のマーロウは、〝歩け〟とか〝食べろ〟という重要な単語こそ理解できたが、現実にはそこどまりだった。自分が犬よりもずっと成長しているとはいえなかった。そんなこんなで、両親はぼくに二冊の本を買ってきた。
 母がくれたのは『ブラッドベリがやってくる─小説の愉快』だった。人の創造力を解き放つための良質な提案がみっしり詰まった一冊。でも、ぼくの頭をもっと刺戟したのはブラッドベリの書きぶりだった。ブラッドベリの文章は、七月の暑い夜にぽんぽんとつづけざまに爆発する爆竹のように炸裂していた。ブラッドベリを発見したことは、〈オズの魔法使〉でドロシーが納屋から虹のすぐ彼方にある世界に踏みだした瞬間に似ていた─黒と白だけのモノクロの世界から、あらゆるものがテクニカラーの色彩をそなえている地に移動したようなものだった。マクルーハンいわく、メディアはメッセージだ。
 いま読み返せば、ブラッドベリの文章がいささか鼻につくことは認めよう(なにもすべての文章が、サーカスで一輪車に乗りつつ松明でジャグリングをするピエロである必要はない)。しかし十四歳のぼくには、巧みに紡がれた想像力に富む文章は爆発にも匹敵するパワーをそなえることを実証してくれる人物が必要だった。『ブラッドベリがやってくる─小説の愉快』を読んだあと、しばらくはブラッドベリ一辺倒の日々だった─『たんぽぽのお酒』『華氏451度』、そして最高にすばらしい『何かが道をやってくる』。ミスター・ダーク率いるカーニバルの不気味で現実を歪めてしまうような乗り物の数々に─とりわけカーニバルの中心にある回転木馬、子供たちを老人に変えてしまうあのメリーゴーラウンドに─ぼくがどれほど夢中にさせられたことか。それからブラッドベリの短篇の数々─だれもが知っている短篇小説、ほんの十分もあれば読みおえられて、しかも永遠に思い出に残る作品の数々だ。だ。たとえば「いかずちの音」─恐竜狩りができるものなら気前のいい金をぽんと出すハンターたちの話。あるいは「霧笛」、灯台に恋をした先史時代の生物の話はいかが? ブラッドベリの創作はどれも天才的で目もくらまんばかり、いかにも自然な書きぶりだった。ぼくは『ブラッドベリがやってくる─小説の愉快』をくりかえしひもといては、この作家がどうやって書いているのかを知ろうとした。じっさい、ブラッドベリはこの本で創作を学ぶ学生にとっては頼りになる実践的なツールを披露している。そのひとつが、物語のアイデアを産みだすような名詞のリストを作成するというトレーニングだ。ぼくはいまもなお、この方法の一変種を利用している(このトレーニングを自分なりにアレンジして、〝エレベーターの穴〟と名づけた)。
 父が買ってくれたのは、『嘘で楽しく稼ぎましょう』(原題:Telling Lies for Fun and Profit)というローレンス・ブロックの本だった。ブロックがライターズダイジェスト誌に寄せたコラムをあつめた一冊である。この本はいまも手もとにある。うっかりバスタブに落としてしまったため、いまでは膨れあがって、長い段落にぼくが引いたアンダーラインのインクがにじんでしまっているけれど、ぼくにとってはフォークナーの署名いり初版本なみに価値のある一冊だ。ブロックからは、小説の執筆も手職、たとえば大工のような手職のひとつであるということを教わった。創作の神秘という霧を払うため、ブロックはあえて細目に焦点をあわせる。たとえば─すばらしき冒頭の文章とは? どこまで書くとディテールの書きすぎになるのか? ショッキングな結末が成功する作品もあれば、ぶっちゃけ目もあてられない失敗になる作品もある理由とは?
 そして─ぼくにとって特段に魅力的だった部分だが─別名義のペンネームで執筆することの効能とは?
