2024年初週のインターネットでモヤったことのある人に伝えたいこと
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
2024年に入って早1週間が経ちました。
災害や事故など、色々なことがあり波乱の幕開けとなった本年ですが、
私のタイムラインも少々騒がしいことになっておりました。
仲間内の悪ふざけが広がりすぎてなんか大変なことになったとき
コンテンツが賛否両論になってなんかギクシャクしたとき
なんだかなぁ~とモヤったことのある人も少なくないのかなと思います。
かくいう私もその一人。
おそらくこのnoteを開いたあなたもその一人。
そんなあなたにちょっとしたメッセージを伝えたいなと思います。
人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである
こういった言葉をどこかで見聞きしたことはありますでしょうか。
かなり極論に見えますが、アドラー心理学の"対人関係論"というものです。
この論を用いることのメリットをきっちり解説できるほどは理解しきれていないので、この場における仮説として、一旦受け止めておいてくだされば幸いです。
人間の行動には全て目的がある
こちら、ハーパーのnoteやツイートをご存じの方はもしかしたら見たことがあるかもしれませんが、アドラー心理学の"目的論"というものです。
これも一旦仮説として受け入れてくだされば。
この二つの仮説をもって、この1週間のインターネットの登場人物をざっくり3つに分けます。
①他者を思い悩ませた人、モノ
(某コンテンツ、インターネットお騒がせさん等)
②1を受けて思い悩み自身の意見を発信した人
③1,2を受けて思い悩んだ人
おそらくこのnoteを開いてくれている人の大半は③。
一部②に該当する人もいるでしょう。
そして①にあたる人はここにいないと思います。
ここで私が思うのは、先ほどの二つの仮説を前提としたときに、
「①は他者に何をもたらそうとしていたのか」
「②は他者をどうしたくてその意見を発信したのか」ということです。
その結果、他者一人ひとりがどう思ったかはこの場では置いておきます。
あくまで、行動した側の意図に注目します。
目的の階層構造
行動の目的に対して「なぜ?」という問いを繰り返すことで、
段階的に目的が具体化していく構造のことを言います。(ハーパー的解釈)
何らかの行動の目的の第1層目としては、おおむね
他者を「自分の思い通りにしたい」
他者が「理想通りであってほしい」
というものになると思っています。(異論はあると思うけど、一旦そのまま読み進めてほしい)
あまり聞こえの良い表現ではありませんが、この時点での良し悪しは有りません。
問題はその先の第2層目、その目的にもう一度「なぜ?」と問いかけた時の答え。
そこにきちんと「他者への思いやり」があるのかだと思います。
こうしたら楽しめるかな。こうだったら嬉しいな。
こうなったらもっと楽しいのに。こうだったら一緒に喜べるのに。
結果的に発信したモノは人ぞれぞれでも、他者への思いやりがどこかの時点で含まれているならば、それはとっても素敵なことなんじゃないかと思います。
もしこれが「自分が気に入らないから排除したい」とか、「そもそも他者がどう思うかなんて考えてない」などといった利己的な理由があったなら、それは対人関係をきちんと意識できていないお馬鹿さんです。ミュートやブロ解するなり、もっと大きいものなら他界するなどしてさよならしましょう。
色んな情報や意見が飛び交う今の時代、人の感情や行動に心を痛める機会は少なくないでしょう。
それらに支配されないよう、少し距離をとって考えてみるのもいいかもしれません。
結局メッセージってなんなん
ここ最近のインターネットでモヤったり、何らかのコンテンツにモヤってしまった人も、それはあなたが他者への思いやりをきちんと心に持っているからなんじゃないかなと私は思います。
だからきっと大丈夫、2024年もいい年になります。
良いお年を。
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