介護保険給付費分科会での訪問看護人員基準6:4の考察(´・ω・`)
いや、なかなか世間様で色々な議論がされているようですね(´・ω・`)
リハスタッフが訪問看護にて、たくさん行くのはいかがなものか?という議論で、人員基準を看護6リハ4にしていきましょう、そして、リハの点数と回数を制限しましょうという論点で進んでおります。
たくさんの集団の思惑が交差しているとぼくは思うのです。最初に、厚生労働省の思惑は、訪問看護ステーションは充足するであろうという数、全国1万2千か所をほぼ達成できるので、訪問看護ステーションの増加ペースを鈍化させたい、そして在宅での看取りをより促進するために、今回の案をだした(´・ω・`)
いつもやる、はしごをスタコラサッサと外すやつですね(´・ω・`)
訪問リハって、ものすごいニーズあるんですよ、現場感覚からいうと。
新しいステーションが損益分岐を早く達成しようと考えるのなら、リハがいるステーションは強くて、そして新規展開もやりやすいということなんですよね。
これがひとつ
看護協会は、自分たちが苦労して獲得した正当な権利、訪問看護ステーションをリハスタッフやお金儲けの上手なおじさんたちに汚されたくないという思いが強いと思うんですね。
ぼく、この思いはものすごく理解できるのです。現場レベルや実際に訪問看護をしている人たちは、看護とリハの協業がものすごく上手くいっていることと、プロとして尊敬しあえる関係であると思うのです。
リハスタッフ入れたら儲かるわ、だから、看護師は最低限の人数で、あとはリハスタッフ訪問行ってこいという事業体は、控えめに言ってうんこ踏めばいいと思っているし、同じプロとして、看護師は数合わせという雇用をするのは、醜いと思っている。
看護師は看護をすることが一番、美しいと思うし、リハはリハビリテーションに関わるのが美しいと思っている。
ただ、この制度設計をしたのは、厚生労働省である。その見通しの甘さを現場に押し付ける手法を繰り返すのは、ほんと勘弁して欲しいし、いかなお上でも限度というものがあるのだ。
ほんと、日本という国は江戸からほぼ変わっていないと思うのだ。権現様のすごさよ(´・ω・`)
一揆でも起こそうか真剣に考えてまうわ(´・ω・`)
医師会は、この圧倒的ニーズの高い訪問リハ関連の利権を医療機関に取り入れたいのだ。
今回の制限が実現すれば、否応なしに訪問リハ事業所へのニーズは高くなるからだ。
そして、訪問で働けなくなる理学療法士等は医療機関の訪問リハ事業所に雇用される。二束三文でだ。
医療機関は医師会の強固な言葉にしない結束のため、職員の給与等は忖度される。事務長レベルのゴルフコンペでそういった腹の探り合いはいつもやっていることだ。
民間企業なら、もっと給与を保証できるのに医療機関で同じだけ収益を上げても、還元される可能性は非常に薄い。
さて、そういったことを踏まえて、ぼくのスタンスを伝える。
6:4が必要なら、そのような形態にして、事業展開するし、そうならないのなら、そのようにするだけの話である。
訪問看護ステーションという事業形態を捨てるつもりはない、それはぼくにとって経済的仕組みではなく、自分の人生を生きるために実感する仕組みだからである。
この仕組みを使い、専門職同士が美しく連携しあい、そして安心して暮らせる地域つくりに貢献すること、そのことがぼくに生きているという実感を与えるのだ。冗談抜きで(´・ω・`)
まあ、幸い、もともとそういった方向で考えていたので、6:4にすることは、不可能ではないことなのである。
もっというと、この機会にステーションのM&A案件があれば積極的に買いたいとすら思っている。
もちろん、6:4がない方が日本に訪問リハが広まる可能性が高いので、今回の論点に関しては、実現しないように全力を尽くすつもりである。
ただ、どうなってもスタッフの雇用な将来的な継続ができるように想定はしている。
個人的にすごく面白いなと思ったのは、介護保険給付費分科会の配信を見ていたのだけれど、意見をそれぞれの委員がいうのだが、結局、意思決定は誰がしているのか、一切わからないというのか、多数決ですらない。
この、いったい誰がどの責任で決断したのかわからないのに、色々なことが決定する仕組みというのは、嫌味ではなくすごいことだと思う。
島国なのだ、敵が見えない、そして中心が中空なのだ。
日本文化の中空構造は神話の時代から続いている。
結論、ぼくの戦術は変えるが基本的な戦略とゴールに一切の変更はない。
スタッフと一緒にリハビリテーションを『かたち』にするだけである。
とてもやりがいのあることだ(´・ω・`)
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