 ブロックは別名義と無縁ではない。それどころかバスケットいっぱいの別名義があり、特定の種類の小説を書くときにはそれに見あう人格をつくりだして別名義をつかってきた。かつてバーナード・マラマッドは、作家の最初の、そしてもっともハードルの高い創作はおのれ自身だとの卓見を述べた─作家としての自分自身をつくりあげれば、その仮想人格から物語が自然に湧いて出てくる、と。ブロックが時と場合に応じて新しい顔をさっとかぶり、それ自体が創作である〝別人格〟になって小説を書くという話がぼくには愉快に思えた。
「ああ、そのとおり」父はいった。「ブロックがポール・キャヴァノー名義で書いた『あの手の男たちは危険』(原題:Such Men Are Dangerous)を読むといい。小説というよりも、路地に引きこまれて強盗にあうような一冊だぞ」
『あの手の男たちは危険』の主人公は元兵隊だった─戦地で外聞をはばかるような所業をしでかし、帰国してからは、この地で外聞をはばかるような所業をしでかそうと思っている。最初にこの作品を読んでから何十年もたったいまでも、父の評言は正しかったと思っている。ブラッドベリの散文は夏の夜の爆竹だった。キャヴァノーの散文は鉄パイプの一撃だった。ローレンス・ブロックは愛すべきナイスガイに思えた。ポール・キャヴァノーはちがった。
 このころからぼくは、自分がぼくでなくなったら、いったいだれになるのかと考えだしていた。
 
 ハイスクール時代には、さらに三作の長篇を書きあげた。三作には共通する創作上の特徴があった─どれも駄作だったのだ。とはいえ、当時でさえこれも当然だとわきまえてていた。早熟の神童はほぼ例外なく悲劇の人物だ─二年ばかりはまばゆい輝きを発するものの、そのあと二十歳になるころにはすっかり燃え殻になる。それ以外の人たちは、おなじ道をもっとゆっくりしたペースで、苦労しながら進んでいく─一度にシャベルひとすくい分の退屈な泥をかきだしながら。この時間のかかる重労働には、精神と感情両面の筋肉を鍛えられるという見返りがあるうえに、キャリアを築くための堅牢な基礎をつくることにも通じるかもしれない。さらには逆境にあっても、その心がまえができていることにもなる。なぜなら、逆境なら以前にも出会っているからだ。
 カレッジに進むと、当然ながらぼくは自作を商業出版したいと願うようになった。そのかたわら、本名で作品を投稿することに怖気づいてもいた。自分が読む価値のあるものをまだ一篇も書いていないことはわかっていた。いつになればそれなりにいい作品、本当にいい作品を書けるようになるのかはだれにもわからない。送った作品が不出来でも、ぼくの苗字を見た人が手っとり早く金を稼げる好機到来と考えて、そのまま刊行されてしまうのではないかと不安だった。当時ぼくは不安定な状態で、おりおりに特異な(そして非現実的な)不安にとり憑かれてもいて、自作が売れたなら作品そのものの力で売れたことを─自分ひとりだけでも─きっちり確認しておきたかったのだ。
 そんな次第で、ぼくは苗字を落としてジョー・ヒルの名前で書きはじめた。なぜヒルにしたのかって? ミドルネームのヒルストロム(Hillström)を縮めたものだ─しかし、いまにしてふりかえるなら、当時のぼくはいったいなにを考えていたのか? oの上についているウムラウトは、およそ英語につかわれる各種の記号のなかで、もっともハードロックっぽいものでありながら、それをつかわなかった。ヘヴィメタルになれるチャンス、それをみずから棒にふったのだ。
 またぼくは恐怖小説を避けて、独自の題材をさがすべきだとも考えた。その結果、離婚問題や手のかかる子供を育てること、中年期の不安などをテーマにしたニューヨーカーっぽい短篇をたくさん書いた。このあたりの作品にはそこかしこに読める文章があるけれども、総じて人にすすめられるしろものではない。なにせ離婚について発言できるほどの知識はなかった─結婚さえ未経験だった! 手のかかる子供を育てる件についても同様。手のかかる子供相手の経験といえば、自分がそのひとりだったことだけだ。さらに当時二十代なかばだったのだから、中年期の挫折について書くには文句なく不適格だった。
 そういったあれこれ以外にも、ニューヨーカーっぽい作品を書くうえでの本当のハードルがあった─ぼくがニューヨーカーっぽい作品を好きでなかったことだ。ひまなときにぼくが読んでいたのはニール・ゲイマンやアラン・ムーアのぶっ飛んだホラーコミックスであって、アップダイクやチーヴァーが中産階級の倦怠とやらを書いた小説ではなかった。
