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見えない愛の値段

まえがき

陽が高く昇り、秋の澄んだ空気が東京の街を包んでいる。
南青山の高層マンションの一室、広々としたリビングには窓からの自然光が柔らかく差し込み、白を基調としたモダンなインテリアに暖かさを添えていた。

ソファに一人腰掛けていた桐島玲子は、手元のスマートフォンを見つめ、ため息を一つついた。


「またか…。」


玲子のスマートフォンには、知らない若い男性からのメッセージが続々と届いている。
いずれも同じ内容だ。

――ママ活をしませんか?

奢られるのが当たり前、という態度を見せる彼らのメッセージは、薄っぺらな丁寧さをまとっているが、そこには裏の意図が透けて見える。

経済力をもった大人の女性をターゲットにし、金銭の代わりに束の間の時間を提供しようとする若者たちの「商売」。


「どうしてこんなことになったのかしら…。」


玲子は苦笑しながら、10代のころからの自分を振り返る。
父は大手不動産会社の創業者、母は社交界の華。玲子は幼いころから裕福で、欲しいものは何でも手に入る生活を送ってきた。

けれど、それと引き換えに愛情を感じたことはなかった。
両親は常に忙しく、玲子にとって愛を示す手段はプレゼントや多額の小遣いだった。


40歳になった今も、玲子の生活は変わらない。
バリキャリと呼ばれることもなく、結婚することもなく、親からの資産を頼りに暮らし、ただ空虚な時間を過ごしている。


孤独を埋めるために訪れるのは、ブランドショップや高級スパ、そして夜のラウンジバー。
話し相手は皆、彼女の肩書や資産目当ての人々ばかりだ。

「寂しいなんて、口にするもんじゃないわ。」

玲子は自分にそう言い聞かせる。
裕福な家に生まれ、何不自由なく育った彼女は、いつしか「寂しい」と言うことを許されなくなった。表向きは微笑みながら、高価な服に身を包み、高級なレストランで食事を楽しむ。それが彼女の日常。孤独を感じたとしても、それを言葉にすれば軽蔑されるだけだ。

そんな日々の中で、「ママ活」という単語が彼女の生活に入り込んできたのは数年前だった。
ある日、友人に誘われて行った銀座のラウンジで、20代前半の男性と知り合った。
彼は玲子に優しく接し、玲子の話を丁寧に聞いてくれた。そして最後に、こう言ったのだ。

「玲子さんのこと、もっと知りたいです。
  いろいろな経験をさせてほしい。」


玲子はその言葉に少し心を動かされ、連絡先を交換した。
それから数回食事を共にし、彼女はその若い男性に少しずつ高価なプレゼントをするようになった。
彼はそのたびに感謝の意を示し、玲子を「特別な存在」として扱ってくれた。

それが心地よかった。自分にもまだ価値があるのだと、そう感じさせてくれた。


だが、その関係も長くは続かなかった。彼は玲子の元を去り、別の女性と結婚したと噂で聞いた。失望と虚無感だけが玲子の胸に残った。それ以来、ママ活の誘いが舞い込んできても、一度も応じることはなかった。

玲子は再びスマートフォンを見つめる。そこに表示された若い男性たちのメッセージを、一つ一つ無表情で削除していく。彼らの言葉は魅力的だが、その裏にあるのは結局、玲子の「財布」としての価値への期待だけだ。そこに愛はない。彼らにとって、愛の値段はお金でしか測れない。

削除ボタンを押し終えると、玲子は深く息を吸い込んだ。手元のスマートフォンを机の上に置き、立ち上がる。窓の外には、青空がどこまでも広がっている。

「今日も一人で、歩いてみようかしら。」

玲子は軽やかなコートを羽織り、玄関へと向かう。自分が見えない価格の愛を探し続けていることに、彼女は気づいていた。しかし、その愛が手に入るかどうかは、まだわからないままだ。

階下へと向かうエレベーターの中で、玲子はふと小さく微笑んだ。彼女にとっての愛の値段が、いつかお金ではなく、心で測れる日が来ることを願って。

(完)

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