遺書を定期的に書いている(´・ω・`)
半年に1回くらいの割合で遺書を書いている。
会社を興してから、正月に遺書を書くのが恒例になっており、まあ、ぼくがいなくなっても会社がある程度、大丈夫なような指針をつくっているのだ。
最後を考えることは意味があると思う。人は死んでしまうのだ。それは上手く日常生活が忘れさせてくれるが、平等に人は死んでしまう。
全国行脚の無料セミナーを実施する理由のひとつが、人に会うということもある。
会える時に会っておかなければ、後悔する。アラフィフともなると、それは何度かの経験に基づいた、悲しい実感をもっているのだ。
まずは、会える時に会いたい。ぼくのことを知っている人も知らない人もよかったら参加して欲しい。
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さて、それとは別に遺書にまつわる悩ましい問題もある。
遺影である(´・ω・`)
あまり若い時の写真をつかうものあれだし、今、3つの写真で悩んでいる。なんというのか、たぶん幸福な悩みである。基本的にぼくはおめでたい人間なのだ(´・ω・`)
ひとつめは、郡上八幡に旅行に行ったときにとった写真である。
そう、遺影がイエイである(´・ω・`)
ぼくの友人は明確に意図をくみ取り、あいつやりやがったと思うだろう。
そして、緊張状態で笑いをこらえている状況をつくりたい。
2つめは、北斗の拳の展示会で座った、サウザー椅子での写真である。
これもネタ的に捨てがたい(´・ω・`)
3つめは、昨日撮影した、友人の眼鏡を借りて取った写真である。
内面からにじみ出る知性が隠せない感じがとてもよい(´・ω・`)
ちなみに、こういった感じになると髪型や体の大きさやなんやかんや、町田先生とキャラがかぶる(´・ω・`)
ちなみに、昨日は学会であり、終了後から飲み始め、4時間後くらいには、こういう感じになっている。隣が誰なのかわからない(´・ω・`)
そして、3次会だか4次会だかの宴会にどうやって入ったのかもわからない(´・ω・`)なんというのか、みなさん迷惑かけてごめんなさい(´・ω・`)