 そのうち─というのは原稿返送票が二百枚ばかり溜まったころだった─ぼくはちょっとしたことに目をひらかされた。もしぼくがジョゼフ・キングの名前で作家活動をはじめて、いまここでホラー小説に手を染めたら困ったことになるのはまちがいない。ぼくが父の上着の裾を両手で必死につかんでいるように見られてしまうだろう。でも、ジョー・ヒルなら、世間に珍しくもないジョー・なんとかのひとりにすぎない。ヒルの父親と母親のことはだれも知らない。だから、なりたければどんな種類のアーティストにもなれる─そしてジョー・ヒルの望みは、ページの上でトム・サヴィーニになることだった。
 人には生きていくべき人生がある。この先もものを書く気なら、それがその人のインクだ。人にはそのインクしかない。ぼくの場合、インクが真っ赤だっただけだ。
 こうして超自然の要素がある恐怖小説を書くことを自分に許すと、それまでの数々の悩みは一夜にして消え失せ、〝ニューヨークタイムズ・ベストセラー〟という言葉をいいおわらないうちから、ぼくはベストセラー作家になっていた─わははははは、ただの冗談だ。それからもぼくは延々と駄作の山を積みあげるしかなかった。それ以降ひねりだした長篇は全部で四作あって、どれもいっさいものにならずじまい。『ペーパー・エンジェルズ』はコーマック・マッカーシーの三流パスティーシュ。ヤング・アダルトむけファンタジーが一冊─題名は『ルルド博士の邪悪な凧』(ええい、ちっくしょう、超カッコいい題名じゃないか)。『ブライアーズ』は、夏のあいだ殺人ゲームに興じるふたりのティーンエイジャーを主人公にしてジョン・D・マクドナルド流スリラーを目指したものの、収拾がつかずにおわった失敗作。四作でいちばん出来がよかったのは、『恐怖の樹』というJ・R・R・トールキン風の作品だった─書きあげるまでに三年かかり、淫夢のなかでは世界的ベストセラーになった。夢ならぬ現実世界では、この長篇はニューヨークのあらゆる出版社から断わられ、ロンドンのあらゆる出版社から門前払いされた。タマを蹴り飛ばされる決定打になったのは、カナダのあらゆる出版社から拒否されたことだ。これはあらゆる人々にとって教訓となる─落ちるところまで落ちたと思っても、まだまだ下に落ちるものだ。
(いや、そんなつもりじゃないよ、カナダくん)
 列車事故のような長篇をひねりだしているかたわらで、ぼくは短篇小説も書いていた。そうやって何カ月ものあいだ(さらには何年も─まいったね!)書きつづけるうちに、いいことが起こりはじめた。非行少年と空気で膨らませる風船人間の少年の友情を描いた短篇が、高く評価されているユダヤ系マジック・リアリズム小説のアンソロジーに収録された─ぼくは非ユダヤ教徒だったが、編者は気にかけなかった。また、小さな町の映画館に出没する幽霊を描いた作品が、ハイプレーンズ・リテラリーレヴュー誌に掲載された。この事実はたいていの人にはあまり大きな意味をもたないだろうが、ぼくにとってハイプレーンズ・リテラリーレヴュー誌(発行部数は約一千)に自作が載るのは、チョコレートバーの包装紙を剥がしたら、当たりの金のチケットが出てきたようなものだ。さらに数篇の出来のいい短篇がつづいた。孤独なティーンエイジャーの少年がカフカ化して巨大な蝗に変身する話を書いた─結局少年は人間でいたほうがよかったと思うことになる。電話線のつながっていない旧式の電話機の話も書いた─おりおりに死者がかけてくる電話の呼出音が鳴るのだ。エイブラハム・ヴァン・ヘルシングの悩める息子の話も書いた。そんな調子。無名の文学賞をふたつばかり受賞し、傑作選に自作が収録されもした。マーヴェル・コミックスの新人スカウト担当がぼくの短篇を読んで、十一ページのスパイダーマンもののオリジナルを書くチャンスを与えてくれもした。
 たいしたことではないが、なにごとも過度はいけないという意味の〝満腹はごちそうもおなじ〟という言葉がある。二〇〇四年のある日─『恐怖の樹』が日の目を見ることはないと明らかになったころ─ぼくは長篇作家としての才能がないことを受け入れる心境になっていた。全力を尽くし、勝負に出て、完敗した。それでもかまわなかった。かまわないどころではなかった。スパイダーマンの原作を書かせてもらえたし、たとえいい長篇を書く方法がずっとわからなくても、少なくとも満足のいく出来の短篇を書く力はあるとわかったのだから。父のレベルに達することはないかもしれないが、それはまあ、納得できないこともない。それにぼくの頭のなかに長篇小説が存在していないとしても、だからといってコミックブックの世界で仕事にありつけないこともないだろう。ぼくが大好きな物語のいくつかはコミックブックだ。
