考えて曲を作るとはどういうことなのか?
以前、「なぜ考えてはいけないのか」という記事を書きました。
この事について、脳の機能の面から分かったことがありましたので記事にしたいと思います。
音楽は、自由な発想と創造性を必要とする芸術形式のひとつです。自由に演奏や作曲を行うことで、新しいアイデアや表現が生まれます。このように自由な演奏や作曲を行うとき、前頭葉の制御が抑制されているということです。
私自身、作曲する際はモチーフやを決めてから取り組むよりは自由な発想で即興演奏から始めた方が、作曲の進み具合は各段に早いというのは実体験として感じていたところでした。
ある程度の制限を課したうえで作曲した場合においては、前頭前野の活動が活発になるようです。つまり、考えているということですね。ある研究では、特定の楽曲形式に従って作曲するように作曲家へ指示を与えたところ、前頭前野の活動が活発になったことが報告されています。
私は即興的に作るときとは反対に、テーマやモチーフに沿った曲作りをする際に苦労する時があります。
そうなってしまうと大変で、キーボードとディスプレイに向き合いながらもまったく進まず、無駄に過ごした時間への焦りを感じてしまうわけです。(クリエイターにとって時間とは限りがある資源です。そして時間は自分の命と同義です。)
どうやら自由なアイデア(旋律)が浮かんでくるためには、脳の前頭葉の機能を抑制することが必要であるようです。
そのためには、リラックスした状態で演奏や作曲を行うことが大切になるのですが、これはまさに瞑想の状態に近いと感じています。リラックスしていないといいものはできないのです。
瞑想中に浮かんでくる様々な想念は、作曲するうえでも妨げとなります。前出の書籍でも最後に興味深い箇所がありました。
このように、言語化される前の心の状態を表現するのが音楽であるというわけです。
上記によれば、私たち人間の認識には音楽レイヤーの上に言語レイヤーがあるというように表現できないでしょうか。脳の中で音楽と言語がどのようなやり取りをしているのかは不明ですが、音楽と言語は直接は結びついているわけではないため、言語による介入は作曲に対する障害となるのではないかという仮説をここで立ててみました。
つまり、「言語による介入」とは、そのとおり「考える」ということです。
思考は言語を使ってのみ可能なことなので、思考するとは言語を使うということになります。そのため、自分の中に眠っている音楽の素は、言語以外の方法で引き出す必要があるのではないでしょうか。
絶対音感について
厄介なことに絶対音感のような音感が身についていると、それぞれ聞いた音に対して、「ド」とか「レ」のように、音階に対応した言語で考えてしまうことがあります。
どうやら私も音が言語に結びついてしまっているようで、音楽を脳内で再生すると、音程とともにメロディーがド~レ~ミ~というように、言葉で再生されてしまいます。
この記事を読んでいただいている皆さんはいかがでしょうか?ほかの人がどのように音楽を脳内再生しているのか聞いたことがあまりないのでサンプル数が圧倒的に足りませんが、家族に聞いてみると、音が音階を伴った言語で再生されることは決して無いと言っていました。(逆にどうやって音楽が再生されているのか気になります・・・)
では、言語を通さずに世界に自分の音を引き出すためにはどうすればよいのか?
手を動かす
前の記事にも書きましたが、その方法の一つは、肉体を使うことによる引出です。具体的には指を使うということになります。頭を使わず、指を自由に動かすことによって言語化(=思考)のルートを通らずダイレクトに心を引き出すことができるのではないでしょうか。個人的には曲の流れに身を任せて指が自動に奏でた1発目に生まれた曲が最もよかったりします。
前出の書籍では、統計的な手法によって脳が処理をしていると書かれていました。言語を通さずに生み出された曲がどのように脳内で統計処理を行ったのか、その過程は非常に複雑な気がしますが、、、
指が自動的に奏でたはじめの1発目以外にはどうしても思考が介入してしまうように思います。もう少し良くしようとあれこれ旋律をいじったりするのですが、1発目の旋律が気に入らなかった場合は、それ以上に良い旋律が出てくるのは稀です。稀というか、良い旋律を生み出すには批判的な思考と度重なる反復が必要となってきます。じゃんじゃん湧いてくればいいのですが・・・
即興演奏とは?
私は作曲する際には即興演奏で作曲することが多いです。
なぜかというと考えて作ると先に進まないことが多いからです。
では、即興演奏とは何なのか?
曲の進行にはある程度の制約が課されています。それは、会話における文脈のようなものであると言えます。旋律の流れの中で、曲の進行に沿って展開していきます。(私はコード理論を全くといっていいほど知らないのですが、これについては別途記事を書きたいと思います。)
普段の日常会話では文脈に沿いつつも、それほど考えて会話していません。もちろん、相手の気持ちを考えたり、言ってはいけない言葉は控えるとか、意見を求められたりした場合に自分の考えをまとめてから答えたり、そうした思考は日常の会話で働きはしますが、それ以外の場合、割と自然に言葉が出てきますよね。思った以上に自動的に。
私の中では即興演奏とは日常会話に近い感覚です。
ただ、これまでなぜ曲が出てくるのかは謎だったんですが、記事を書いていて理解しました。それは会話の際に「なぜ言葉が出てくるのか?」を考えるのと同じということですね。
即興演奏の場合、自分で演奏しながら、その音を聴き、曲の流れに合わせて展開していきます。
会話の場合は、相手の反応を聞き、その会話の流れに合わせて話題を展開していきます。
なるほど、ここまで書いてみて気が付きましたが、考えて作曲をするということは、スピーチの原稿を書くことと同じではないでしょうか?ただ、言語で言語を取り扱うのとは異なり、音楽の場合は音と言語のレイヤーが異なるため、言葉で音楽を操るということになります。言語→音楽→言語とそれぞれのレイヤー間で変換する過程を経る事で、元の音楽の姿が変わるのではないかという疑念です。
もうひとつ、気持ちと言語もレイヤーは異なると思います。自分の気持ちを表す際に、最も適した言葉が浮かんでくるわけであって、本当にその気持がその言語とマッチしているかどうかは本人も分かりません。
脳の中で行われる統計処理
曲の展開や繋がりがうまく行かないとき、みなさんはどのようにしていますか?
私自身は、そうした状況に直面したとき、すでに完成した部分までをピアノ(キーボード)で何度か演奏します。何回か演奏を繰り返すと、その後に続く部分が耳に聞こえてきます。そして、聞こえてきた音をピアノで再現するという方法を取ります。最初はなぜ曲の続きが聞こえてくるのか理由が分からなかったのですが、前出の本の内容を見て納得しました。
実際、作曲する際には脳内で統計的な予測が行われているということです。統計的に照らし合わせて自分がこれまでに聞いて経験してきた曲の構造や流れが、次にどう展開するべきかの予測に影響を与えるということです。
この「統計的」という部分は、これまでに聞いた曲や自分で作り上げた曲のパターンに関連しています。それらの情報を基に、最適な音の解が自然に浮かび上がって聞こえてくるというわけです。
つまり私自身は、何か言語的に考えて曲を作っているのではなく、意識下のコントロールが効かない脳の機能を利用して作っているとうことです。そのため、逆に考えて曲を作るということはその脳の機能を阻害しているのではないかということが分かりました。
「ノリ」とか「グルーブ」というのは、そういった意味でまさに正しく、体で感じるリズムであって、考えて創り出すものではありません。
そのため、私は、音楽は体で作るものであると思っています。
そんな私が作った曲をHPで公開しています、ぜひ聞いてみてください
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