#beの肩書屋さん 100人を迎えて
はじまりはたったひとつの思い付き。
コロナの流行とともに失われていく様々な場。交流の機会。
そして、自分の内側を表現するきっかけ。
もりのおはなし会という対話の場を届けていた私も例外なく
もどかしさを抱えていました。
もしも。
オンラインで、自分の真ん中を思い出す体験を届けることができたら…
いまだからこそ、まんなかを思い出したい人がいるんじゃないか。
そんな想いから2020年2月
#beの肩書き屋さんは誕生しました 。
はじめは友人から。
そしてその友人へ。さらにその友人へと
瞬く間に輪が広がり、気づいたら100人の人と出会うことができました。
ここまで来る道の中
自分の大切な人にこの体験が届いたり、
その人の大切な人に届いたり、
少しずつ”自分の真ん中を思い出す”輪が広がっていくのが本当にうれしくて、これがわたしの見たかった景色だ…と思いました。
すべての人にその人にしかないタネがある。
そして、そのタネはどれも美しく、世界に表現される日を心待ちにしている。
わたしの中の真理が確信に変わる瞬間に100回も立ち会わせてもらえことは、本当に幸せなことでした。
一方で、その幸福を逃したくなくて無理もしてたなあとも。
5月は30人もの人の肩書きをつくったり
多少疲れていても依頼を受けたり…
真ん中を思い出したい瞬間にできるだけ寄り添いたいという願いが
自分自身の違和感や疲れを無視する結果になっていたように思います。
100人を迎えるにあたって、#beの肩書屋さんを続けるかどうか考えました。
自分自身のことを大事にできなくなるのであれば、やめたほうがいいんじゃないか、、と。
でもやっぱり、人が自分の中にある自分だけの宝物に出会う瞬間の表情が好きだ。
100人目の肩書づくりを終えた今、そんな心境にいます。
お金をいただく。
その選択肢が浮かびましたが、
肩書屋さんの”対価”として支払われるのはなんだか違う気がする。
なにより、自分の真ん中を思い出す権利はだれにでもあるはずなのに
その機会が金額というハードルで失われてしまうことにもどかしさを感じました。
(体験してみないと対話を通して自分のことを知る/深める価値って気づきにくかったりすると思うんです)
#beの肩書屋さん は気軽に、友達に話しかけるように
はじめられる存在であってほしい、というこだわりが顔を出しました。
ただ、自分の時間や労力がかかるのも事実。
わたし自身が、いま、新しい学びや探求のためのお金や時間を必要としているのも事実。
自分だけで苦しくなるのであれば、みんなに助けてもらおう。
ということで
#beの肩書屋さんはギフトの循環の中で運営することにしました 。
一度体験した人が、その体験を次の人に贈りたいという想いと共に
お金という形でギフトを贈る。
そして、わたしはそのギフトを次の人に届けるために#beの肩書屋さんを続ける。
いただいたお金は自分の学びや探求に使う。
そうすることで、
まだ#beの肩書屋さんを体験していない人はその機会を先人たちからのギフトとして受け取ることができ、
体験した人は贈り物を世界に届けることができ、
わたしはその循環を促す存在として世界に生きることができるのではないか、と。
お金を払う・受け取るという行為さえも
ギフトになるような。
そんな形で#beの肩書屋さんは続けていこうかなあと思っています。
ですので、肩書屋さん終了後にはこんな案内を流させていただきます。
もっと多くの人が自分の真ん中と出会えますように。
そして、わたしもあなたも循環の中に生きられますように。
最後に、出会ってくれた多くの皆さん、応援してくれる皆さん、これから出会う皆さんにとびっきりの感謝を🌱