 そうこうするうちに一ダースほどの作品が手もとにたまって、一冊の短篇集にまとめられそうになってきた。そこでまとめた作品をあちこちに見せて、ぼくの作品集に賭けてもいいと考える人が世の中にいるかどうかを確かめたくなった。大手の出版社各社から断わられても、意外ではなかった─大手の会社は商業上のもっともな理由から、短篇集よりも長篇を好むからだ。そこで思い立って小出版社の世界に挑んでみたところ、二〇〇四年の十二月、イングランド東部にあるとても小さな出版社であるPSパブリッシング社の傑出した紳士、ピーター・クロウザーが電話をかけてきた。自身でも怪奇小説を書くピーターは、風船人間の少年を描いた「ポップ・アート」をとても気にいってくれた。ピーターは短篇集『20世紀の幽霊たち』をごく小部数で刊行すると申し出ることで、ぼくにとうてい恩返しできないほどの温情をほどこしてくれた。しかし、ピートは─ピートだけではなくリチャード・チズマーやビル・シェイファーといった小出版社の世界の人々はみな─多くの作家たちにそのような親切をほどこし、自分が儲かるからという理由ではなく作品に惚れこんだという理由で、本を出版しているのだ(えへん。これはPSパブリッシングやセメテリーダンス・パブリケーションズやサブテラニアン・プレスなど各社のウェブサイトを訪問してほしいという、みなさんにむけての合図だ。訪問したら、各社の刊行物のどれか一冊を買うことで新進気鋭の作家たちを支援していただきたい。さあ、どうかご遠慮なく─その一冊はあなたの本棚できっと映えるはずだ)。
 ピートはぼくに、短篇集のためにあと数篇を書きおろしてほしいと頼んできた─そうすれば、短篇集が初出の〝ほかでは読めない〟作品を収録できるからだ。ぼくは承諾し、インターネットで幽霊を買う男の話を書きはじめた。この物語はなぜかぼくの手を離れて進み、三百三十五ページまで書き進んだところで、ぼくは結局のところ自分のなかに長篇があったことに気づかされた。その長篇にぼくは『ハートシェイプト・ボックス』という題名をつけた。
 いやはや、まるでスティーヴン・キングの長篇そっくりだ。公平を期せば、これは両親から正当に受け継いだものだ。
 
 ぼくは昔から遅咲きタイプだった。最初の本である『20世紀の幽霊たち』を刊行したのが三十三歳のとき。これを書いているいまは四十六歳で、いざ出版されるときには四十七歳になっている。日々はフルスロットルでぼくたちの前を走りすぎ、残されたぼくたちは息を切らすばかり。
 小説を書きはじめたころのぼくは、自分がスティーヴン・キングの息子だと世間に知られることを恐れていた。そこで仮面をかぶって、他人のふりをした。しかし、物語はつねに真実を告げる─これ以上はない真実を。すぐれた物語は、例外なくそういったものなのだろう。ぼくがこれまでに書いてきた作品は、どれをとっても彼らの創造力というDNAの産物だといえる─ブラッドベリとブロック、サヴィーニとスピルバーグ、ロメロとファンゴ誌、スタン・リーとC・S・ルイス、そしてだれよりも忘れてはいけないのはタビサとスティーヴンのキング夫妻だ。
 鬱々としているクリエイターは、自分がほかのもっと大きなアーティストの影になっているとわかり、そのことを恨む。けれども、もし幸運なら─前に話したとおり、ぼくは人なみ以上の幸運に恵まれてきた身だし、神さま、どうかこの先も幸運がつづきますように─自分以外のもっと大きなアーティストたちが、先々の道を照らす光を投げかけてくれる。
 だいたい、先のことはだれにもわからない。いつの日か、ヒーローのひとりと並走して仕事ができるようになるかもしれない。現にぼくは父との共作の機会に二度恵まれて、そのチャンスをつかんだ。楽しい経験だった。みなさんにも共作を楽しんでほしい─二篇とも本書に収録されている。
 ぼくは数年のあいだ仮面をつけていた。でも仮面を顔からはずしたいま、前よりも楽に息ができるようになった。
 さしあたり、ぼくが話しておきたいことはここまでだ。これからしばらくはドライブだ。さあ、乗って。出発しよう。
 悪党どもを連れてこい。
 
ジョー・ヒル         
ニューハンプシャー州エクセター
二〇一八年九月     

スロットル(スティーヴン・キング共作)
白石 朗 [訳] 

虐殺の場をあとにした一行は西へ──さまざまな色あいの地層が露出している砂漠地帯を抜けて西へ──ひた走り、現場から百五十キロ以上も離れるまで一回も休まなかった。そして午後になってようやく、外壁は白い化粧漆喰、店の前のコンクリートアイランドにガソリンの給油機がある一軒の簡易食堂に立ち寄った。一同が近くを走ると、エンジンの音が幾重にも重なりあって、窓ガラスをびりびりと震動させた。彼らは建物の西側にとまっている長距離トラック群のあいだにバイクをとめ、キックスタンドをおろしてエンジンを切った。
