未来塾とわたし。
*2021年7月15日の投稿です。記録として。
2017年の9月。
はじめて環境系学生未来塾の名前を知った。
ちょうど未来塾が生まれた時のことだった。
大学のサークルの先輩が「こんなのあるらしいよ〜」とグループLINEに流してくれたのがきっかけだったと思う。
その時から、"これに行きたい!!!"という衝動がありつつも
大学の実習の都合から諦めたりしていて…
半年後、忘れた頃に再び連絡が来て
"いま行くしかない"という2度目の直感に突き動かされて、屋久島への飛行機のチケットを取ったのが3年半前。
あの時から
石黒燈の人生が動きだした。
そして同時に「この火を途絶えさせてはいけない」という使命のような感覚も溢れ出てきたと思う。
当時の未来塾はわたしの母校である農工大では知名度がほぼゼロ。
だれも知らない状態だった。
必要としている同級生や後輩たちはたくさんいるはずなのに
情報が届かないから出会えないというのには
あまりにももったいなさすぎるほど
わたしにとって未来塾の体験は宝物だった
だから、ちゃんと受け継いでいきたい
そう思った
スタッフを何度も繰り返したのも、
ことあるごとに未来塾未来塾と言いまくっていたのも
いつか必要としている誰かに届いて欲しいから
昔のわたしのように、人生どうしていいかわからないとモヤモヤしている学生に届いて欲しいから
何度も何度も、友達を誘ったり
後輩のLINEに投げてもらったり
"環境系学生未来塾"の名前を知ってもらうために
いろいろやってきた気がする
そして今日
自分が大学を卒業してから、入学をしてきた農工大生と話をした。
未来塾に行きたいけれど、大学の授業との兼ね合いで悩んでいる…という相談だった。
これは本当にすごいことだと思う。
わたしが直接関わりようもない世代の後輩が
未来塾のことを当然のように知っていて
そして参加したいと思ってくれている。
何がどうつながって、"環境系学生未来塾"の名前がその子に届いたのかはわからないけれど
わたしがやってきたことは
ちゃんと実を結んでいるのかもしれないな
と思った
いま、未来塾は口コミだけで満席になってしまうような
そんな存在になっている
嬉しいことであると同時に
情報が届かないから体験できない人たちも
その分たくさんいるんだと思う
そんな人たちにどうしたら届けられるか
それをこれから考えていくのが
わたしの役目なのかも知れないなぁ😌🌱
お祝い🥂