同じ経験をしても血肉なるかどうかは、事象の問題ではなく、自分の心の在り方の問題だろう(´・ω・`)
これが精神論となるのかどうかわからないが、セミナーのような場所で、同じ時間・経験をしたとしても血肉になるかどうかは自分自身の問題なのだと思う。
先日、ある会社の経営発表会に参加してきた。若い頃のイキっているときには、あそこがダメだここがダメだと偉そうに言っていたと思う。
自分でも不思議だったのは、そういった態度ではなく、純粋に学べることがあるはずだという気持ちで臨めた。
実際にとても有意義な学びの時間となった。これが、若いころのような気持ちで挑んでいたら、間違いなくただの時間の浪費だったのだろう。
自分の成長に気が付くことができたことも嬉しいが、学びの時間を自分で得ることができたことが何よりうれしい。
と、同時に恐怖した。いったいぼくは、ねじ曲がった拗らせた自意識のためにどれだけの学びを放棄してきたのだろうか?と
もしも、これを読んで、ああ、そうだなと思った人は問題ないと思う。波はあるかもしれないが、そういった気持ちになろう≒素直な気持ちで挑もうとなるはずだ。
ぼくが気になるのは、これを読んで、バカじゃねえのか?と思うそうである。取りも直さず、昔のぼくだ。
そうだな、ペラペラのプライドと知恵に昇華できない知識と表面をなぞるだけの批判。
苦労するな、がんばれよ。ぼくもそうだった。時間がかかった。がんばれよ。
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