 ここまでずっと先頭を走ってきたのはレース・アダムスン。この男のハーレーが、ほかの面々のバイクより四、五百メートルばかり先を走ることもあった。先頭を走るのは、砂漠の国で二年過ごしたのちに一同のもとへ帰ってきてからの癖だ。ほかの面々よりもずっと先を走るそのようすが、追いついてみろと一同に挑みかかっているかのように見えることもあれば、そのまま一同を引き離して置き去りにする意図があるかのように見えることも珍しくない。レースは休みたがらなかったが、ヴィンスは無理にバイクをとめさせた。ダイナーが見えてくると、ヴィンスはスロットルをひねってレースを追い、猛然と追い抜いてから、すかさず片手を左に突きだしたのだ──〈トライブ〉の面々が熟知している合図だった。《おれについてハイウェイを降りろ》という合図。〈トライブ〉の面々はヴィンスの手ぶりの合図に従った。これも、レースがヴィンスをきらっている理由のひとつだった。ちなみにこの若者には、ヴィンスをきらう理由がポケットいっぱいにあった。
 レースはまっ先にバイクをとめたうちのひとりだったが、いちばん最後まで降りてこなかった。降りたあともバイクの横に立ったまま、革のライディンググローブをゆっくりと手から引き剥がし、ミラーシェイドごしにほかの面々をにらみつけていた。
「坊主にきっちり話をつけたほうがいいな」レミー・チャプマンがヴィンスに話しかけながら、レースがいる方角にむけてうなずいた。
「ここじゃない場所でだ」ヴィンスはいった。話しあいなら、ラスヴェガスにもどってからでもいい。とにかく、旅をおわらせたかった。しばらく暗闇に静かに横たわりたかったし、ぎゅっとよじれてむかむかする胃がほぐれるだけの時間が欲しかった。しかし、いちばんの望みはシャワーかもしれない。血は一滴も浴びていなかったが、それでも体が汚染された気分は拭えなかったし、午前中の悪臭を肌から洗い流さなければ人心地がつきそうもなかった。
 ヴィンスはダイナーにむけて一歩足を踏みだしたが、それ以上先に進まないうちに、レミーがその腕をつかんだ。「いいや、ここで話をつけろ」
 ヴィンスは自分の腕をつかんだ手を見おろし──メンバー全員中ただひとりヴィンスを恐れぬ男であるレミーは、それでも手を離そうとしなかった──ついで、若僧に視線をむけた。といっても、じっさいにはもう若僧という年齢ではない。何年も前から。いまレースは後輪の上にあるハードケースをあけて持ち物をかきまわし、なにかをさがしていた。
「なにを話すというんだ? クラークは消えた。金もだ。打てる手はなにもない。きょうの朝にはね」ヴィンスはいった。
「レースもおなじ考えかどうかをききだす必要があるぞ。いいか、このところあの若僧は、一時間のうち四十分はあんたに怒りをぶつけていた……それなのに、あんたはあの若僧と足並みそろえてると思いこんでた。ついでだから話しておくよ、ボス。ここの連中のなかには、レースが仲間に引っぱりこんだのもいる。クラークとの取引に噛めばどれだけ大金持ちになれるかって話で、連中を派手に煽り立ててな。だから、これからどうするかって話をきかせる必要のある相手は、レースひとりじゃないかもしれん」
 いいながらレミーは意味深な目つきで、ほかの面々を見わたした。それでヴィンスも初めて、一同がダイナーにむかって歩いてはおらず、それぞれのバイクのわきにとどまったまま、自分とレースをうかがっていることに気がついた。みんな、なにかが起こるのを待っているのだ。
 ヴィンスは話などしたくなかった。話すことを考えただけで気が重い。最近ではレースと話すのは筋トレ用の大きな革張りボールを投げあうようなもの、疲れるだけの無駄骨折りでしかなかったし、いまは気力がなかった──あんなものから逃げて走ってきたのだから、なおさらだ。
 それでもヴィンスは従った──〈トライブ〉を守る段になったら、レミーの意見がほぼつねに正しかったからだ。ふたりがメコンデルタで初めて会ったとき、全世界が狂気そのものだったあの当時からずっと、ヴィンスは十二時の、レミーは六時の位置にいる。四十年近くたったいまも、ふたりの関係はほとんど変わっていなかった。
 ヴィンスは自分のバイクを離れて、レースに近づいていった。レースは自分のハーレーとトラック──タンクローリー──のあいだに立っていた。探し物は首尾よくバイク後部のハードケースから掘りだしたようだ。見た目は紅茶そっくりだが、紅茶ではない飲み物のはいったポケット瓶。レースは日に日に早くから飲みはじめるようになっていて、これもヴィンスには気にいらなかった。レースは瓶の中身をひと口飲むと、口もとを拭ってヴィンスに瓶を差し出した。ヴィンスはかぶりをふって断わった。
「話をきこう」ヴィンスはいった。
「六号線にはいれば──」レースはいった。「三時間でショウロウの街に着ける。あんたの乗ってる、あのちんけな日本製の〝ライスバーナー〟が追いついてこられればね」
「ショウロウになにがある?」
「クラークの姉貴がいる」
