沈んだ水面
この作品は、家族の絆を描くことをテーマにしていました。
家族の愛について考えてみてほしい。
親子や、兄弟など本当に純粋なもので作られていることなど、稀な話なのではと思いませんか?
捻じ曲がった考えと言われればそれまでですが、
人は優越感と劣等感に支配されて生きています。
例えば、葬儀で遺産問題などに揉めるなどよくある話です。
親の介護問題さえもトラブルになるほど歪んでいます。
私は思うのです。
歪んでいることを受け入れて自分自身を失わないことが一番良い。
ぜひ、目の前のことを受け入れて、
自分らしく楽しんで生きちゃいましょう。
プロローグ
多摩川沿いの古びた小さな一軒家。
家の壁には少しずつ傷やひび割れが目立ち、庭の雑草が無造作に伸びている。
かつては家族の温もりがあふれていたこの家も、今では物静かで、どこか重苦しい空気が漂っていた。
まさきは玄関先で靴を脱ぎながら、思わずため息を漏らす。
この家に戻るたびに、彼の心にはやり場のない感情が押し寄せてくる。
まさきの家族は、かつて理想的な家庭だった。
父の隆一は競艇選手として一世を風靡し、その栄光は家族の誇りだった。
家には多くのトロフィーやメダルが並び、近所の人々も「加藤家はすごい」と口々に言っていた。
隆一は競艇選手としての誇りを持ち、まさきたち兄弟にとっても自慢の父だった。
しかし、その輝かしい日々は、父の年齢と共に次第に失われていった。
隆一が年を重ねるにつれ、レースでの成績は落ち始めた。
最初は一時的なものだと信じていた家族も、次第にその現実に気づくようになる。
レースで勝てなくなると収入も減り、家計は厳しくなっていった。
まさきが中学生になる頃には、隆一の落ちぶれた姿が家族の生活にも影を落とすようになっていた。
以前は父の活躍を心から喜んでいた母も、今では疲れた顔で無言のまま食事を用意する日が増えていた。
そして、隆一が家計を支えるために手を染めたのが八百長だった。
最初は小さなレースで結果を操作し、何とか収入を得ようとしたが、いつしかそれが常態化していった。
家族のため、生活のためと自分に言い聞かせながらも、隆一は次第にその世界に染まっていき、自らの誇りを捨て去ってしまった。
まさきは、その変わり果てた父の姿をずっと見ていた。
父が疲れ切った顔で家に帰り、ため息をつきながら金の話をする姿は、かつての誇り高い競艇選手ではなく、ただの小さな男に見えた。
しかし、そんな父に逆らうこともできず、まさきもまた、父の道を追うことが唯一の家族への貢献だと信じ始めた。
まさきが競艇選手を志したのは、高校を卒業してすぐのことだった。
かつての父の栄光を再び取り戻し、家族を支えられる存在になりたいという一心で競艇の道を選んだのだ。
だが、競艇学校を卒業し、実際にレースに参加するようになると、次第にまさきは父と同じ歪んだ絆に囚われていくことになる。
父からは、「家族を守るために勝て」「俺のやり方を理解しろ」という言葉が投げかけられ、まさきは否応なく八百長の片棒を担がされることになった。
家族のためという言葉が鎖のように彼を縛り付け、理想としていた競艇選手の姿はいつしか形を変え始めた。
母も、兄姉も、まさきの葛藤に気づいてはいたが、誰もが家族のために声を上げられなかった。
ある夜、家族全員が久しぶりに食卓を囲んだ時、父の隆一が酒に酔って言った。
「まさき、お前は俺の誇りだよ。家族のために俺の背中を追ってくれる、それだけで充分だ」
その言葉を聞いた瞬間、まさきの胸には耐えがたい違和感が湧き上がった。
父にとっての「誇り」とは、八百長を通じて得た名声や金に過ぎない。
それでも、彼は黙って頷いた。
家族を守るためには、父の望む道を歩むしかないと自分に言い聞かせた。
しかし、内心では自分が父と同じ道に染まっていくことに恐れを抱いていた。
彼は競艇という道を愛していたはずなのに、その純粋な気持ちは、いつしか歪んだ鎖に縛られ、金と名声という影に取り憑かれていた。
まさきが競艇場でのレースに挑むたびに、その歪んだ絆が彼を縛り付けていた。
勝つたびに家族を喜ばせたいという気持ちと、父の言葉が重くのしかかる。
まるで、自由な選手としての自分が家族の重荷に押し潰されるようだった。
「これで本当に家族を守れているのか……?」
水面に浮かぶ自分の姿を見つめながら、まさきはその問いに答えることができなかった。
家族のためにと信じて歩んできた道が、今ではどこか遠い場所に連れて行かれているような気がした。
それでも彼は、その道を進むしかないと思い込んでいた。
まさきの歩む道には、かつての父の影と、家族を守るという鎖が絡みついている。
その鎖を断ち切るためには、彼は自らの道を再び見つけなければならない。
だが、その道が彼にとってどれほど険しいものであるか、まだ誰も知らなかった。
家族への愛と競艇選手としての誇り。その狭間で揺れ動くまさきの物語が、静かに幕を開けようとしていた。