不思議な話2
2年前の10月頃の事でした。
私の勤めるお寺では9月1日から11月10日まで秋の拝観のシーズンという事で色々な催しをいたします。
少し小さめの博物館のような建物では、元国宝の観音様や色々な重要文化財が国立博物館からお戻りになられます。
そしてそこには1年を通じてひっそりと佇まれている初代らしいごお焼になられた焼損仏のご本尊様もおられ、この時期は多くのご仏像と再会され、一般の方が拝観にこられます。
その期間以外は博物館にはご本尊様お一人です。
私は時たま床のお掃除の時に密かに御礼拝させていただいておりますが、いつも、あー、この焼損仏様を多くの方にご覧になっていただきたいな、ご本尊様も多くの方とのお出会いを心から望んでおられるだろうなと思っていました。
そのだいぶ前の同じ時期に50代後半らしい上品なご夫婦がお見えになられた時に私がご案内した時の事です。
中に入ってすぐにその奥様はほかの展示物には見向きもせず焼損仏の前の床に正座して
ずっと礼拝されていましたが、突然崩れ落ちるように号泣されました。
ご主人も驚いた様子でしたが、ご主人から奥様はどうやら仏様たちとお話しができる事をお伺いいたしました。
その後正座されたままの奥様から号泣した理由を聞くと。
私たち夫婦は色々な寺社仏閣を周り焼損仏も見てきたがほとんどはお役目を終えられ朽木となられていました。
しかしこちらの焼損仏、観音様はまだ観音としてまだまだ多くの方を救うていくという凄く強く尊いお慈悲で満ち溢れておられる、私はその御前に座らせていただいた時にそのお気持ちで胸が打たれ思わず涙が止まりませんでした。
という事でした。そのお体の周りは強い光で輝きその輝きは天上へと続いています。
との事でした。その焼損仏をご覧になられた著名な女性も同じことを書籍に書いておられます。
後からまた違うお力のある方から聞いたのですが(その時も偶然ご案内は私でした)こちらの観音様は人々の苦しみを全て一心にお受けになり、その苦悩に耐えられず自らを火中に投げ出された。
しかし、地獄の炎にさらされ、更に1300年もの間天井裏で風雪に耐えながらまたもや観音様として蘇ったそうです。
さて話しを元に戻します。
その10月のある日、時間は3時頃、30代ぐらいのご夫婦が拝観に来られて私がその建物に案内しました。
その奥様もやはり最初から焼損仏の前に立たれて泣いておられました。
焼損仏をご覧になる方はさまざまです。学者のように観察するようにご覧になられる方、ただ前を通りすぎて他の展示物をご覧になられる方、色々でございます。
私は誰でもかれでもスピリチュアルなお話しをするわけではありません。ほとんどは一般的な説明だけです。
しかしごく稀にですがそういうお話しをさせていただく時があります。
その観点は二つです。
●御仏の御慈悲を信じておられる事
●敬意をお持ちになって御仏に接される方
そのご夫婦もその二つを強くお持ちの方と私は思いました。それで私が経験した事をお話しさせていただきました。
そのご夫婦は焼損仏の存在など知らず、ご仏像の拝観期間である事も知らず、車で近くまで来た時に人から聞いていた松尾寺に来られたとの事でした。
もう10年の間神仏習合のお寺に勤務させていただいて、神様や仏様がお呼びになってこられたのでは?(私のかってな解釈ですが)と思われる参拝の方がたまにおられます。
人からしたら!
そんなアホなの一言で片付けられるかも💦
こちらのご夫婦も私はなぜかそう思ってしまう方でした。
すると奥様が突然、焼損仏がまもなくここからいなくるような気がします、とおっしゃいました。
私ももっと多くの人との出会いがあれば良いのにと思っているので、そうなればいいですね。と言うと。ここを出ていかれますよ。
と再びおっしゃいました。
でも、一般的にまた現在のお寺の状況を考えてそんな事はあろうはずがない、それが私の正直な思いでした。
しかし、
翌年の4月に焼損仏様は色々ないきさつがあり、現在は今のご本尊が祀られ皆様がお目を通す事ができる場所にご移動されました。
私にすれば多くの人がほとんど一年を通じて拝観していただける場所にお越しになられて
嬉しく、これからも多くの方をお救いになられるだろうと感謝、感謝です。
そういう素晴らしい観音様である事を一人でも多くの方にお伝えしたいのですが、私は
先程の二つの観点が無ければ、うーん、やはり言わないだろうな、これは私の完全な我です。→反省かな!
でも、あの若い奥様から聞いたお言葉、やはり、
不思議です、