今こそ、結婚の話をしよう。
婚活という言葉が頻繁に聞かれるようになって久しい。結婚したいけど、出会えなくて結婚してない友人が沢山いる。今こそ、結婚の話をしよう。
先月の完結編でルミコハーモニーの国際結婚の連載が一応コンプリートした時期に、雑誌Penで結婚特集。
●そもそも結婚って何?
「結婚したい~」って思いながらも結婚相手が見つからず~と困っている相談を受けることが多く、そもそも結婚って何?と考えてみたい。
結婚前に妊娠・出産があると少し分が悪いというのは、上記の前提からくるものなのだと発覚。昔は見合いを経て家同士の婚姻だったのに対して、徐々に恋愛結婚の比重が高まってきている。最近では、結婚は神聖なことだから子供が生まれたからとかいう理由での婚姻ではなく、お互いが「今だ!」と思えるタイミングということでおつきあい10年目にして婚姻を果たした友達夫婦を見ると、非常に多様化していることは間違いない。
●結婚したい人達のマーケットを俯瞰する
晩婚化が叫ばれているが、更に結局結婚出来ずという人も増えている。生涯未婚率は男性23%女性14%に急上昇している(2015年度の国勢調査の結果。50歳まで一度も結婚をしたことがない人の割合を「生涯未婚率」と呼ぶ)。東京はこれだけ多くの人がいて、これだけ多くの男女が結婚したいと思っているにも関わらず、結婚したい人と結婚したい人がマッチングしない時代に到達してしまっている。なぜか?
24時間何か食べたければ簡単に手に入る時代。洗濯機から食器乾燥機、全自動掃除機と、昔に比べ家事の労力の激減は、昔夫が働いて妻が家事を担当する構図が音を立てて崩壊してしまった。結婚すれば、今の収入で家族を養わなければならないと想像すると、ついつい二の足を踏んでしまう独身男子。
結婚したいけれど、仕事をバリバリして、それ相応の男と結婚したいけれど、プライドや理想は高かまる一方、武装はどんどん硬化し恋愛の仕方を忘れ、需要と供給のマッチングポイントを探れない独身女子。
独身貴族生活が長くなってくると、ついつい他人と住むのは面倒という気持ちも湧いてくるし、ちょっと良い人が現れても、「きっと何か欠点があるはず!結婚してからでは取り戻せないから、早く欠点見つけなければ!」と小さな萌芽を無碍に摘み取ってしまう独身ガール。
「婚活してるんで、宜しく」という40歳婚活男子。好みのタイプを聞いてみると容姿は大抵モデルのような子がタイプとのことだけれど、本人が仕留められるだけの容姿磨きをしているかと言えばNOなのだ。また、40歳こじれ男子は、自分のペースを崩したくないけれど、構ってちゃんになってしまっている。これでは、なかなか成婚に至るのは非常に難しい。。。
次第に自分が結婚したいのか、周りのプレッシャーによって結婚したいのか、分からなくなり、更に恋の落ち方すら分からないという末期症状に悩まされる独身おひとりさま。
恋って、心が変って書くわけで。つまり恋って心が変になっている状態です。一種の思い込みが無いと恋なんて落ちれない。それが第六感とやらかもしれないし、自分が持ってない魅力を持っていたり、好きなタイプだったりすると、他のことが気にならなくなるのが恋の魔法なわけで。もう感度に蓋をしちゃって感動アンテナが折れていると、いくら素敵な人が現れても「どうせ私なんて、、」と自分を卑下したり、ちょっとでもグラッと来ようものならその後の失恋を恐れて必死に欠点を探し「でもこの人遊んでそうだし」「でもこの人きっと彼女いるだろうし」と自分に言い聞かせ、決して恋に落ちないように頑張っちゃう独身時代が私もあった。
夫に出会った時にも、怪しい~と思いながらも、相手と理解し合おうという志性は崩さなかった。(少しハテナな部分があっても、すぐに恋愛対象としての判断をするのではなく、まずは友達になって、そこから恋愛に発展するかしないかでも良いわけで…)無理せず、コミュニケーションを進める。実際諸所の言動か私の警戒心からかで、(怪しいからネットワークビジネスの人だろうか、、)と疑っていたのだけれど、アルテイシアさんも同じ状況で笑える。
