大丈夫、入鹿池がある。
愛知県犬山市に入鹿池というため池があるのをご存知だろうか?
どうやらこの池、日本で2番めの大きさを持つ人造湖。ダム湖としても登録されているらしく、ダムカードなんて洒落たカードも発行されている。
僕が犬山にこだわって活動しているのはこの池があるからだ。そう、入鹿池があるから、なんとなく大丈夫だと言えてしまうくらいここの風景が好きなのだ。
僕が犬山で活動する理由
以前少しだけnoteに記事にしたこちら↑はほぼ関係ない(笑)でもバス釣りは上手だよ、一銭にもならんけど。このバス釣りが縁で実は犬山で活動しているといっても本当に過言ではない。僕が入鹿池に通い出したのはかれこれ30数年前になる。我が家はこの入鹿池から自転車で20分ほどのところに住んでいた。実は今もそのくらいの距離のところに居を構えている。
少年時代の僕は、学校から帰ると何もせず、ぼんやりとしていた子だった。ある日見かねた親父が釣りにつれてって、そこから自然とバス釣りにのめり込んだ。典型的なケースだ。あの頃は今のようにネットがある訳でもなく、入ってくる情報なんてのは雑誌だった。学研社が出版している「つりトップ」が愛読書だったのを今でもはっきり覚えている。
テクニックとかそんなのは関係なし。ワームとプラグの区別も着かなかったし、ルアーなんて高価で買えなかった。しかも決まって輸入物しかなかったのもある。ラパラは宝物であった時代だ。
入鹿池で釣りをしているといろいろなおじさんに出会う。その中でも、開高健は別格だった。晩年の数年しか交流がなかったが少年には強烈なインパクトと釣りを通した哲学(だろう、今にして思えば)は何も知らない少年に十分すぎるほどだった。
哲学的な所はその当時さっぱり理解できなかった。今から考えるととんでもない人物で、コピーライターとしての哲学を僕に伝えていたのか、仕事の愚痴だったのかは定かではない。でも今でもはっきりと覚えている一言がある「入鹿池のこの風景な、これから何百年もこのままだといいな」これが開高が僕に言った最後の言葉だ。この言葉がなにか別れの一言のようで、忘れられない。この後すぐに、開高はカナダのバンクーバーで亡くなったと開高と同行していたカメラマンさんから聞いた。
悲しいのか悲しくないのか、なんとも言えない気分であったが、成人してから開高記念館へ伺う機会があり、開高の残した写真の中で一枚だけ入鹿池の写真を見せてもらい、僕は正直はっと気づいた。開高がヘラブナを釣っている景色が、今も変わってない事に。
と、僕が犬山にこだわる理由は景色を変えるなと言った偉人がそこにいたからではない。残したい風景があるのだ。人が集まるのもいい、いろいろと施設やお店ができるのも歓迎。しかし、開高が愛した入鹿池の景色は未来永劫変わってほしくない。そのためには犬山全体が盛り上がらないと、変えられてしまうのだ。僕はそう危惧している…。
今年はどうやらワカサギが好調のようだ、と入鹿亭のそのみさんが仰ってた。記事にしたのでこの冬にでも訪れてみてはどうだろう?
手ぶらで遊びに来ても十分一日楽しめる。入鹿池って誰でもウェルカム…素敵な場所なのだ。