「なんであいつの姉に会いたい?」
「目的は金だ。あんたは気づいてないかもしれないが、おれたちはおよそ六万ドルを騙しとられたばかりだぞ」
「で、クラークの姉貴がその金をもっていると考えてるのか?」
「とっかかりだよ」
「その件は、ヴェガスにもどったら話しあおう。あっちで、どんな手がとれるかを考えるんだ」
「だったら、いま考えてもいいだろ? おれたちが踏みこんだとき、クラークが電話をしてたのは見てるな? ドアごしに、あいつの声がちらっときこえたんだよ。姉貴を電話でつかまえようとしていたみたいだ──でも電話でつかまらなかったので、姉貴の知りあいに伝言を残してたんだと思う。なあ、おれたちがドライブウェイに勢ぞろいしてるのを見たとたん、クラークの野郎が電話であのあばずれに連絡をとろうとしたのは、なぜだと思う?」
 別れの言葉をかけるつもりだったんだろうよ──ヴィンスは思ったが、レースの前で口にはしなかった。「姉貴はこっちの件とは無関係だろう? だいたい、なんの仕事をしてる? やっぱり覚醒剤づくりか?」
「いいや。売女だ」
「あきれたな。なんて一家だ」
「どの面さげていってるんだよ」と、レース。
「それはどういう意味だ?」ヴィンスはたずねた。侮辱の意図をたっぷりと行間にはらんだ言葉が気に障ったのではない──気に障ったのは、むしろレースのミラーシェイドだった。ヴィンス自身の姿が、そのレンズに映りこんでいた──日焼けした顔、すっかり白髪の増えた口ひげ、しかめ面のように皺だらけになった老いた顔が。
 レースはふたたび陽炎がゆらゆら立ち昇る路面に目をむけており、口をひらいて出てきた言葉は質問への答えではなかった。「六万ドルが煙になって消えたのに、あっさりあきらめんのか」
「なにもあきらめちゃいない。とにかく、そうなったのは事実だ。金が煙になって消えたのは」
 レースとディーン・クラークはファルージャで出会った──いや、ティクリートだったかもしれない。クラークは鎮痛術を専門にしている衛生兵であり、得意の治療法はワイクリフ・ジョンの音楽の助けをたっぷりと借りた最高級麻酔薬の投与だった。一方レースの得意技といえば、ハンヴィーを走らせることと弾丸に当たらないこと。娑婆に帰ってきてからもふたりの交友はつづき、いまから半年前クラークがレースのもとにやってきて、スミス湖畔に覚醒剤工場をつくる話をもちかけた。当座の開業資金として必要なのは六万ドルだが、じきにひと月あたりそれ以上の利益をあげられるはずだ、というのがクラークの見とおしだった。
「マジもののグラスだ」というのがクラークのセールストークだった。「緑色の安物なんかじゃない、マジもののグラスだけだよ」そういってクラークは片手を頭の上にもちあげ、現金が山盛りになっているところを示した。「儲かって儲かって、笑いがとまらないぜ、よお?」
《よお》。いまにして思えば、クラークの口からこの言葉が出たとき、すぐに手を引くべきだった。そう、その瞬間に。
 しかし、ヴィンスは手を引かなかった。それどころか、怪しみながらも自腹を切って、レースに二万ドルの金を融通してやりもした。クラークはだらしない身なりの男で、ブロンドの髪を長く伸ばしてシャツを重ね着しているところは、どことなくカート・コバーンに似ていた。なにかといえば《よお》、誰彼かまわず《なあ、あんた》と呼びかけ、ドラッグがいかにしてオーバーマインドの抑圧の力を突破するのかを語った──どんな意味なのかはともかく。さらにクラークは知的な才能でレースを驚かせ、虜にした──サルトルの戯曲やら、詩の朗読とレゲエダブをいっしょに収録したテープなどで。
 おねえ言葉と黒人英語が混ざりあった駄法螺語で、やたらに霊的革命がどうのこうのとインテリぶったことをしゃべりちらす男だったが、ヴィンスがクラークを不愉快に思ったのはその点ではなかった。最初に顔をあわせるなり不愉快に思ったのは、その時点でクラークがすでに悪臭ただよう〝メスマウス〟症状を起こしていたことだった。メタンフェタミン濫用者によく見られるように、歯が何本も腐って抜け落ち、歯肉に斑点ができていた。覚醒剤を金儲けの道具にするのもかまわないと思っていたヴィンスだが、口から腐臭を漂わせるほどの濫用者には反射的に不信をいだいた。
 それでもヴィンスは金を積んだ。レースに打ちこめる対象をつくってやりたいと思ったからだ。あんなふうに軍隊から叩きだされたあとだったのだから、なおさらだ。そのあとしばらく、レースとクラークが計画の詰めをおこなっているあいだ、ヴィンスはこれなら儲けが出るかもしれないと半分本気で信じこむようになっていた。短いあいだとはいえ、レースは小生意気とさえいえる自信をただよわせているかに思えたし、投資からの莫大な見返りを期待して、ガールフレンドに車を──中古のマスタングを──買ってやったりもしていた。