結婚理由の大きな一つとして、自然な形で子どもを産んで育ててみたいというのがあるだろう。勿論、結婚しなくても、シングルマザーとして出産する選択肢や養子を迎えるという選択肢も無くはないけれど、一人で戦いきるよりは愛するパートナーと一緒に出来たらそれに越したことはないというのは誰しも思うことだ。愛するパートナーと子どもをもうけても、紙切れに縛られるのが嫌と婚姻しないカップルも世界には沢山いる。結婚とは神聖なものであって、子どもがどうのこうのではないお互いの気持ちが大切だ、とフランス人と日本人の夫婦は子供が5歳になったお互い付き合って10周年を区切りに結婚式を挙げ婚姻したケースもある。
●結婚後の夫婦関係
そんな結婚困難時代において、もっとびっくりするのが、折角結婚したのに、半数の日本人夫婦は一年以内にセックスレスになり、子どもの親としての共同生活者となってしまうよう。
日本社会はとにかく忙し過ぎて、恋人のような甘い時間を取り辛い。ましてや結婚後のマンネリに身を任せていると、単なる同居人ということに陥る。でも、海外では少し異なる。子どもが出来ても、夫婦と子供は別の部屋で就寝するし、子どもを預けてデートもする。
戦後の日本社会は、「奥さん」「うちのやつ」と称する通り、日本の謙遜文化も加わって夫の所有物という認識があったが、1985年に男女平等機会均等法が制定され、徐々に女性の社会進出も進んできた。イクメンと叫ばれ、夫婦で働きながら、家事も手分けするようになった時代と思いきや、案外会社のストレスから週末はソファーの大仏と化する夫、家事をやろうとしない夫、やりたい気持ちはあるけれど激務の職場で結果妻のワンオペ育児という現実が突きつけられている家族もまだままだ多い。
結局赤の他人同士が家族を成していくのだから、問題が無いはずは無い。でも、捉え方によっては、異なる性質だからこそ助け合い補完し合える良いチームであったり、似たようなところがあるからこそ一体感が増すチームでもあったりする。
●結婚って素晴らしい
「妻こそは、インスピレーションの源」として天才画家たちは妻をあがめ、作品を残している。マルク・シャガールの『街の上で』、サルバドール・ダリの『ポルト・リガトの聖母』、ピエール・ボナールの『レーヌ・ナタンソンと赤いセーターのマルト・ボナール』、アメデオ・モディリアーニの『エビュテルヌの肖像画』、パブロ・ピカソの『膝をかかえるジャクリーヌ』、レンブラント・ファン・レインの『ユダヤの花嫁』、ファンセット・ファン・ゴッホの『悲しみ』など。
相手を愛する結婚は素晴らしい。結婚しているからこそ、ちょっとやそっとの喧嘩別れで終わることなく、お互い向き合えることもあるのかもしれない。
●だから原石磨けば光る婚
お互い大切なカップルとしてチームを形成するのは、人生に一度くらいやっても損はないことだと思う。勿論あかの他人と交わることは面倒も多くなるけれど、その分見える世界は広がり、喜びも倍増するのは間違いない。
でも、みんな出会いが無いという。「あの人はどう?この人はどう?」と紹介しようとしても、あーだこーだケチをつけて、その人の魅力を積極的に探そうとはしない。みんな目を覚まそうよ!雑誌のモデルのような人が良いって言ったって、もう仕上がってるんだから、それ相応のレベルの相手を見つけちゃうよね?!自分はそのレベルに達しているっていうの?!その仕上がっているのはマーケット的に言えば超売り手市場。熾烈な戦いなのだ。一方よく周りを見渡して!!みんな案外良い所あるよ!例えば服がダッサイかもしれない。でもファッションに興味ないだけでスタイリングしてあげたら、案外格好よくなるよ!オタク大歓迎。何かに非常に詳しい突き詰める力があるってことは、賞賛に値する。
そして、更に私が提唱したいのは、「相手が成功する前にチームを組め!」なのだ。例えば、売れる前から芸人を育て上げた妻にはきっと頭が上がらないであろう。例えば、大学の奨学金返済があると聞くと一瞬リストから外そうとするけれど、一緒に完済してそれから一緒に貯蓄出来れば、チームの団結力は増す。困難を一緒に乗り越えるからこそチームなのだ。
