密な連携・十分な教育・質の向上・余裕をもった臨床などの言葉を無自覚に使い人は、キライである(´・ω・`)

少し、言葉が強いかもしれないが、密な連携・十分な教育・質の向上・余裕をもった臨床などの言葉を無自覚に使い人は、キライである(´・ω・`)

ヘイトだ、憎しみだ、憎悪だ(´・ω・`)

というのは、まあ、そこまでではないけど、ちょっと考えても欲しい。

これらの言葉は、ミスが起こって用いられる場合、もっと密な連携が必要だというニュアンスでは、原因がそこに全部入れられてしまう(´・ω・`)

資源・・・時間も人でも資本も限られている。

その限られているなかでの、連携を構築している場合に、もっと連携もっと連携って、24時間一緒にいることがゴールになってしまいやしませんか?

必要なのは、それらの言葉が自分たちはどこまでできるのかという限界を感じていることだと思う。

限られた資本の中で十分な教育などできるはずもない、専門家に必要なのはマイルストーンだ、ラダーだ(´・ω・`)

質という言葉もそうだ。むかしむかし、回復期のリハに対して、あそこは若いやつばかりで質が低いおじさんというのがいてな。

こういう言葉を使うおじさんは、質を定義していないんだ。マウントとりたいだけなんだ(´・ω・`)

お前たちはそんな風になるなよ。

リハビリテーションにおける質とはなにかって、ほんとに決めるしかない問題だとわたしは考えている。

最後に余裕をもった臨床をしたいと思ってもいいけど、経験的に腐るだけやで(´・ω・`)

もしも自分に余裕がないのなら、短時間での集中的な働き方を考えたほうがいい。

おじさんの戯言です(´・ω・`)

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hari
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