 だけど、覚醒剤工場が火事にあったんだぜ、よお? 稼働しはじめたその当日、工場はものの十分で骨組みだけの姿に焼け落ちてしまった。工場で働いていた不法滞在のメキシコ人たちは窓から逃げだしたが、彼らが火傷と煤にまみれた姿で近くに茫然と突っ立っていたときに消防車が到着した。いま、労働者のほとんどが郡拘置所にいる。
 レースが火事のことを知ったのはクラークからではなく、やはりイラクで友人になったボビー・ストーンからだった。ボビーは、噂にきくマジもののグラスとやらを一万ドル分買おうとしてスミス湖まで車を走らせたが、火事の煙と消防車の明滅する緊急灯を目にしてあわてて逃げ帰ってきたのだ。レースはクラークを電話で叩き起こそうとしたが、相手がつかまらなかった。その日の午後も。夜になっても。そして十一時には、〈トライブ〉の面々がハイウェイに繰りだし、クラークを見つけるべく東にむかった。
 一同が丘陵地帯の自宅キャビンでクラークを見つけたとき、この男は荷づくりをすませて高飛びしようとしていた。レースに会いにいこうとしていたところだ、なにがあったのかを話して、新しく計画を練るつもりだった……クラークはそう一同に話した。全員に金をきちんと払いもどすつもりだ、とも話した。いま金は手もとに一セントも残っていないが、金策のあてはいくつもあるし、万一に備えた予備計画もある、と話した。みんなにはめちゃくちゃ申しわけなく思っている、とも話した。話の一部はまっ赤な嘘で、一部は真実だった。とりわけ、めちゃくちゃ申しわけなく思っている、という部分は。しかし、ヴィンスにはどれひとつ意外には思えなかった。その場でクラークが泣きはじめたときでさえ。
 ただしヴィンスを──というか、その場の全員を──驚かせたことがあった。クラークのガールフレンドが、ヒナギクのプリントがはいったパンティと《コーマン・ハイスクール代表チーム》という文字のはいったトレーナーだけの姿でバスルームに隠れていたことだ。十七歳、メタンフェタミンで完全にラリっていたばかりか、手には小型の二二口径の銃があるという申しぶんのない状態で。ガールフレンドは、ロイ・クロウズがあの女はここにいるのかとクラークにたずねたのをきき、あの女がおれたち全員にフェラをしたら、その場で借金から二百ドルさっぴいてもいい、と話すのもきいていた。そのあとロイはバスルームに行き、小便をしようとズボンから一物をとりだした。しかし女はロイがジッパーを下げた目的を勘ちがいして、銃の引金を引いた。一発めはあさっての方向に飛び、二発めは天井に命中した。というのも、その時点でロイが愛用の大鉈で女を叩き切っていたからだ。その瞬間を境に、すべてが赤い穴に落ちこんでいった。すべてが現実の世界から遊離して、悪夢の世界に滑りこんでいった。
「たしかに、あいつは金の一部をなくしてるとは思う」レースはいった。「場合によっちゃ、おれたちからあつめた金の半分をふいにしててもおかしくない。だけど、ディーン・クラークが六万ドルのありったけを一カ所に積みあげていたと思ってるのなら、あんたには打つ手なしだ」
「クラークが金の一部をどこかに隠したってことは考えられる。おまえの見立てがまちがってるとはいってない。でも、おまえがそれでどうしてクラークの姉に目をつけるのかがわからない。姉に預けるくらいなら、密閉できるガラス瓶に金を詰めこんで裏庭に埋めるほうがずっと簡単だったはずだ。興味本位で、みじめな売女に目をつけるような真似には賛成できん。まあ、その売女の金まわりが急によくなったというのなら、話はべつだが」
「おれはこの取引にもう半年も費やしてる。この話にたんまり賭けているのは、おれひとりじゃないんだし」
「オーケイ。だったらラスヴェガスに着いてから、どうやってかたをつけるかを話しあおう」
「話しあいでなにが解決するっていうんだよ。駆けつけてこそ解決だ。あいつの姉貴はきょうショウロウにいる。でももし、弟のクラークが恋人ともども、いまじゃキャビンの壁のペンキになってると知ったら──」
「おっと、あんまりでかい声でしゃべらないほうがいい」
 レミーはヴィンスの左側で、腕組みをしてじっと話をきいてはいたが、ふたりのあいだに割ってはいる必要が出てきたら、すぐにでも進みでられる体勢をとっていた。ほかの面々はふたり、あるいは三人のグループをつくって立っている。いずれも髪が乱れたひげづら、道路の砂埃まみれで、身につけた革のジャケットやデニムのベストにはチームのワッペンが縫いつけられていた。先住民スタイルの羽根飾りをつけた髑髏マーク。その下には《トライブ・道路に生きて道路に死す》というチームのモットーが記されていた。彼らはずっと以前から、この〈部族〉をチーム名にしていた。といっても、本物の先住民はひとりもいない。ピーチズだけは、チェロキー族の血を半分受けついでいると公言してはいるが、この男にしても気分次第で半分はスペイン人だとか、半分はインカ族だということもある。ドクは、それであの薄ら馬鹿の気がすむのなら、半分はイヌイットで半分はヴァイキングだとでもなんとでも、好きにいえばいい、と話していた。