更に、折角ナイスカップルになっても3ヵ月3年がマンネリ化して危ないと言われる。また、わざわざ破壊するカップルも後を絶たない。というのも、雄という生物はDNAにそのような本能が組み込まれているから仕方が無い。釣った魚に餌をやらず隣の芝は青く見えてフラフラしちゃう人が多い。しかし、本能に従って行動し、フラフラ様々な人と浅い関係を築いても、それは豊かさにはつながらず、最終的には空虚感しか残らないケースがほとんどである。
実は人間と猿はDNAが98%同じだという。人間にはそれぞれ長所短所があり、お互い如何に向き合えるかがポイントになってくると思う。同じパートナーでお互い向き合って、お互いの魅力を引き出し、お互い高め合う関係性というのが、最高なんではないか。
つまり、原石をまず探す千里眼を持ち、そしてそれを磨くプロデュース力を持ち、継続的に相手を高みへと導き、そして自身も向上し続ける「原石磨けば光る婚」をルミコハーモニーは提唱したい!!
●結婚って型にはまる必要もないけれど
我々の結婚式後数年経って、夫が「パパの結婚式に行こう」と言い出した。そう、夫のパパは75歳にして何回目かの再婚を果たし、我々家族もその結婚式に参列したのだった。その時に何かが音を立てて崩れた。きっと「固定概念」というものかもしれない。何歳になっても、結婚して良いんだという。
コラム寿命が永遠になるかもしれないのに「永遠の誓い」って出来る?にもあるけれど、確かにそうだ。平均寿命80歳イメージだから75歳での結婚に仰天したけれど、何歳で結婚したって良いのだ。
「週末婚」という結婚のスタイルもある。片方が転勤になった場合、子どもの学校の事情などで単身赴任になった場合、下手すると毎週末も会えないかもしれない。まだ会社から月一度家族に会いに行ける交通費を支給してくれるところはマシかもしれない。更にそれを上回る「年末婚」をしている夫婦が夫の同僚にいるというのだ。奥さんはNYで弁護士で活躍し、夫は東京で働いている。お互いの自己実現を尊重すれば、年末年始に妻が帰国して一緒に過ごす「年末婚」も有りといえば有りなのだ。
そもそも結婚する必要があるのかないのか。結局結婚しても、同時に事故死などにならない限りはいつかは、どちらかが残される。お互い向き合って大切にしあっているというのは、とっても素敵なことだけれど、事故や病気で片方が先立った時の落ち込みは想像を絶する。お互い助け合い思いやるけれど、結局各々自分の人生をしっかり歩んでいっているのが大切なような気がする。
●夫婦別姓ってどう?
結婚して姓が変わるのに憧れを感じた少女時代。自分の名前で仕事し出してからは、全てがドライブし始め、正直全てにおいて名義変更するのが面倒と変化。
2015年末、夫婦別姓を認めないという現行民法の規定が合憲であるという最高裁判決が出た。しかし、夫婦別姓か同姓かを選べないのは世界で日本くらい。夫婦同姓が原則の欧米キリスト教諸国でも別姓を選ぶ夫婦がいて、別姓が原則の中国や韓国でも同姓を選ぶ夫婦もいるのに!
結婚離婚の際の名義変更が面倒という理由もさることながら、もっと重大な困難に遭っている方がいる。例えば、学者は論文を書くことでキャリアを積み重ねているけれど、名前が変わってしまったら、その名前が掲載された論文のキャリアが消えてしまうということなのだ。片方ならそちらに併せることもできるけれど、夫婦で学者の場合は困難なのである。
また、国際結婚の場合、夫婦別姓か同姓を選択出来る。届出をしなければ、そのまま別姓となる仕組み。
夫婦別姓の場合、夫婦でビザの必要な国への渡航などの場合、必要以上に夫婦である証明書(日本語では理解できないので、翻訳したものを公益役場というところで公的な書類と証明印を捺印してもらう必要など)を必要とされることもあるので、これは一苦労。
特に夫婦別姓を認めない理由が見当たらないのだから、そろそろ日本も夫婦別姓を認めれば良いのに、こういう特に利権が絡まない案件は遅々として動かずなのか。
外国人女性が日本人男性と結婚した場合、苗字が日本の苗字になっているけれど、それは通称であって、戸籍上は異なるのだろうか???
