特攻隊員だったおじさん あんりの政vol.10
お盆ですね。帰省の人たちが実家で暇を持て余してハローズの喫食どころでたむろしていたりしている。今日は兄の誕生日でもあるのだけれど終戦記念日だ。79年前の今日終戦したんだ。
今日は生活保護の案件で市役所の人が来ていて、それが済んだので実家へ行く。夕方だったのが丁度お墓参りの時間で、わたしも自転車でお墓へ行く。母らに置いてけぼりを食らって腹立てているところ母らを見つけ、火のついた線香をもらって供えに行く。ばーちゃんに遅めの、ごんちゃんが来たよということを報告して、もう一つお世話している墓があるところへ行く。わたしの父方の祖父の弟で、第二次世界大戦中に特攻隊として亡くなったおじさんのお墓だ。
わたしは線香を揃えて砂に挿し、「日本が戦争に行くようになっているのではないのかしら、それを阻止するためになんとか動こうと思う見守ってね」って言うと、ほうら来たっ、幻聴からおじさんを名乗る人の声が。
「わしは戦争に駆り出されたのは悪いことやなかったと思うよ」
わたしは言う。それはけしかける世の中が悪かった。今は終戦して79年の年月が流れてだから言えるんかも知れん戦争はやらないで良かったって。確かに戦没した人を悼み奉るのは大事、だから戦争を英霊とか言うて崇める気持ちもわからんことないけど。戦争がいいものやと、戦争は止められなかった、社会が戦争に行っていったのは仕方のなかったことやったと言う空気を作り上げた人らが悪い。
今日NHKで太平洋戦争特集をやっていた。
「サイパンを取られて飛行機で5時間の東京が空襲されないとは限らないじゃない」
「飛行機の仕事は女の優しい仕事」
「普段の倍の仕事を求められた、12時間勤務わ夜勤が強いられた」
「初恋にもう空襲で死んでもいいと思ったところもあった。」
「お腹が痛い日が続く大腸ヒダルだヒロポンが配られるようになった(無理がたたったから)」
「秘密の訓練所で10代から20代の若者が集められ魚雷になるために訓練を受けていた。」
「昨日は隣人や家族のことを思い出して困る、もういなくなるっていうのに。」
「防空壕の中でドーンドーンドーン鼓膜の破れるくらいの轟音が男の子の父親の頭を吹っ飛ばしていた」
前に戦争と精神性でXに投稿していたのだが
傷つけられたから傷つけ返す。同じ痛みはないのに。皆違った痛みを持っていて違った傷を持つことを共有しているというのに。痛め付けてきたのも、痛め付けてきたと思っている自分の作り出した痛め付けてきた人像で全部自分。その自分を諌めて怒りたい気持ちをコントローし、痛め付けてきたであろう人でも、丁重にお引き取り願えば、事を荒げることなく自分は自分に勝ったのだ、相手は自分に負けてて自分の方が精神的に優位だと思った中で精神の成長と平和な世界が訪れる。自分が喧嘩したくないと願えば、自分の精神をコントロールすることでその世界を手に入れることができる。イメージの具現化とはこのことだ。人は皆自分と戦っている。人は皆一人だ。人殺しも自分との戦いで勝利して一人で完結していれば、殺すことに至ることはない。まあそれは理想論だ。人生は苦しく修行の毎日だ。ここでアホな政治家が個人責任だと、自助だったら社会保障は要らないねとか言い出す輩がいたらいけないから言っておくけど、全部自分と言えど自分の置かれた環境や制度次第では人生スーパーハードになる訳だ。なぜなら投影した相手の悪どい面次第で自分の嫌な面が顕になり鏡に写った嫌な自分を見て発狂したり鬱になる感情のコントロールが大変だからだ。