「金はなくなったんだ」ヴィンスは息子にいった。「半年の時間もだ。現実を見ろ」
 息子はその場に突っ立っていた。あごの筋肉が隆起したが、なにもいわない。ポケット瓶を握りしめている右手の関節が白くなっていた。そんな姿を見ていて、息子のレースが六歳だったころの姿がいきなり脳裡によみがえってきた。いまとおなじような土埃だらけの顔で、自宅の砂利敷きのドライブウェイを緑色の〈ビッグホイール〉の自転車で走りまわりながら、のどの奥で〝ぶおんぶおん〟とバイクのエンジン音を真似ていた姿だ。ヴィンスと妻のメアリは腹の皮がよじれるほど笑った。息子が一心に精神を集中させているしかめ面がおかしかったからだ。幼稚園児の道路戦士。しかしいまの息子の姿に、笑いを誘われることはなかった。つい二時間前に、ひとりの男の頭をスコップでかち割ったばかりのレースの姿には。レースは昔から駿足だった。女の発砲がきっかけで引き起こされた大混乱のなかでクラークが逃げようと走りだしたが、いちばん最初に追いついたのはレースだった。殺すつもりはなかったのかもしれない。スコップを叩きつけたのは一回だけだった。
 ヴィンスはさらに言葉をつづけようと口をひらいたが、気づけば話すべきことはなにもなかった。体の向きを変え、ダイナー目ざして歩きはじめる。しかし三歩も進まないうちに、背後からガラス瓶が砕けちる音がきこえてきた。ふりかえると、レースがタンクローリーの側面に携帯用のガラス瓶を投げつけたことがわかった──つい五秒前まで、ヴィンスが立っていた場所を狙って投げつけたのだ。あるいは、ヴィンスの影に投げつけたのかもしれない。
 凸凹だらけのタンクの表面を、ウイスキーとガラスの破片が伝い落ちていった。タンクローリーの側面をちらりと見あげたヴィンスは、目に飛びこんできたものに思わず体をぎくりとさせた。タンクの側面にステンシルで文字が書きこまれており、それが〝虐殺〟を意味する《SLAUGHTERIN》に見えたのだ。しかし、そうではなかった。書かれていたのは《LAUGHLIN》という文字だった。ヴィンスのフロイトについての知識は二十語以下で要約できる──気どった白ひげの葉巻男、持論は〝子どもは親をファックしたがる〟だ。しかし心理学の知識がろくになくても、いまここで罪悪感がどんなふうに働いているのかはわかった。思わず声をあげて笑っていてもおかしくなかった──つぎに目に飛びこんできたものさえなかったら。
 タンクローリーの運転手は運転席にすわっており、窓から腕がだらりと垂れ下がっていた。二本の指にはさまれたタバコから煙があがっていた。前腕の中央より上の部分に、色が薄れたタトゥーがあった。《不名誉よりは死》。つまり運転手は帰還兵だ。ヴィンスはその事実を──どこか気もそぞろなまま──意識し、すぐ頭の奥にしまいこんだ。あとで考えをめぐらすためだったのかもしれないし、そうではないかもしれない。ついでヴィンスは、男がどんな話を耳にしただろうかと考え、危険の可能性を計算し、ラフリンという名前の男を運転席から引きずり降ろして、ひとつふたつ道理を叩きこんでやる緊急の必要性があるかどうかを思案した。
 ヴィンスがまだ考えているとき、タンクローリーがうなりをあげ、排ガスの悪臭ただよう騒々しい命をとりもどした。運転席のラフリンはタバコを駐車場に投げ捨て、空気ブレーキを解除した。排気パイプがディーゼルオイルの黒煙を噴きあげ、タンクローリーはタイヤで砂利を踏みしだきながら動きはじめた。タンクローリーが遠ざかっていくと、ヴィンスは緊張がほぐれていくのを感じつつ、ゆっくりと息を吐いた。あの運転手は話の一部なりとも耳に入れたのだろうか? いや、話をきかれたとして、それが問題になるだろうか? 少しでもまっとうな頭のある人間なら、こんなクソ溜まりに自分から足を突っこみたがるわけがない。ラフリンもおそらく盗みぎきを勘づかれたと察し、逃げられるうちに逃げようと思いたっただけにちがいない。
 十八輪の巨大なタンクローリーが二車線の幹線道路に滑りでていくころには、ヴィンスは早くも体の向きを変えて仲間のあいだを歩きながら、ダイナーにはいるよううながしていた。ヴィンスがふたたび問題のタンクローリーを目にするのは、それから一時間ばかりあとのことだった。
  

続きは本書でお楽しみください。


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