国際結婚についてのコラムを推敲してもらったら、「入籍」とは言わず「婚姻」と言うのだよと口を酸っぱくして言われた。確かに、特に外国人と結婚する場合「入籍」出来ないので、「婚姻」が正しい。
そして、アイスランドでは姓すらない。厳密に言えば、親のファーストネームがラストネームになるとのこと。例えば、Jón Einarssonという人物にÓlafurという息子がいる時、Ólafur のラストネームは父親と同様のEinarssonとはならず、文字通り「Jónの息子 (son) 」を示すJónsson (Jóns + son) となる。このとき、Jón は属格形(Jóns)をとる。同様の慣習は娘に対しても用いられる。Jón Einarsson の娘 Sigríður のラストネームは Einarsson ではなく、文字通り「Jónの娘 (dóttir) 」を示すJónsdóttir (Jóns + dóttir) となる。
こう考えると名前は記号でしかないし、様々なやり方があるわけで、夫婦別姓くらい日本でもさっさと選択肢として認めれば良いかと思った。それよりも、外国人が日本名に変更する際、本名と全く異なる名前でも可能なことがビックリした。つまり、朴さんが木下さんと名乗ることは多いらしく、whiteさんの場合ホワイトと日本名になるのは分かる。でも、金さんが徳川でも良いそうで、、、
●離婚ってどう?
折角結婚したのに、僅か数年でお互いうまくいかなくなり、離婚に至るのは勿体ないと思う。実際に離婚という作業はかなり精神的にも物理的にも負担が大きい。
かといって、体裁を気にして離婚しない夫婦もいる。仮面夫婦だ。夫は営業飲み会としてキャバクラへ通い、妻は不倫をしているかもしれない。確かに状況としては子どもにはパパとママがいるけれど、微妙な空気も感じてないわけはない。
一方で当時私がシングルで30代になった時点で2クール目に突入してた友人も多い。私はまだ一度も結婚してないのに、すごいなーと尊敬の念すら覚えていたけれど、本人達は少なからずとも離婚の傷を負っていた。チームとして上手く行かなくなるのはやはりどんなケースにしろ辛いものだ。しかし、お互い上手く行かなくなったから分かれて、それぞれ幸せに生きていく道を探せるなら離婚も悪くない。
我々の結婚式は夫の友人が写真係をやってくれた。よくよく聞くと彼女は「僕のパパの元愛人の娘で、僕と彼女は直接は血はつながってないんだ!」
ほぅ。分かりにくい。要は夫が3歳の時にパパは愛人を作って家を出てしまったのだけれど、その原因となったのがそのカメラ係の彼女のママということなのだ。その時点で、彼女は生まれていたので夫のパパが彼女のパパではないらしいが、10年ほどは一緒に過ごしたとのことだ。つまり、そのカメラ係の友人って、あなたの親が離婚することになった原因の人がママってこと?!日本だと自分の親の離婚の原因になった人と仲良くするなんて、話を聞いたことがない。
「だってみんなと仲良くした方が、楽しいじゃないですか。幾ら愛人を作って出て行ったパパでも子供は会いたいし会う権利があるんですよ。どうして日本は、離婚後片親に一度も会わせないという事態が当たり前になっているんですか?それは子どもの権利を軽視してますよ!」
確かに、日本に住んでたら、「離婚に至った相手→会う価値もない→片親で育てても何の問題もない、寧ろそういう屑に会う方が害がある」という思考になっていて、全く違和感なかった。夫からの指摘で、「どんな人でもその子にとっては親なのだから」ということが少し分かったような気もする。確かに、最近では離婚しても、一緒に力を合わせて子供を育て続ける家族のカタチもあるし、どのような形態にしてもそれぞれが幸せに一日を過ごせるのが一番大切なことのように思う。
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