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『静寂の廃墟』後編
「これは……夢じゃない……」
結城直人は、自らを奮い立たせるように自分の頬をつねった。だが、目の前の異形の存在は消えるどころか、より鮮明にその姿を現した。
灰色の皮膚が光を反射しない不気味な質感を持ち、細長い手足が異様な静寂を伴いながら動く。その目――赤く光る二つの瞳が、直人をまっすぐ見据えていた。
直人は反射的に足を動かし、背後にあった「研究エリアA」の扉を乱暴に閉めた。そしてロックがかかる音を確認する。
「くそっ、何なんだよあれ……」
恐怖と混乱の中、ふと目に入ったモニターに映し出されていた記録映像に直人は再び目を向けた。そこで流れていたのは、研究所の最終記録だった。
記録映像:2034年5月20日
薄暗い研究室の中で、研究リーダーとおぼしき中年の男性がカメラに向かって話している。
「……これが最後の記録となるだろう。我々は限界を超えた。『ネオジェニック・プロジェクト』は人類を進化させるはずだったが……皮肉にも、これが人類の破滅を招くものになった。」
カメラの背後で、研究員たちが必死に警報システムを操作している様子が映る。何かを封じ込めようとしているのは明らかだ。
「最初は、小さなミスだった。DNA改変の実験体が、自らの細胞再生能力を暴走させたのだ。その結果……制御不可能な存在が誕生した。」
映像が一瞬ノイズで乱れ、次に現れたのは、実験室の破壊された内部と、倒れている複数の研究員の姿だった。
「我々は施設を封鎖した。しかし、彼らはまだ中にいる。これ以上の犠牲を出さないため、この施設に近づかないことを願う。」
映像の最後、リーダーはカメラを止める直前にこう呟いた。
「これが我々の愚かさの証だ……。」
「……そんなことが……」
直人はその言葉を理解する前に、心臓が張り裂けそうな音を聞いた。扉の向こう側で「それ」が動いている。鉄製の扉を引っ掻くような音が、施設内に反響する。
「逃げなきゃ……早く!」
直人はモニターの電源を切り、持ってきた懐中電灯を頼りに出口へと向かった。しかし、廊下を進む途中、ある部屋の扉が半開きになっているのを目にする。
「ここ……何かあるのか?」
半ば無意識に足を踏み入れると、そこには一体の冷凍保存装置があった。装置の中には、人間の姿をした実験体が眠っているように見えた。
「……これが最初の実験体……?」
近づいて装置に手を伸ばした瞬間、背後で冷たい風が吹いた。振り返ると、廊下の暗闇から「それ」が顔を出している。
「……嘘だろ!」
直人は冷凍保存装置の脇にあったスイッチを押した。すると、装置が作動を始め、部屋全体に低音が響く。そして実験体の目がゆっくりと開いた。
「……君は……?」
冷凍保存装置から現れた実験体は、驚くべきことに人間の姿そのものだった。
「逃げて、早く!」
実験体の警告の声とともに、「それ」が一気に室内へと入ってきた。直人は混乱しながらも実験体の指示に従い、部屋を飛び出す。そして、背後で起こる激しい衝突音を聞いた。
希望の灯
施設の出口まで走り抜けた直人は、振り返ることなく外の世界に飛び出した。息を切らしながらも、振り返ると施設の中からは何の気配も追ってこなかった。
翌日、直人はネットに残された研究所に関する都市伝説を改めて調べた。だが、施設が閉鎖された理由に触れた記録は一切見当たらない。
「真実は、これで良いのかもしれない……。」
そう呟きながらも、直人の胸には冷凍保存装置で目覚めた人間――否、実験体の存在が強く残っていた。彼らは人類の希望だったのか、それとも新たな恐怖だったのか。
直人はそれを確かめる術も持たない。ただ、一つ確かなのは、施設の扉が再び閉ざされたことで、「何か」が外に出ることは当分ないだろうということだ‥‥‥