勝手コラム"えいがのじかん"【響-HIBIKI-】
勝手に始めた最近見た映画の感想をつらつらとまとめる不定期コラムにお付き合いいただきありがとうございます。筆者である私、結構な映画好きでして、ゴリゴリのホラー映画からキュンキュンな青春モノ、和モノも洋モノも大好物でございます。
以前はレンタルビデオ店から一週間では見きれないくらいのビデオを借りては部屋に引きこもって見てましたが、最近便利になりましたね~AmazonPrimeの会員になっていれば対象の映画やアニメが見放題、しかも更新される度に「映画館で観たかったけど都合悪くて見逃した作品」が配信されてますから、もうレンタルビデオ店は新作を借りてくる以外必要なくなっちゃったなと。
勝手コラムと名前をつけたのは、好きな映画くらい好き勝手言わせてよって話ですよ。クライアントさんの依頼コラムだといいところ8割、比喩2割くらいの本心とはかけ離れたコラムになっちゃうもの。だからもしこのコラムにお金払いたい!って奇特な人がいましたら、巻末のサポートからAmazonPrimeの月額利用料(500円ね)くらいのお金、投げ銭してもらうか、AmazonPrimeの会員紹介バナークリックして、あなたが会員になってくれたら紹介料が発生するから。
と、言うわけで初めての今回は2018年公開、平手友梨奈主演の「響-HIBIKI-」を紹介。トップ画像はアマプラから拝借しました。内容の概要はトップ画像クリックすると見れるよ~。
文藝界って何年かに一度天才が現れる
平手友梨奈が演じる響が小説の新人賞に応募したところから話はスタートする。それが若い編集者の目に止まり、デビュー作が直木賞、芥川賞にエントリーされる。
私も文藝というジャンルに身を置いて、文章を書いて飯を食ってるので作中の苦悩する小説家や何度挑戦しても賞を取れない小説家の苦悩みたいのはわかる。
実際に圧倒的な才能を目の前にして、自分が無力だと痛感し、小説家という職業から逃げ出した私は最後に響きが放つ「10年やって駄目なら11年続ければいい」という一言にぐさりと胸をえぐられた。ちがう、そこじゃないのだ。無力感は積み重ねた年月ではないのだ。自分よりも圧倒的な表現力を持った誰かが目の前に現れて、それに自分が負けたことを認めることができないから無力と感じるのだ。だからこそ作中の登場人物は響きに対して憤るし、暴力で解決してしまおうとする。憤りの正体がわからないから。
15歳という思春期ど真ん中の響がどうしてここまで不思議ちゃんなのかは作中で一切触れられていない、そこが響のミステリアス加減を増しているのだ。だって初対面の男の子の小指、ためらいもなく折っちゃうんだぜ…。大御所作家に飛び蹴りカマスし。きっと人と触れ合うことを極端に怖い人なんだろうなと勝手に思ってる、そこがまた魅力なのかもしれないし、観ていてなんとも不思議な懐かしい感覚になったのだ。(だから書いてる)
文藝界には数年か10年単位で紛れもない天才が現れる。話題の作品を出すとか、賞をとるとか、その次元とは別に抉るような才能が現れて、そして消費されていく。作中、大御所作家が「自分の作品と人生に折り合いがついちまった…」という台詞がある。書けなくなった作家はまさにこの状態を経験し、潰れていくかそれでもと粘り強く書き続けるかのどちらかだ。
皆さん覚えているかどうかわからないが「カゲロウデイズ」の作者はあれ以降作品を発表していない。ということはそういうことなのだ。同級生のリカが響よりも早く小説家としてデビューする。が、響という圧倒的な才能の前に絶望感を味わい、追いつくことのできない敗北感にさいなまれる。天才とは時に周囲の人間を確実に廃人に追い込む。映画の話なのに私は凜夏に自分を重ね25年前の敗北感を清々しいまでに思い出した。文藝とはきっと天才の巣窟でとてつもなく残酷な世界なのだ。
小説家に明日はあるのか?
文藝というジャンルが結構一般的になっている。少し活躍したライターに書籍出版のお誘いがあったり、なんならWEBで自分の作品が発表できる。インターネッツに感謝!となりそうだけど、ここ数年文藝界は出版不況で揺れている。編集者の側面からこの手の天才作家は喉から手が出るほどほしいだろう。だから高嶋政伸扮する文芸誌の編集長は相当ゲスに描かれている。売れればいいという単純な競争構造の上に成り立った社会があるからだ。
最も、この作品は平手友梨奈の怪演が際立っている。響が好きだと思った作家の顔と名前が一致しているって並の本好き少女ではない、相当読み込んでいる。
また、容赦なく相手を傷つける、自分が校舎の屋上から落ちても「びっくりした」で済ましてしまう辺りは、生への執着が薄いのではないかと心配になってしまう。
この感じ、誰かに似ているとするならば芥川龍之介や三島由紀夫、ジョン・レノンあたりではなかろうか?それを彷彿とさせる演技を平手友梨奈はやってのけたのだ。まるで素の自分が響であるかのように。
文藝界似明日はあるのか?と問われたとする。私の中では「人が文字を消費しなければ今後も続いていく」と分析する。2021年に発表された「テスカトリポカ」は消費されない作品だ。久しぶりに読みふけった小説で、世界観そのものが実在するかのようであり、身近に感じる問題もまとめられている。
また海外書籍だが三体は名作として語り継がれる作品だし、最近の小説は作家の本気度が増しているように思える。誰でもビジネス本の著者にはなれるが、小説家となるにはとてつもなく狭き門をくぐらないと成せない職業で、ハードルが高いからこそ「消費されない文藝」が守られるのだと映画を観ていてそう感じた。
響-HIBIKI-詳細
響-HIBIKI-の詳細は下記参照
監督:月川翔
出演:平手友梨奈、北川景子、アヤカ・ウィルソン、高嶋政伸、柳楽優弥、吉田栄作、小栗旬
提供:映画「響-HIBIKI-」製作委員会
ちなみにこの作品には漫画原作があります。
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全13巻、柳本光晴著
ビックコミックスペリオールで2014年~2019年まで連載されていた作品。最近の傾向として漫画が原作で実写版になることが多い、本作品もこの流れだ。大抵、原作が漫画だと表現が難しい所は上手く表現できずに駄作の傾向になりやすいのだが、平手友梨奈の演技力だけじゃなく、周りの役者の力が作品を名作に押し上げている。ジャニーズのイケメンが出てたような気がするけど最後までちょい役、主人公が光り過ぎな作品でとても好感が持てる。
原作の漫画は続きがあるようだ。連載も終わっていることだし、もしかしたら今作の続きが見れるかもしれない。だとしたらとても楽しみである。