おじさんも、おじさんの置かれた状況が、作られた選択肢の中から選べたくじが少なくて環境や整備政策が良くなかったといえる。わたしたちがこの子を裁くのは足りない頭なのかも知れない。だがわたしたちは時代の流れとともに精神の成長を続け、当時よりも安穏とした環境の中のわたしたちの裁量でしゃべるのなら、人を殺すという戦争が正義か否かというのは明らかに正義では無いということだ。だって戦争仕掛けてきた人も戦争仕掛けてきた人像でしかなくて全部自分、自分は嫌な見たくない悪人だけれどもその悪人である自分を直視して自分の昂ぶる感情を堪らえて、相手にお帰りいただかなくてはならない。自分が一緒になってドンパチ始めたんじゃあ相手の思うつぼ。わたしたちは戦争を辞めた。やらないようにするには先ずは自分から落ち着かなくてはならない。昂ぶる感情を堪らえて。そうして冷静ね自分をコントロールして出た回答はズシんと響くものがある。
ただ、ではおじさんが生きられる道はあったのか、日本社会が決定していることに逆らうような決断は徴兵に逆らえば命を落とされるような(のかもしれないが)日本の中枢が下した決断に逆らうような真似をするのは戦争犯罪者のしでかした誤ちだと思っている自分の作り出した戦争犯罪者のしでかした誤ちの虚像でしかなくて全部自分、だとしても!そういう戦争犯罪者のことも背負わなくてはならなくなるようなことは、一人の人が背負うには重すぎる。
ウクライナロシアパレスチナイスラエル戦争が起こっている。しかし日本社会だけを見ていくと他の国債の社会を知らないが日本社会は貧困いじめブラック企業格差社会資本主義貧富の差などいろんなことが問題に上がっていてそれを苦に自殺する人が多勢いる。社会の地獄を見ている子には戦争も霞むだろうか?戦争を目の当たりにしても自殺を考えている子を見ると確かにちょっとムカつくところはある。だがだからと言って自殺する命があるんだったらその命戦争に行ってどっかの派閥に加担してこいよとか言えない。でも私の政治家を目指す起点になったことでもあるのだがその人の辛さはその人だけのものだ何物にも代替はできないし戦争で命を使ってこいとか言いたくなるけどでもそれはお角違いだ。それに日本社会で辛く生きづらさを抱えているっていう人たちにとって戦争が起こっているから自分たちの辛さが軽減されるとかいうことは本当の意味では無いのかもしれない。辛いことはどこまで行っても辛いことなのだろう。それを何とかするのがわたしだ。ガンバルゾ。
そうそうこのおじさんのことを書こうと思ったのは終戦のこともあったのだが、私は幻聴の聞こえる人の作り出す雰囲気というか空気感というか纏う何かの感覚を幻聴の人とここではおじさんと共有できることがある。それがすごく心地よかったということがあった。
私は昔からおばあちゃんっ子でいろんなお話を聞いて生きてきた。だからかおじさんが幻聴で話してくれている時に何かに守られているかのように、ああこの人は岡田家の居間にいる時にこんな調子で感覚をまとって人と接していたんだなーっていうことがおもんばかられて、もうなくなって79年も経つ人と今会ったかのように感じられることが私にとって一番終戦を身近に感じられた。おじさんは特攻隊でなくなった時26歳だった。私はその齢からのうのうと9年も何もせず年を取ってきた。お墓に眠っているおじさんに顔向けできることといえば今は自分のやりたいことに向かって着実に歩みを進めているということぐらいだ他にはどん底の人生を歩んでいて生活保護で未婚で子供もなし貯金もなし統合失調症で障害年金2級これほどのパワーワードが並ぶ人もそういないと思う。だが私は政治家になりたいし起業家としてもやっていきたいと思っているから私には熱い思いしか持っていないけれど私が胸を張って岡田杏理です!って自分を名乗れるそれが私のおじさんへの花向けだ。
そうそうこの間、「戦わない経営」という本を読んだ。とても良かった。前々からビジネス本は自己啓発本にも似ているところがあると思っていたけどこの本は普段生きにくいと思っている世の中でもがいている人に何か生きるヒントをくれる本だと思った。泣いた。ぜひ手にとって読んでほしい。
私も着々と起業に向けてあゆみを進めているから頑張るぞ。