不要になった
断捨離というほどの勢いはないものの、裁縫部屋の物を捨て続けている。
仕事が休みの日は疲れ果てて一日中伏せっているため家事も掃除もままならない。
今日は湿度が低めのおかげか体が軽かった
ぽつりぽつりと小さな家事を済ませた。
ミシン部屋に入る気にもなれないというのが正しいのかもしれない…
去年50歳代の独身ツルッパゲ大男によるセクハラで蕁麻疹やら書ききれない身体症状のため正社員の仕事を失ったあと、
すぐに職を探してフルタイムパートの縫製職に就いた。
いまこうしてやっと話せるようになったけれど
その工場の社長はこざっぱりした成りで英単語を多用する喋り方をして「人を人として扱わない」質(たち)だった
非人道的な物語の中にだけ居るものと思っていた質(たち)の男だった。
私が在籍したわずかな間に、数えきれない・覚えきれない女性が入社しては去って行った。残っているパートさんは縫製作業に従事しない作業の方々。その人たちによると私が入社する前もドッと退社したのだそう。
よくこれで事業が続いているものだ…
生産性はこの上なく低いと思う…
指示が曖昧なため、社長に訊きにいくと
ミシンから離れたことを責める。
ミシンに戻れ、ということを
「ハウス!」
と言う。従業員は犬ではない。
しばしば
「ステイ!」
とも怒鳴る。
こんなに失礼な扱いを受けたことは生まれて初めてであった。
このままでは心が大火事になって死ぬ。今までの私だったら「こんなくだらない事に負けてたまるか」と耐えただろう。
しかしそれは美徳ではなく身を滅ぼすだけ。
医師に思考の矯正をしてもらった私はその環境から逃げることに戸惑いはなかった。蝕まれて心が死ぬのはもう懲り懲り。
仕事を辞めてもミシンを見るのが辛いのは変わらない。
「それだけ傷ついたのですよ」と医師はねぎらってくれる。
今まではミシンを踏ま(め)なくなったら私は生きていけないと思っていた。
例え事故などで片足を失ってもミシンが踏めるよう、片足でミシンを踏んで予備訓練もしていた。
手指だけは怪我するまいとケアに気を配っていた。
いまは全てどうでもいい
ミシンなんて見たくない。「ハウス!」と指差された屈辱が膿のようにジクジクしている
在宅仕事時代に手に入れどっかりと部屋に鎮座する平ミシン、縫製技術の向上、生涯学びの意欲、効率の追求、丁寧な仕事。
数々の道具たち、その手入れ、ミシンメンテナンスの知識と技術。釜の調整には紙一枚の厚みを知ることの大切さ、どれもいまはどうでもいい。どれももう不要だとさえ思う。